2013年10月21日月曜日

vengeance

リベンジ

この一語がかつて流行語大賞を獲ったことも、流行らせた本人は今アメリカで苦労していることも既に忘れられているにもかかわらず、ひとびとの心から復讐 revenge の一語が消えることはない。なぜ我々は復讐するのか。復讐心を捨てられないのか。ときにそれが美徳ですらあるのは何故なのか。

欠損を埋めようとする心性が復讐を求める。穿たれた穴を埋め、秩序を回復する。しかし、ほんとうに回復は果たされたのだろうか。失われた対象とは違うもので、その場しのぎの埋め合わせをしているだけじゃないのか。

その「違うもの」が、慣習が強いる紛い物であることに我々はそろそろ気づくべきだ。
復讐してはいけない。


2013年10月11日金曜日

劇伴音楽について

気楽に書く。

悪魔のしるしの舞台では音楽を流すことが少ない。ゼロではないけど。
音楽をかけてシーンを一色に染め上げるのがちょっと恥ずかしいのだと思う。

先日ある人と話をしていて、危口は物語に興味はないのか、と訊かれた。無論、ある、というか好きだ。だから毎週たくさんの漫画雑誌を読んでいる。小説も読む。映画は残念ながらそれほどハマっていない(けど、月に一回くらいは映画館に行く)。

音楽をかけてシーンを一色に染めなくても、つまり断片や要素の集積をそのまま提示するだけでも、どうせ観客は何がしかの物語をそこに見出すだろうと思っている。星空を見て星座を編むように。類似や隣接を放っておけない人間の感性はどうしようもないし、逆らうつもりはない。

物語に興味はないのか、って問いはつまり、シーンにふさわしい音楽を見つけ、それをそれなりの音量で流さないのか?という問いと同じなのではないかと思った。

ところで自分はザクザクと刻まれる歪んだギターの音が非常に好きで、だからヘヴィメタルに目がないのだが、これを劇中で使わないのか、と訊かれたら、やはり(留保なしには)使えない。

メタルでは、ある限定された世界観を提示するために、音楽は勿論のこと、歌詞や衣装も非常に機能的な仕方で全体に奉仕することを求められる。そしてこれらの世界観の多くはファンタジーである。

そんなファンタジーをキッズたちは自分のベッドルームで聴く。メタルは、アリーナの音楽であると同時にベッドルームの音楽でもある。そうじゃないバンドもいるし、そうじゃなくなることで売れたりするんだけど。METALLICAとか。

まあ、ともあれメタルを劇伴音楽として使うなら、ファンタジックな世界観ありきで考えないと仕方がないし、だから、やるならば劇団☆新感線のようにするしかない。

ただ、自分にとってメタルのリアリティは、ベッドルームでの孤独と分けて考えるわけにはいかないので、簡単に開き直ってファンタジーへ邁進、というわけにもいかない。

そして、自分はベッドルームでの孤独をそのまま提示して共感を誘うような演劇も作る気はないし、だいたい、もうそんな年齢じゃないだろという事実もある。

要するに、音楽に、どこかに連れて行ってもらうと思うことはなくなった。
そして、演劇にも。

慎みのある態度で、自分たちはどこにも行けないし、今いる場所で地道に研究、工夫したり、或いは嘆いたりするしかないのだということを、作劇できちんと示せたらいいなと思う。








2013年10月2日水曜日

プレイバック

今回のツアーのプロデューサーであるKさんとともに朝イチから市場に装飾用の材料の買い出しに出かけ、何回か意見の交換を交わしたあと使用する資材を決定し購入した。昼前に作業場に戻り大工班と合流、搬入物体の造作を進めるも、完成に近づくに連れ心中に在った違和は次第に拡大し、見過ごせぬものとなっていった。

シンキングタイム、と言い残して喫煙所で独り沈思し、そして、午前中に買った資材の不使用を決めた。それをKさんに伝えるのは辛かったが、もうこういうことで妥協するのはやめようと思ったのだった。

所詮自己満足だとは思うが、朝に買った資材の代金分は自分のギャラから引く。

そして自分は、集団作業であり、創作と興行がピタッと張り付いている表現形式であるところの演劇の、「ゴメン、今のナシ」という台詞の言えなさについて考えはじめていた。

これが絵画であったならばどんなに楽だろう。
これが建築であったならばどんなに辛いだろう。


1)絵画
今年の初夏、5月中旬、スロヴェニア〜クロアチアでのツアーを終えたあと、せっかく欧州まで来たのだからということで、友人が出演するフェスティバルを観ようとフィレンツェを訪れた。現地で制作をすすめる友人の宿に居候し、その見返りというわけではないが、パフォーマンスの小道具として数枚の絵を描くことになった。作品中で語られるエピソードの背景となる、紙芝居風のボードだった。昔ほどいつもいつも絵を描いているわけではないので、最近はエンジンがかかるまでに少し時間が必要なのはわかっていた。最初に描いた絵は、側で見ていた友人はわりあい気に入っていたようだが、自分としては満足のいくものではなかった。だから破壊した。友人は少し驚いた、というよりは何か嫌なものを見た、といった態度で私をやんわりと避難した。自分勝手だと。

2)建築
学生時代、恩師がオーガナイズしたカンファレンスをまとめた書籍を購入し、読んでいた時のこと。建築家だらけの会議場になぜか呼ばれていた伊藤ガビンさんが、「建築って後戻りできないのが面白い」「やっぱナシって言えないのすごい」「もしそれが可能になったら建築は劇的に変わる」みたいな発言をされていたのが(正確な言い回しは憶えてません)ひどく印象に残った。


建築も演劇も、その制作過程における後戻りの出来なさ、にはなかなか辛いものがある。それでどうなるかといえば、つまり様式なるものが生まれるのだと思う。