2013年8月31日土曜日

備忘録 九段下




昨晩、思うところあって公演関係者とともに靖国神社や皇居周辺を歩いてみたのだが、その途中で不思議な人物と出会った。忘れないように記録しておく。


靖国神社大鳥居から歩道橋で隔てられた先にある銅像の前。
キグチが像をよく見ようと近づくと、ひとりの男性が立っている。
黒い短パンに赤いTシャツ、頭には水泳帽のようなのを被っている。
手にはリュック、全体的にスポーティな格好。
一見すると皇居ランナーのようにも見える。
こちらの姿をみとめるといきなり話しかけてくる。

A これは何と読むんでしょう(郎次彌川品爵子)
B ええと
A ああ 右から読むのか?
B 「子爵品川彌次郎」 ですね
A 子爵!
B ええ
A 子爵というと…公侯伯子男だから
B 上から四ッ目ですね
A あなた 頭いい 東大ですね
B ? いや…
A 公爵はデュックで、侯爵は…
B 侯爵は知らないですね
A マルキですね マルキ・ド・サド
B なるほど
A 私フランス人なんです
B ??
A もう80過ぎですが(どう見ても30代後半〜40代前半)
B 男爵はバロンじゃったかな
A あら あなた西の人ですか 私は京都です
B ああ 岡山です
A ほう 岡山 侯爵はデュックですね 私フランス人なんですよ
B …?
A まあ ハーフですが ほら!(帽子を取る。金髪…おそらく人工的に染めたものだと思われる)
B はあ
A もう80過ぎて 83歳です
B それは にわかには信じられないのですが
A 昭和8年の生まれです 陸軍でね
B (だったら 軍隊に入って戦地に赴く年齢じゃないよね)
A 兄は海軍で 私は陸軍 あれっ どっちだったかな 私が海軍?
B (知らんがな)
A もう80過ぎで昔のことです
B はい
A いやあ 素晴らしい 出会いは素晴らしい 飲みに行きませんか
B いや 連れがいるんで
A ああ そうですか 素晴らしい この聖域でね
B はあ
A この靖国のね 私はガイドをしてます
B ああ そうですか(よく見ると腕にGUIDEと書かれた腕章をしている/空色の地に黒字で)
A 御霊よ安らえたまえ!
B ……
A 記念写真を!(リュックサックに手を入れカメラを探すも)どこいったかな まあいいや
B ……
A このあたりも支那人や朝鮮人がウロウロするので私 どやしつけてやったんですよ
B いやいや
A 支那ソバだの朝鮮漬けだのの臭いにおいが
B そういうのは 同意できんです
A (無視して)あいつら コソコソ逃げて行きやがる
B (どうしようかな)
A 侯爵はデュック 大山益次郎は見ましたか?
B ? 大村益次郎ですか
A ああ大村 はい大山益次郎のね あの人は土佐の生まれで
B いや 長州です
A 長州! わたしも長州の生まれで!
B (さっきと言ってること違う)
A 安倍ちゃんもね 長州でね  私 安倍ちゃんと友達ですから
B はい
A 長州人として 私は福島のことを想うと……
B ああ、原発の…
A 福島の人には申し訳ない けどあなた方の犠牲は…(泣きそうになっている)
B (あれっ これは原発ではなく戊辰戦争のことか)
A 私は……うう……うわああ(顔をくしゃくしゃにして泣いている)
B (なすすべもない)
A (いきなり大きな声で叫びだす)御霊よ安らえたまえ! …ああお気になさらず!
B ……
A うおおおおん
B ではこれで
A いい出会いだった あなた立派だ! 国立大学を出たのですか?
B (もうあんまり喋りたくない)
A 私は✕✕✕✕といいます お名前聞かせてもらえますか
B キグチです
A キグチさん 岡山には多いんですか
B ああ 結構います 木口小平とか
A キグチさんね 岡山に多いんですね
B 木口小平 知らないですか ラッパの
A (無視して)いい出会いでした!
B はい では
A 御霊よ安らえ給え!


だいたいこんなところである。
実際はもっと長くやりとりをしていたけど、内容が支離滅裂で繰り返しも多いので、うまく再現できなった。銅像の前に立ち尽くす彼に背を向け歩きながら、私は少し混乱していた。久々に出会った異物だった。

日本では学生でいるうちは他者にであう機会が少ない。普段はクラス内の小さなグループに属しているし、校外に拡がりがあったとしても趣味などを通じた快適な関係であることが多い。だから、どうしようもなく話が通じないような相手と直面するのは、社会に出て仕事を始めたあとになる。そしてその変化はいきなりなので、人によっては抵抗を感じるかもしれない。自分がそうだった。建設工事現場という、これまでとは著しく違った環境に身を投じ出会った中には、わかりあえない、あいたくない人もたくさん居た。だが、そうした経験が重なるに連れ、自分の中の社会観、世界観に変化が生じ、そしてその変化は善いものだと思うようになった。

ところが最近は、幸か不幸か舞台の仕事が集中し現場に出る機会が減って、交友関係も演劇やアート関係者に偏り気味になっていた。一面で快適ではあるが、他面では不快でもあった。せっかく築いた社会観がしぼんでいくのを感じていた。だから、昨晩のこの出会いは、決して心地よいものではなかったけれど、私の中の、調和や秩序に関する描像を再び押し拡げる契機となった「素晴らしい」ものだった……と認める。

それで、今はひとまず、彼のような、知識を著しく欠いているがしかし国を想う気持ちだけは強固、というパーソナリティがいかにして生まれるんだろうか、どうしてこれを維持できるのだろうか、なんてことを考えている。

品川彌次郎(wikipedia)

















2013年8月15日木曜日

えがく喜び

似顔絵を描いてうまくいったとき、描かれた相手やその様子を見ていた周りのひとは、わあ凄い、似てるねえと言ってくれる。ところが自分はそういわれる度に心中穏やかでなくなり、そうじゃないと叫びたくなっていたりする。いや、もちろん褒められたら嬉しいし、相手に他意はないのは承知している。ただ、似てる似てないでしか絵を観られないのは寂しいことだと思っている。



絵は、人間が時間をかけて作成する図の一種で、この「時間をかけて」というのがけっこう大事な点である。別に、何年もかけて完成させろと言ってる訳じゃなくて、ボールペンでササッと描いた絵、それが出来るまでの刹那も時間だ。その時間のうちに自分の眼と手(と、それらを繋ぐ思考)が運動した軌跡として、絵はある。

実のところ、絵を愛し自らも嗜む人間の多くは、結果としての軌跡ではなく、運動を愛している。だから観る人にもそれを感じて欲しいと思っている。全体像として絵が何をかたどっているかではなく、絵筆が、ペンが、いかに躍動したかを想像して欲しい。残された足跡から、その場で行われたダンスを思い起こし、その想像の中で鑑賞するように愉しんで欲しい。

だから、極端にいえば何が対象として描かれたかはそれほど重要ではないのだ。

しかし、我々は単なるジャンプやジョギング、腕立て伏せや腹筋をスポーツとして鑑賞するほど暇ではなかったりもする。サッカーや野球や相撲の試合を観るとき、我々は勝敗や様々な記録、得失点差や打率や優勝回数をも気にしながら、選手の(肉体の)勇躍を味わっている。

勝利への意思なくして選手の運動も発生しないのと同様に、何かを描こうとする意思なくして絵筆の運動も発生しない。これが大きなジレンマとしてある(もちろんその限界を越えようとする試みが為されてきた歴史もあるが、ひとまずここでは措いとく)。



自分は、器用貧乏だなと自嘲しつつ、絵を描いたり下手なギターを弾いたり、それよりも更に下手なピアノをときどき弾いたり、あと、こうして文章らしきものをしたためたりもしている。ヘタでもガキの頃からずっとやっていれば運動の愉しさもだんだんわかってくる。だから、より多くの人にこちらに来て欲しいなと想いながら、ものを作っている。

完成した図を観てあれこれ言うのではなく、それがある程度の製作時間を要した手仕事の結果であることを知りつつ愛でることが出来るひとを増やしたい、という気持ちがある。リテラシーとはそういうことじゃないのか。

チマブエ《十字架のキリスト》の部分のマリア像 


自分が描いた似顔絵を見て、描線の躍動を観てくれるひと、あるいは批判するにしても、ボールペンじゃなくて木炭で描いたほうがアンタの手の運動はもっと活き活きと伝わるんじゃない?などと楽しそうにいってくれる人を増やすために、これからも活動していきたい。

アンリ・マティス「生きる喜び」

なんだかひどく単純なことしか言ってない気もするが、というか、実際にそうなんだけど、大事なことなので自分に言い聞かせるように書いた。