2012年11月27日火曜日

観光地とは土地の演技である(2)

演技と観光地を結びつける考えが自分の中にいつ生まれたのかはよくわかりませんが、それほど昔のことではありません。悪魔のしるしの活動が本格化するにつれ、何でもかんでも演劇のアナロジーで捉えるような思考の癖が悪化し、その過程で見出した視点のひとつです。ただし、そのための材料はコレまでの人生で着々と貯めこんではきていたようで、例えば僕の故郷は観光地としてそこそこ有名な倉敷です。

江戸時代の町並みを保存した「美観地区」や、日本で最初の本格的な西洋美術館である大原美術館などを資源とする観光都市であり、同時に、瀬戸内海工業地帯の一角である水島コンビナートを有する工業都市でもあります。

集落調査の調査(*「集落調査」ではなく、これまでに実施された集落調査の調査)を行なっている友人から教えてもらったのですが、倉敷市による景観問題への取り組みは、1968年に「倉敷市伝統美観保存条例」のを設置したのが始まりで、その後1979年には「倉敷川畔伝統的建物群保存地区」の指定、と全国的に見ても割と早い動き出しだったそうです。この時代(高度成長期末期)の観光・国内旅行事情など調べると何か面白い発見がありそう。

もうちょっと地元トーク続けてみます。

町並みを保存し、完璧に観光地化された「美観地区」がある一方で、その隣に本町(ほんまち)というエリアがあります。もともとは観光エリアではなく、普通に暮らす人々の民家や商店が並んでいたのですが、その殆どは特に建て替えられることもなく、多少の改築、改装だけで生き延びてきたので、結果的には「古風な景観」+「リアルな暮らし」という、イイ感じの結合を達成し、美観地区のオルタナティブとして注目されるようになりました(といってもささやかなものですが)。

例えば古書店好きの間では有名な「蟲文庫」なども本町にあります。
http://homepage3.nifty.com/mushi-b/



本町通り。古い町家、蔵をそのまま維持しつつ生活が営まれている。
最近は観光客がこちらにも足を伸ばすので、それっぽいお店が増えてきた。
美観地区。運河沿いに並んだ蔵屋敷の多くは、観光客向けの土産物屋や飲食店として改装→使用されている。
また、通り全体に照明設備が設置され、夜間はライトアップされる。























電線を地中に埋めて綺麗な外観保持に努める美観地区と違って、本町には電信柱が立ってるし、お店の看板も張りだしてます。観光客向けのお店も近年は増えましたが、昔からあるのは畳屋さん、電気屋さん、駄菓子屋さん(10年程前になくなっちまった)など地域の人のためのお店です。言うなれば、冷凍保存と漬物の違い、といったところでしょうか。

美観地区が、「そのものになりきる」完ぺきな演技を続けているのに対し、本町はあくまでも自然体、まずは住む人達の暮らしがベースとしてあります。ぱっと見は綺麗な美観地区ですが、個々の建物は商家や土蔵という本来の機能を剥奪され、民芸品店やレストランとなっているのに対し、本町では民家は民家として、蔵は蔵として使われているという健全さがあります。

先日、外国人(ベルギー、スイス、韓国)の知人を連れてこの界隈を歩く機会がったのですが、やはりというか何というか、ウケがいいのは本町の方でした。で、恐る恐る自説_土地の演技としての観光地_を披露したところ、スイス人のマックスさんから実に興味深い発言が飛び出しました。

彼曰く、かつてシェイクスピアは、「All the world's a stage」と謳ったが、いまや「All the world's a zoo」だと。いちいちもっともだと思います。

集中力が切れた(早すぎる)ので、続きはまた今度にします







2012年11月22日木曜日

観光地とは土地の演技である(1)

こないだ別府と国東半島に行ってきました。
別府プロジェクトや国東アートプロジェクトを体験したくて。

2010年に瀬戸内国際芸術祭(島キッチン企画)で「搬入プロジェクト」を上演して以来、地方と観光、そしてアートとの関係に興味を持ち始めていたこともあり、いろいろ考える材料を持って帰ってきた感じです。

豊島に関しては基本的に良い思い出しかないのですが、そう簡単には割り切れない印象深い出来事も幾つかあって、まずは何といっても産廃不法投棄問題、もうひとつは(産廃に比べれば些細な事ですが)現地の方に「アートのひと」と呼ばれたこと。

「お兄さんも、アレか、アートのひとか?」

そういって声を掛けてきたオジさんに他意は無かったと思います。が、その屈託の無さも含め、この言葉は自分の中にしこりとして残りました。

アーティストではなく、「アートのひと」。
この響きの違いこそが、我々の日々の暮らしとアートとの距離感を表しています。しかし、だからといって島の人から「アーティスト」と呼ばれたかったか、と問われれば、そうでもない気がするし、正直いって、今のところはどうすればいいのか、どうなればいいのかよくわかりません。

瀬戸内国際芸術祭総合ディレクターである北川フラム氏は、どこかのインタビュー(もしくは彼に関する報道記事だったかも)で、芸術祭の予算に関して「文部科学省ではなく国土交通省から引っ張ってきたことが重要なのだ」と発言していました。つまり、文化事業としてではなく、観光事業の一環として芸術祭を組み込むってことです。そういえば「観光立国」なんてスローガンもありますね。国が仕掛けるキャンペーンと協働することでいろいろご利益があったのでは、と推測します。

急速に高齢化、過疎化の進む離島や僻地の、その「遅れ」「寂れ」をひとつの観光商品として売り出すこと、そしてその引き立て役としてアートが用いられること。ちょっと乱暴な整理ですが、こういうことだと思ってます。別に悪口じゃないです。


「近代の特徴のひとつは、本物(オーセンティシティ)はどういうわけか失われ、それはほかの文化の中で取り戻すことができるのだ、という信仰である」(ジョン・カラー)


我々は日々の暮らしに倦んだとき、「ここではないどこか」に自分を充足させてくれるものを求めます。そして求められる「ここではないどこか」の中身が、ディズニーランドなどのレジャー施設ではなく、離島や僻地という、いかにも「本物」っぽい対象へと変化してきているのが、何か、こう、示唆的だと感じています。

「本物」志向といえばアートもそうで、と言ってもアートのことをそれほど知らないので大したことは言えませんが、とにかく「リアル」「リアリティ」という言葉が随分幅を利かせている界隈であるとは言えます。なにか「本物」を感じさせる対象を求める人たちがいて、彼らは、アートや僻地の自然、寂れた集落に引き寄せられるのです。

で、このへんから演劇、特に「ポスト・ドラマ」とか「ドキュメンタリー演劇」などと呼ばれる運動の話と繋がってくるような気がします。

気が向いたらまた続きを書いてみます。

*今後のためのキーワード備忘録
TDL
トータル・リコール
ALWAYS三丁目の夕日
倉敷美観地区
横浜中華街
熊野三山
京都木津川浄瑠璃寺
観光資本
搾取
転用
リノベーション
ディラー&スコフィディオ「スーツケーススタディ」
リミニプロトコル「カーゴ」「資本論」
PortB
飴屋法水「いりくちでくち」
悪魔のしるし「搬入プロジェクト」
Gob Squad「Before Your Very Eyes」
フラッシュモブ
福島第一原発観光地化計画
北京・大栅栏跨界工作室
鳥取ホスピテイル・プロジェクト
フロンティア・スピリット














2012年10月28日日曜日

お知らせ イベントのご案内 [ GREENHORN'S THRONE ]

まいど危口です。
今年はスイス行ったり大きな劇場で仕事したりの機会に恵まれ有意義な年だったのですが、一方で、真面目なこと不慣れなことが続いてちょっと気疲れの年でもありました。
なのでここらでホゲ~としたものをやろうと思います。

悪魔のしるし としてではなく危口個人としてこじんまりと造ります。で、宮崎晋太朗くんと島田桃依さんが参加してくれることになったので三人で MARCH OF MISERY という演劇などをやるバンドを組みました。ジャンルはスカンジナビアン・ブラック・ドゥームです
題名の GREENHORN'S THRONE というのは 青二才の玉座 という意味ですが(グーグル翻訳さんありがとう!)語感が DARKTHRONE に似ててカッコイイと思ったので採用しました。 

☆どうなることやらでしたが お陰さまで無事 上演終了いたしました
ご来場の客様、関係者の皆様 ありがとうございました。 
ついでなんで、久々に書いた台本らしきものもここに載っけときます。 


1

こうして話している時点で
結局上手く行かなかったってことですよね
だって、ね、グラフィティの心意気ってのは
スプレー缶だけで唸らせる、その一点にかかってるんですから
あとからこうしてああだこうだ話してるようじゃ ね

(ため息)馬鹿みたい

ほんと

父がよく言ってましたよ
父は、そう、心霊写真の細工師だったんです
ご存じない?
でしょうね
30年ほど前にね、あったんですよ 
心霊ブーム
「あなたの知らない世界」
知ってます?
知らない
あなたの知らない「あなたの知らない… ドーン…

~誰も知らない夜明けが開けたとき

あの頃
昭和天皇がずーっと下血しててね
下血
お尻から血が止まらないの
毎日毎日ね新聞の一面トップにね 載ってるんですよ 数字が
毎日も朝日も赤旗も
今日は何cc、次の日も何ccってね
アレですよ 
今風に言えばシーベルト

おいたわしい って言ったの 父が
天皇陛下のニュースを視ながらね
おいたわしい って
子どもの私は意味がわからなくて
おいたわしい って
老いた鷲だと思っちゃって
鷲は死ぬときお尻から血を流しながら死ぬのかなって
カラスやスズメもそうなのかなって
トンビが鷹を産むって言いますけど
父の最後から二番目の言葉がね
「お前は鷹だ」って 
自分がトンビのつもりでね
自分は絵の才能がないけどお前ならって

苦労して何浪もしてね
やっとのことで入った美大なんだけど
途中で辞めちゃって
絵描きになりたかったんだけどダメでね
子どもができちゃって
にっちもさっちもね
行かなくなっちゃってね
小さな出版社に出入りするようになって
挿絵を描いたり
装丁したり
色々やってたらしいんですけど
心霊ブーム
来ましてね
フィルムに細工して心霊写真もどきを作る仕事にね
最初はふざけて作ったのを会社のひとに見せただけなんだけど
ひどく評判が良くて
あれよあれよですよ
いつの間にか引く手あまたになっちゃって
テレビや映画も仕事もしたそうですよ
遊園地のお化け屋敷にもアドバイスしたりして
だからあんまり覚えてないんだけど
暮らし向きは良かったと思います
家に画集がたくさんあって
モーツァルトのレコードがたくさんあって
歌うとね
父が褒めてくれるんです
(アイネ・クライネ・ナハトムジーク)
素晴らしい って
昔の思い出

ブームは所詮ブーム っていうけど
オカルトは廃れませんからね
稼ぎは減ったけど
貧乏ってわけじゃなかったし
みんなね好きなんですよ
地獄とか幽霊とかあの世とか
この世だけじゃ満足できなくて
いや
この世しかない寂しさを紛らわせ…
じゃなくて
自分たちだけでこの世の
この世にはこの世しか無い
あの世なんてありゃしないって事実…から逃げたいんですよね

cc血が流れても
何シーベルト汚染されても
逃げ場所なんてないんですよ
ずっとずっと染みこんでいくんです
この床にもこの壁にもこの天井にも

2

心霊写真細工師の心意気っていうのがありましてね
父がよく言ってたんです
ほんとうらしく、それらしく
ありもしないことをそれらしく
それだけに心血を注いでね
でも
仕事の痕跡を
自分の手の跡を残すのは以てのほかだって

父は売れっ子だったから
あの頃出た心霊写真集の殆どには父の「作…「写真」が載ってます
心霊写真集って本じたい、いい加減なものだから
使い回しもずいぶん多いんですけどね
今でも私のアパートにね
経堂に住んでるんですけど
全部大事にとってあるんですよ
私が死んだら近所の
経堂の駅の目の前にある図書館に寄付するつもりです
あそこは小さな図書館ですけど
岡崎乾二郎の「ルネサンスー経験の条件」なんかが置いてあって
ずいぶんセンスがいいんですよ
もう絶版でね 高いんですよあの本
神保町で探しても見つからないんです
いい本なんです
芸術っていいな素晴らしいなって思えてきて
そう思っていたいんです、私
だから絵を描いていて…

ずっと子供の頃から絵が好きで
クラスでもいちばん上手だったし
でも「蛙の子は蛙」でしたね
どうせならトンビのほうが良かったんですけどね
「トンビの子はトンビ」じゃダメなのかな
だったら空も飛べるはずだったのに

父がね
心霊写真細工師の心意気を持っていたように
私もね
グラフィティアーティストとしての心意気があるんです
誰の助けも借りず
誰にも知られること無く
もちろん金銭的な見返りなんて求めず
時が経てば色褪せる粗末な画材で
苦情や通報に怯えながらスプレーを吹き続けて
父はね
自分の手がけた心霊写真を「作品」って言ってて
私はそれが嫌だったんです
だって
サインも日付も入ってないし
ギャラリーや美術館に飾られることもないし
なのに作品って

私はね
私のやってることや
やった痕跡のことを作品
って言いたくはないんですよ
だったら何なんだって
祈りだと思ってます
京都のね
伏見稲荷のね
鳥居がズラーって延々と並んでるのね
アレが祈り 
ひとつ積んでは父のため ってね

だからちょっとづつ積んでいけばよかったんだけど
つい出来心で
断崖絶壁の上の
老いた鷲の巣にね
スプレーしたくなっちゃって
年老いて
もう飛べない鷲にね
祈りでも捧げようかなって
九段下の駅で降りて
武道館の横をすり抜けて
万物の霊長たる自覚でもって
選挙権のある
税金払ってる人間様としてね
おいたわしい老いた鷲を慰めてたくてね
「お前は鷹」だって言ってくれた父の為にもね
お堀に落ちたときはカエルでよかったと思いましたけど

私がHIPHOPに出会った頃…高校卒業するあたりだったかな
父の稼ぎが目に見えて減ってきて
写真がデジタルになって
レタッチソフトも充実してきて
だいぶ追い詰められてましたね
「フォトショップ」はもちろん「Mac」でさえ父の前では禁句で
ぜんぶMacのせいに父はしたがってたけど
それだけじゃ
ほんとうはそうじゃないですよね
父は
自分の「作品」を見て怖がる読者を想像しながら仕事をしてたけど
その傍で育ってきた私は当然ですし
それから
ほとんどの読者もね
わかってたと思うんです
心霊写真なんて嘘っぱちだってことを
どっかの誰かがフィルムにちょこちょこ細工してんだろうって
まさかそれ専門の仕事があるなんてことまでは想像できなかったかもしれないけど
とにかく
皮肉なことですけど
みんなね
父の仕事を「作品」として見てたんですよね

父が自分の仕事を「作品」っていうとき
私は自分の心の中に哀れみの感情が起きるのを自覚してたんですけど
それは
心霊写真ごときを「作品」って言い張る父の卑屈さに対して
じゃなくて
そんな 可憐な心意気なんて無視するように
みんな作品として
作り物として心霊写真を楽しんでたの知ってるから

小学校のとき
クラスでね
自分の親の職業について調べて発表する授業があって
わたし馬鹿だったから
大きな声で堂々とね
「私のお父さんは心霊写真を作ってます」って…
友だちよりも先生の目が辛くて
電気屋のお父さんを持つ生徒には
「誰々さんのお父さんが居ないと電気がなくて大変ですね」とか
薬屋の家の子には
「誰々ちゃん家のお店がないと病気のとき困りますね」とか
それで
「私のお父さんは心霊写真を作ってます」って私が発表したら
シーンとして
そんですぐにクラス内大爆笑
だけならいいんですけど
曖昧に笑顔してるだけで何のコメントもしなかった先生のね、あの表情はね…
でも
いまの私
もう
あの時の先生より年上だし
だからどうってわけじゃないですけど
ま、いっか、って
学校にギターを持ってきてね
みんなで歌うのが好きな先生でしたよ
いつの日も絶えること無く友だちでいよう~とか
燃えろよ燃えろよ炎よ燃えろ~とか
フォークソングみたいなのよく歌ってました
君が代はどうだったかな
こないだ人づてに聞いたんですけど
今じゃもうボケちゃって
ご家族も大変みたいで
おいたわしい とは思うけど
ま、いっか、って

3

ブレア・ウィッチ・プロジェクトって映画
流行ったでしょう
あの時 わたし気づいたんです
ああ 父はもうだめだ って
いや
経済的にはもうとっくにダメになってたんですけど
でも
あの映画見て もう本格的に
ダメだこりゃ って
素人がね樹海に入っていって心霊ビデオを撮ろうする話でね
もちろんアレだって「作品」、作り物ですよ
でも素人の素人らしさを見せてくやり方で作ってて
汚いんですね 絵が
そう
汚いって思ったんです、私は
幼い頃からいい絵ばかり見て育ってきたから
汚いものはすぐ分かるんですよ
でね
父の「作品」てね、綺麗なんですよ 心霊写真のくせに
「心霊写真細工師の心意気」が聞いて呆れますよね
「仕事の痕跡を、自分の手の跡を残すのは以てのほか」って
思いっきり残ってますから
構図とか色合いとか
計算しまくっちゃって
何いってんだか
もうウケないんですよ
綺麗なものは

デジカメやMacが原因じゃなくて
みんなの感性が
心霊…幽霊とか
地獄とかあの世とかをこの世のどのあたりに据え置くか
そのへんのセンスがね
変わっちゃったんですよね もう
みんな
それは父もわかってたはずで
だから母が死んだわけで
馬鹿ですよね
ほんものの心霊写真なんて
あるわけないのに
ほんもの欲しさにね

後はご想像にお任せしますけど

ともあれ
カエルの子はカエル ってことで
何がほんものか
私もよくわかりませんけど
まあ
生きとし生けるもの
鷲も
鷹も
トンビも
カラスも
スズメも
カエルも
あと
木も虫も石も
床も壁も天井も
あれこれひっくるめて

おいたわしい

ですよね

これで
私の供述を終わります 


  TRANS ARTS TOKYO   パフォーマンス部門 参加企画 
[GREENHORN'S THRONE]

【原作】たぶん「絢爛の椅子」深沢七郎など
【作/演出】たぶん危口統之
【出演】MARCH OF MISERY (J peach みやしんラーメン KIGCH)
【ジャンル】たぶんスカンジナビアン・ブラック・ドゥーム演劇
【上演時間】たぶん30~50分くら

 【とき】11月4日(日) 16:30開場 17:00開演

【ところ】  旧東京電機大学11号館 3F、B1F、B2F

 【チケット】1500円(全席自由)
件名を [11/4パフォーマンス観覧希望] とし、
1) ご予約回
2) 人数
3) お名前
4) ご連絡先電話番号 を明記の上
reserve@kanda-tat.com 
までメールにてお申込みください

※入り口にてTrans Arts Tokyo参加料500円(会期中何度でもはいれるパスポート制)が別途かかります。


 【イベント概要】
元実験室で繰り広げられるサイトスペシフィックな身体表現 
ダンス批評家であり「吾妻橋ダンスクロッシング」オーガナイザーである桜井圭介と
ダンサー・KENTARO!!のキュレーションによるダンスプログラム。
11月4日(日)と11月25日(日)の2日間にわたり大学の元実験室でパフォーマンスが繰り広げられます。
詳細→ http://www.kanda-tat.com/project/011.html
  
11/4の出演者は 以下の三組
Abe “M”ARIA http://www.youtube.com/watch?v=wneSch2-Evo
危口統之           http://www.akumanoshirushi.com/about_kiguchi.htm
core of bells   http://coreofbells.com/

※危口の出番は2番目。たぶん17:30~45くらいからです。



【内容(いま適当に書いた)
IT(フォトショップなど)化の波に負け廃業失意のままに息を引き取った心霊写真細工師(*)の父を持つMは、その恨みを晴らすべく今日もスプレー缶片手に夜の街で暗躍、ヴァンダリズム精神を遺憾なく発揮ていました。しかし何というコトでしょう、神が彼女に与えたもうた画才は、怨恨の道具にするには余りにも輝かしいものだったのです。これを悲劇と呼ばずしてどーたらこーたら

(*)心霊写真細工師
80年代に巻き起こったオカルトブームに乗じて出現した、特殊な写真加工を専門とする職業。既存の写真に怪しげな細工を施し、さも怪奇現象が起きているように見せかける技術を持つ。マッド・アマノとは関係ない。 




2012年8月1日水曜日

KAFE9プレイベントのご案内

きたる 8/8(水) 19:00 より
KAAT 神奈川芸術劇場 にて、ちょっとした催しがひらかれます。

http://www.kafe-kaat.jp/104

これは、今年9月いっぱいKAATにて行われる「KAFE9」っていう、なんて言ったらいいんだろか、イベントなのか、一種のアートフェアのようなものなのか、フェスなのか、うまい言い方が見つからないのだけど、比較的若い年代のグループや、海外で活躍している人たちなどを呼び寄せて、KAATを使わせてやっから何かやらかしてみろよ、的な大盤振る舞いなアレで、そのKAFE9(カフェキューじゃなくてカフェナインです)に先駆けて、この夏の時点からですね、こう、期待を煽っていこうではないか、というですね、目的でですね、プレイベントを開こうと、そういうアレです。

で、なぜか快快(ちょっとどうかと思うくらい冴えた人間が寄り集まっている集団。「レイテ戦記」で言うなら、リモン峠で戦った長嶺隊みたいな感じ)とともに、われわれ悪魔のしるしもこのイベントに参加することになってしまいまして、何をするかも決めずに打ち合わせに臨んだわけなんですが、幸運なことに(ご先祖様に感謝します)その場でいい案を思いついたので、まあ、それで行こうと。

素材を作ります。

1)
舞台作品を作る時って、出演者だけではなくて、照明や舞台装置、音響などいろんな要素が絡んでくるんですが(ミニマリズムとは究極の装飾であり、はなはだ独善的な犯罪、現代版バロックである。それは美の表れではなく罪悪感の表れである。その大真面目な態度はすべての文化を、その到来を待ち受けるキャンプやキッチュにおとしめる:レム・コールハース)、特に今回は、最新鋭の機材・設備を誇るKAATでの上演ってことで、だったら本番で使いたい音や写真、映像なんかの素材をここで作っちゃおう、って思いついたわけです。

2)
これまでも、必要な音や画像に関しては自分たちだけで慎ましく作成はしてきたんですが、今回はホラ、たくさんお客さんに来てもらえるイベントですから、大人数ならではの絵や音が造れるんじゃないか?ってところも期待してます。100人でいっせいに◯◯する音やら、××する姿の写真やら、いろいろ考え中です。

※顔出しNGの方には臨機応変に対応させて頂きますので、お気軽にご来場ください。


てなわけで、参加する人数が多ければ多いほどサクセスな企画ですので、ぜひ皆様お誘い合わせのうえご来場くださいませ。

お申込みはこちらからメールもしくはFAXで→ http://www.kafe-kaat.jp/104




こっから先は個人的な追記です

今を遡ること十数年前、学生サークルで演劇麻雀三昧、と同時に建築学徒でもあった俺は、「アーティスト・イン・レジデンス」だの「ワーク・イン・プログレス」だの、どっかから借りてきたような安易なコンセプトをもとに「地域を活性化させる文化施設」とやらを設計する同級生に対して、稽古してるところをお客さんに見せるなんて以てのほかだろ!なんてひとりごちながら憤っていたのでした。まだポリティカル・コレクトネスなんて言葉はあんまり知られてなかった頃の話です。

そんな俺が今やレジデンス施設にお世話になったりしちゃって、挙句に「お客さんと一緒に作品つくり」なんだから、変わるもんです。なんでこんなことになっちまったのかな。

作品はどこで作られ、誰に向けられて放たれるのか、ていうか「作品」って考え自体がそろそろ寿命?なんてこと考えすぎると手が動かなくなるので(というかすでに動かなくなってきているのですが)、もう嫌なんですけど、でも、こうしていろんなところから助成やら支援やらいただいたりしてると、嫌でも考えてしまいます。そしてそれをプロセスや成果に反映させざるを得ない。だってそうでしょ、様々な資源をいただきながら、発表は作者の個人名だけで、なんて都合良すぎるでしょ、みんな同罪でしょの手柄でしょ。

この問題、ずっと考えてるのですが、どうしていいかさっぱりです。
というわけで今はこれ読んでます。





なんとなくですけど、いわゆる「民主主義」が破綻しても生き残る作品(って形式じゃないかもしれないけど)をできるだけ多く残せたらなあ、などと考えています。でも次回公演「倒木図鑑」は、そうじゃないかもしれません。





















2012年5月2日水曜日

搬入プロジェクト 設計助手募集します

悪魔のしるしは、
今年の8月中旬から9月上旬にかけてスイス国内三都市で
搬入プロジェクトを上演します。

直後にKAATでの演劇公演を控えていることもあり、
かなりハードなスケジュールが予想されます。

というわけで設計アシスタントを募集することにしました。
興味のある方は以下の案内をご参考の上、お気軽にご連絡下さい。

※ おかげさまでナイスな助っ人が見つかりました。ご協力ありがとうございます。








































【人数】
1~2名

【内容】
模型製作、物体の設計(形状、素材、工法のスタディ)
現地スイスの学生たちとの連絡 など

【資格】
必須
建築模型製作経験
ある程度建築図面が読める

おまけ
造形センス、構造・構法センス、木工作、英会話、webサイト構築…
等々の能力に優れた方だと とても嬉しいです。

【期間】
5月中旬から7月末まで。
集まって作業するペースはおそらく週1くらい。
他に、メールでのやり取りがかなりあると思います。

【作業場所】
悪魔のしるしメンバー石川卓磨の勤務する建築事務所など
 (渋谷区表参道エリア)

【報酬】
薄謝ではありますが、何とか用意する予定です。
が、基本的には丁稚奉公とかインターンの類いです。

でも、もし追加で助成金が得られたなら
スイスに同行してもらいたいと考えています(1名のみ)。
まあ、こればっかりは神頼みなのですが__


 ご応募、お問い合せは
件名を「搬入プロジェクト設計助手募集」 とし、
氏名、所属、連絡先を明記の上
コチラまでメールにてご連絡下さい。

akumanoshirushi@gmail.com


2012年4月13日金曜日

【イベント告知】第4回 写生大会.

   

悪魔のしるし 駄催事 

第4回  第5回 写生大会】

※時間帯を少し変更しました(2012,5/2)
※思い出のページをめくってみたら第5回でした(2012,5/8 訂正) 
※画板予約は 前日5/10金曜正午まで にさせて頂きます(2012,5/9)


【開会にあたって】
目の前にひろがる生の有り様を
画用紙に写し取る…しかし

時間をともないながら
いきいきと変化する生を
凍った平面に写し取るなんて
そんなの不可能に決まってるじゃないか!

そう、写生とは
地上に残された最後の冒険!

……われわれが普段なにげなく使っている言葉、「みる」。
でも「見る」「視る」「観る」「診る」「看る」と色んな「みる」があります。
おフランス語でも「voir」「comtempler」「regarder」と様々。

まずはじーっとみてみよう。
目の前のそれがいったい何だったのか分からなくなるくらいに。
(脳内から全ての名詞を消せ!)
描き始めるのはまさにそこから!


【内容】
[みんなでとことんスケッチする]

制約を設けた特殊なコースをご用意してお待ちしております。
もちろん普通にスケッチするだけのご参加もOKです。
その「普通さ」に何の疑いもないのならば。

【参加費】
¥500(画用紙、その他案内準備の実費として)

※悪魔のしるし特製画板ご希望の場合は+¥500

【とき】
2012年 5/12(土) (雨天の場合は翌日5/13に順延)

10:30 集合・開会の訓示・画用紙画板などの配布
11:00 第一セッション 
12:00 昼休み
13:00 第2セッション
16:00 集合・講評会・表彰式
18:00 どっかの店で打ち上げ飲み食い

 
【ところ】
野毛山動物園(横浜市西区老松町63-10) ▶動物園公式サイト




【お申し込み】 
件名を「写生大会参加申込」とし
・お名前
・ご予約の人数
・当日のご連絡先
・悪魔のしるし特製画板(¥500)を希望する/しない 

を明記のうえ、以下のアドレスまでお申し込みください
akumanoshirushi(アットマーク)gmail.com


【準備するもの】
・気合
・謙虚さ
・画具
(水彩/油彩/クレヨン/鉛筆何でもOK)
・お弁当とか
(園内にも売店はあります)


【主催者側で用意するもの】 
・大会パンフレット
・四ツ切画用紙
・悪魔のしるし特製画板(要事前予約/¥500)


 【私たちも写生大会を応援しています】

人が好きになるものをデッサンしてはいけない。
そこにあるものをデッサンしなければならない。
(パリ在住リルケさん)


アントーニオ、デッサンしなさい。
アントーニオ、デッサンしなさい。
アントーニオ、時間を無駄にしてはいけない!
(フィレンツェ在住ミケランジェロさん)


そんなものはみな大したことでない!
絵画も、彫刻も、デッサンも、
文章、はたまた文学も、そんなものはみな
それぞれ意味があっても
それ以上のものでない。
試みること、それが一切だ。
おお、何たる不思議のわざか!
(パリ在住ジャコメッティさん)



【過去の写生大会の様子】







2012年4月4日水曜日

劇場の構図 1-3



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第1章-3 芸能空間の基本形

前回からちょっと間があいたけど、またボチボチ再開します。
前項1-2(+追記)では、芸能空間を、パフォーマーとオーディエンスの関わり合いを基準に、おおまかに三種に分けました(未分化・可変・分割固定)。

この項では、もう少し詳しく見ていきます。

芸能は、独りで行う特殊なものは除いて、基本的には集団で行われる 

つまり、集団を収容する空間のあり方が非常に重要。舞台上の出演者が、観客に対してどのような角度で相対するか。逆に言えば、観客はどの角度から見ることを許され、また禁じられるのか。例えば、教会でのミサや落語、ある種の手品などは背面からの視線を封じており、そこにはそれ相応の必然性があります。より説得的な伝達を狙うならば、空間設計は非常に重要な要素になると思います。

……今のところ劇場といえば対面型が殆どで、しかもその仕様や構成についてうるさくツッコむお客さんは、作品内容へのそれに比すれば、あまり居ません(空間については、劇団ではなく劇場施設の責任だと捉えられている)。暗黙の了解として事前にかかっているこの負荷を利用するのが俺は好きです……

では、ふたたび分類作業です。とりあえず先にババっと書きだしてみます。

1)包囲型
2)対抗形
1+2)扇形
3)道行型
3’)限定道行型  

と、大きく分けて3つ+α。 
ではそれぞれ見ていきます。

1)包囲型
文字通り、演者を中心としつつ観客がその周囲を取り囲むタイプ。円環、同心円、といったプリミティブかつ強力な構図を利用した形式です。課題書には、以下のように記されています。



・囲むという行為、或いは円環を作るという行為には、集団の心をひとつの超個人的な精神に結びつけ、自己を超越させる魔力を持っている

・円環は中心を持ち、また自らによって空間を内部と外部に分かつ。

・円環を作るという行為は、集団のエネルギーを外に向けてではなく、この高められた内部に放つのである。そのような円環の内部で、包囲されて行われる芸能は、個人を超えた巨大な力により根源的同一者へと回帰させられることになろう。

・観客に常に内省することを要求する芸能ではなく、むしろエクスタシーへと導くことを好む。

と、かなーり力のこもった筆致で解説されてて、どうもこの方は包囲型が好きみたいですね。俺も結構好きです。ただ、細かいこと考えだすと難しいんですよね。観客が多い場合、円弧の厚みを増すのか、それとも直径を拡大し円そのものをおおきくするのか、とか、考えだすと内容にも関わってくる問題が山積で、且つ、上にも記されているように、部外者や後からやってきたお客さんに対して優しくないという弱点が。これを解決するために客席に高低差を与え、すり鉢状にした円形劇場なるものがありますが、この高低差がまた新たな雰囲気をもたらします。円環型と円形劇場は安易に同じものと断ぜられません。

ところで、上記の解説で、個人的に気になる言葉があります。「エネルギー」とか「根源的同一者」とか。

円環型空間、ならびにそのような場で行われる芸能は、「描写」「写実」といった近代文学以降のテーマよりも原始的で、パフォーマーも、いわゆる「演技」をしてない場合も多々あります。でも何かをやっている。「何か」をやってるけど、「誰か」をやってるわけじゃない。

パフォーマーが自分ではない何者かを自身の体で表現する、その「何者か」は水平方向、連続した地続きの平面上に存在する、つまり自分と同じ人間を演じるのが、まあいわゆる「演技」だと仮定(あくまでも仮定ね)すると、円環型の場合、表現対象が垂直軸方向、つまり天上に存在する(ってことになってる)超越的な何者かであることが多いんじゃないか、と。ちゃんと勉強してないので飽くまでも想像なんですが。円環内部で発生するエネルギーは、最終的には垂直方向に昇っていくイメージがあります。垂直方向上の天とか超越者って、要するにアンタッチャブルな存在で、 だから描写なんて不可能で、そこから逆に謎のエネルギーと飽くなき工夫が投入されるという、いわゆる「否定神学(©東浩紀) 」の構図ですか。まあ、これも俺は結構好きで、偶像崇拝に陥る危険性を避けながら神へギリギリのピンポンダッシュを狙う、というね。

あとでまた触れると思うけど、今のところ包囲型の魅力を味わえるのはスポーツ観戦かなと思います。ただ、スポーツの場合、戦いあうチームなり個人も含むので、対向型の要素もあります。ここらへんものちのち分析していくことになると思います。

2)対向型 
包囲型と対象t系な性格を持つ対向型の特徴は、「メッセージ伝達に優れる」という点です。人間の目(視界)が前方にしか開けていない以上、背面というのは伝達にとって不要な外部となり、隠されることになります。



W・ガブラーは、こういた対向型の芸能空間について、演技者が自分の後を見せたくないために、壁の前に立って演技をする場合を引き合いに出して、これを「演出」行為の始まりとして捉えている。

このような演出の介在は、向かい合う二つの集団に、意識の上で幾ばくかの距離を生じさせることを意味している。むしろ対向型の芸能空間は、この集団間の距離、言い換えれば異質性を積極的に利用しようとするところがある。自分が何者であるかを常に意識することにより、向かい合う他者を理解させる仕組みを持つからである。

 「自分が何者であるかを」というのは、1)包囲型が不得意とされている「内省」ってやつですね。客席と舞台の分割、異質性への意識、に基づいてメッセージを発する。包囲型の垂直性に対して、ここでは明らかに水平性への志向があります。

そしてこれら2つのオイシイとこ取りを狙うのが

1+2)扇形型  です。



この型については、このレポート連載の後半で触れることになるので、ここでは飛ばします。

3)道行型
 これまで触れてきた包囲型、対向型、扇形、は劇場やスタジアムで鑑賞、観戦した経験がある方には馴染み深いモノだったと思います。ただ、忘れてはな らないのが、この道行型です。チケットを購入しシートに座して観ることに慣れているとつい忘れがちですが、この形式もひじょうに基本的、歴史的な芸能空間です。




筆写は、芸能の発生を神事に求め、諏訪の御柱祭や京都の祇園祭、高岡の御車山などを紹介しつつも、

しかし、これら道行型の芸能の多くが、神迎えの儀式から発達したからといって、この形態をとる芸能の全てが神儀性を持つということにはならない。むしろ、もっと広い芸能行為の基本形態として扱うことができよう。  

と してます。

歴史的視点を外し、純粋にその形態と効果に着目してみれば、このように言えます。

N・シュルツが、「通路に沿って途中で何が起こるかということがこれから到達すべき目標とすでに背後にある出発点との対峙によって醸し出される緊張感に付け加えられる」と述べているように、通路はそれに付随する諸要素を組織させる強い軸として、ひとびとに目標と出発点を想起させる力がある。

閉じた空間内で行われる芸能の多くが(物語形式を採用してるかどうかに限らず)その「始まり」と「終わり」を時間軸上に設定しているのに対し、道行型では、それらは空間座標上に設定されることになります。

余談かつ私事で恐縮ですが、拙作「搬入プロジェクト」は、大きく分類すればこの「道行型」といえるでしょう。ゆえに性格な上演時間の設定は出来ません。ゆるめの環境でやる分には問題ないのですが、きちんとタイムスケジュールが管理されたフェスティバルやイベント等ではそれを理解してもらえなくてちょっと苦労しました。今後もきっと苦労するな。



芸能を[TIME IS MONEY]の軛からもっと解放しようよー、みんな!

・・・・・・・・・・・・・・・・・
で、話を戻します。「搬入プロジェクト」では明確な終わり(搬入完了)が設定され、参加者の殆どは最初から最後までその場にいますが、多くの道行型芸能の場合、行列は非常に長く、またその行程も数キロに及ぶので、一箇所にとどまった観客は全ての行程を一度に観察はできません。

つまり、一観客の立場に立つなら、始点と終点は想起されるものの、意識的に潜在化され、表面的には行列という行為の継続のみが提示されることになる。

この考察は結構面白いと思うんですよね。何が面白いのか未だよくわからないし、自分の作品に落とし込めるかどうかも不明ですが、想像的な始点/終点が観客に内面化されてる状態ってのは、これもいうなれば一種の負荷で、何かに利用できそうだなと感じています。

で、このような長い長い道行型を区切ったものとして現れる形式が

3’) 限定道行形 です。
つまり、通常の道行型では潜在化していた始点と終点が、ここでは顕在化し、道行きの線も線分として限定されています。



我が国では、物事の導入や完了が重視され、儀式化する傾向があるとよく言われるが、演技者の入場や退場も線的な運動を持つ自立した芸能行為として扱われることが多く見られる。 

限定道行形の形態は、この他にも、能の橋懸りや歌舞伎の花道などのように、建築空間を構成する語彙として固定された型で作られているものもある。

著者はこのように↑記述するけれど、
道行型の亜種としての限定道行形、って見方に縛られると見逃すものがあるかも。「橋」「花道」って言葉が示すように、限定道行形は、その空間自体が何らかの形象を伴って設えられることが多いです。逆に考えれば、「橋」なり「花道」がなければ彼岸と彼岸は渡れない、そんな装置として考えることも可能です。いや、「橋」があることで彼岸の存在を意識させられるのかな?鶏と卵の話みたい。

道行、というほど距離はないけれど「門」にも同様の効果がありますね。これも一種の限定道行型装置としてもいいかも。




この項の、著者によるまとめは以下の通り↓

道行型、限定道行型の芸能空間は、このように始点と終点とが潜在化するか顕在化するかという違いはあるが、先に示した包囲型、対向型、扇形型という空間の静的な拡がりよって特徴付けられる一連の芸能空間の基本形に対して、運動、即ち時間の変化を基本とする動的な性格によって特徴づけられる芸能空間の基本型といえるだろう。

…なんだけど、サラっとしすぎで、俺はどうも引っかかる。
 限定通行型はもっと掘り下げる必要がありそう。
舞台でも客席でもない異質な空間として、更に分析してみたいです。

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2012年3月24日土曜日

悪魔のしるし新作参加者募集のお知らせ

この秋に新作を上演(たぶん演劇作品)することになったので参加者を募ります。
出演者だけでなく、演劇公演を打つ上で必要と思われる様々な仕事を様々な人と共に作りたいと考えています(が、基本的に演出家の独裁です)。
興味ある方は、以下の案内をご参考の上、お気軽にご連絡ださい。



【タイトル】
未定

【ジャンル】
おそらく演劇


【内容】
歴史とか家系、土地(site)を主題としたフィクション作品(ドキュメント成分含む)

【日時】
2012年 9/27~30(上演 4~6回予定)


【会場】
KAAT(神奈川芸術劇場)中小スタジオ

【演出】
危口統之(ちゃんとした戯曲を書くかどうかは未定)

【準備期間】
 5月~9月

■5月中…WS
オーディションを兼ねてワークショップ的な催しを数回開きます(基本的に週末)。
いわゆる演劇のWSではなく、単に絵を描いたりメシ作って喰ったり読書会したり、かもしれません。
絶対に毎回参加しなきゃ駄目、なわけではないです。
要は、演出家として各人のパーソナリティを知りたいというわけです。
参加料などは特にありませんが、実費を頂く場合があるかも知れません(画材や食材など)。 


◆WORKSHOP日程(5/2現在)
5/12 写生大会 野毛山動物園
5/17 稽古形式 森下スタジオ
5/28 稽古形式 森下スタジオ

■6月~7月…稽古
WS参加者の中から選抜し、或いはこちらからお声がけした方も加え、出演者+スタッフから成る製作委員会的な集まりを組織します。 
悪魔のしるしは、「危口の思いつき+公演ごとに集められたメンバーの協力」というかたちでいつも作品を作っており、今回も同様に進めていく事になると思います。

7月末をメドに、いったん作品を完成させます。

■8月…自主練
信じがたいことですが、演出家は 別の仕事でまるまる一ヶ月海外に行く予定です。
残されたメンバーの自発的な練習や準備を祈るばかりであります。
便利な便利なインターネットの力なども借りて、できることは可能な限りやります。 
これも本作に与えられた条件のひとつなので前向きに活用します。

■9月…仕上、本番
演出家が9月上旬に帰国したらすぐに仕上げ作業に入ります。
舞台美術や衣装といったスタッフワークもここから佳境になると思います。
小屋入りは9/24です。

【報酬】
 観客動員(チケット収入)や、現在申請中の各種助成金の成否次第ではありますが、そんなに立派な金額ではありません。
額面の多寡については、スタッフ/出演者に関わらず作品への貢献度から判断して主宰/演出家である危口が決定します(監修として制作担当田辺が就きます)。
なお、専業のスタッフ(舞台監督や音響、照明プラン+操作など)にこちらから依頼した場合は、なるべく正規のギャラをお支払いいたします。

【注意】
演出家危口は性格に幾分か問題が有り、それをひとことで言えば、
「他人に出会った時、ビビる もしくは 舐める、その二種類しか応対方法を持たない」となります。
ビビった相手には尻込みし、事態の進展を徒に遅らせ、一方で舐めた相手には無茶ばかり要求します。そして公演が終わる頃、徐々に敬意が芽生えてきます。こういうところは本当に良くないと思うので、この作品を作る過程で人間的に成長したいと思ってます(希望)。

【応募申込】
件名を「悪魔のしるし9月公演参加希望」とし、

・氏名(芸名がある場合は併記)
・連絡先 (メールアドレス、電話番号)
・所属(劇団、集団、フリーランスなど)
・職業(アルバイト、学生、会社員など)
・悪魔のしるしの活動を見たことがある/ない(ある場合は感想も一言)
・希望参加形態(俳優として、美術として、衣装として、自分でもわからない、など)
・得意分野(演技する、でかい声を出す、絵を描く、映像を撮る、編集する、料理する、寝る、、など「動詞」で表記してください) 

を明記の上、こちらまでご連絡ください↓
akumanoshirushi@gmail.com