2013年12月30日月曜日

2013年 活動記録と総括

2013年 活動記録と総括

1月〜2月上旬 Rules & Regs + ST スポット
黄金町に滞在し、英国や豪州から来た作家と交流。お題をふまえて20分ほどの作品を作り上演した。創造性を求めて今の仕事に移ったと広告代理店出身のプロデューサーは言っていたが、アート(という名目に収まっている)ならなんでもクリエイティブなのか、と言う疑問は残る。そこに悪しき「清貧思想」のようなものが紛れ込む可能性は少なくない。ひとりだけで作ったせいか、アイデア偏向で客観性を欠いた作品が多ったのも問題。自分の場合は、もっと短く(鋭く)することができたと思う。サンプラーの面白さ、利便性を発見し、その後何回も使うことになる。





2月中旬〜下旬 搬入プロジェクト#11 鳥取
鳥取大学地域文化学科による市街地活性化運動「ホスピテイル・プロジェクト」の一環として参加。搬入#03 (豊島)以来気になっていた地域とアートの関係についてあらためて考える機会として捉え、「偽祭」をテーマに仕上げてみた。実はまだ映像の編集が終わっていない。今年度内にかならず完成させる。多くの協力者に恵まれ、充実した環境で行うことができ、幸せだった。一方で、そうした人々と、無関心層との断絶は都市部以上に深いと実感。しかしこれは趣味や教養に訴えるのではなく、地縁血縁を媒介としつつ解していくべきだと思う。そのときに、作品自体の強度をも損なわずに進める方法が必要だ。先日拝聴した鈴木忠志と利賀村の話も今後何らかのヒントになるだろう。





3月 芯まで腐れ(吾妻橋ダンスクロッシング)
過密スケジュールを縫いつつねじ込んだせいで、出演者には直前の徹夜など、負担を強いることになった。作品性も結果的にはこれまでと同様、恨み節を基調としたものになってしまった。それはそれで好んでくれるお客さんも居たが、一種の「言い訳芸」なので乱発は自重したい。つまり、無理なら依頼を断れということになる。ただ、楽屋で、飴屋さんや大谷さんをはじめ、いろんなひとと交流出来るのは単純に楽しかった。この頃から、やはり(大きな)舞台に立つにはそれなりの身体が必要ではないか、と考え始めた。




4月 搬入プロジェクト#12 リュブリャナ(エキソドス リュブリャナ)
スロヴェニアでの上演。小規模ながら充実したフェスで、有能なスタッフとともにいい時間を過ごせた。いちばんの反省点としては、会場選びに積極的に関与できなかったことが上げられる。最終的には搬入できたので良かったが、狭く深く、そして長いルートだったせいで、上演が間延びしたのは事実。ただし事前に現地で調べるのも難しいので、今後同様のケースがある場合は、こちらからの要求項目を整理しきちんと伝えることが必要だと実感した。雨のせいか、一般市民の人出が少なかったのも残念だった。



5月 搬入プロジェクト#13 リエカ
ゆるいレギュレーションであるがゆえに多様な演出を可能とするこの作品の、悪いところが出た。つまり、方針を定めきれなかった。社会的政治的文脈を踏まえることに関心がある招聘側NPO並びに危口と、搬入プロジェクトはその無意味性が重要だと指摘する石川との間で意見がぶれた。また、これといった空間を見つけられず、最終的には昨年のチューリッヒの場合と同様、練り歩き的な上演になった。ただ、それでも街にとっては新鮮だったようで、喜んでくれる人も居た。カゴを使うアイデアじたいは悪くなかったと思う。ボランティアスタッフの作業スケジュールを整理する能力が欠けていた。これはソウルでも露呈する。





5月中旬〜下旬 フィレンツェとウィーンを視察
クロアチアでの上演後、いったんスロヴェニアに戻り、関係者に挨拶。現地在住の舞踏家福原隆造さんとも交流出来て有意義な日だった。不法占拠地域メテルコヴァを観られたことも大きい。その後電車を乗り継いでフィレンツェに。現地で滞在制作中の篠田千明らと合流、宿舎に潜り込ませてもらい、スタッフとして作業を手伝う。マームとジプシーなども観劇。20年ぶりに観るブルネレッスキ建築(大聖堂)はやはり圧巻だった。
マックスと連絡を取り、高速バスでウィーンへ。座席がデカいので思った以上に快適だった。現地での苦労を聴く。予算削減を目論む官僚との戦いでお疲れの様子。それとは別に、藝術の都であるという自負が強すぎるので市民の目は厳しいそうだ。危口がここで活動することがベストかどうかはわからない、とのこと。彼のアパートで一泊だけしてフィレンツェに戻る。篠田の上演初日を見届けて帰国。




6月中旬 北京視察
タイミングよくサンガツが北京公演を行うというので、以前から何かやらないかと話を持ちかけてくれていた菅野を訪ねる。当地の建築/デザイン/アートと政治の関係などについて知る良い機会となった。旧市街 Dashila 地区で何か、というか搬入できないか。現地NPO孫さんとも打合せ。半端に美味いものよりは、明らかにマズい、というか味覚の構造自体がかけ離れているのでは?と疑いたくなるような食い物のほうが面白くて、マズいマズいと言いながら笑いながら食べたことが印象に残っている。政府主導の藝術特区にも足を運んでみたが詰まらなかった。




7月中旬〜8月上旬 TACT/FEST
大阪で児童向け演劇を上演。最初はなかなか方針が定まらなかったが、7月下旬に稽古見せがあったお陰で、強引ながら方針をまとめることができた。こうしたステップを設定しておくことは、客観性を持つためにも非常に重要だと認識。しかしその後の公演でこのような機会を設けることができなかった。来年以降の活動に活かしたい。作品はけっこう上手くいったと思う。個人的には、楽屋の空間構成でいい仕事ができたと自負している(狭すぎるので3団体づつ交代しながら使う計画だったが、6団体同時に使用できるように家具や資材などを再配置した)。なんだかんだ言いつつも大勢が集まる催しが好きだ。





8月下旬 百人斬り(吾妻橋ダンスクロッシング ファイナル)
ここ2年ほど呼んでもらってるADXも、団体として参加するのは初めて。ファイナルということで、こちらから「百人斬り」はどうかと提案した。時間調整大変なところ快諾してくれた運営側に感謝している。人員集め&整理が大変だったが、最終的にはなんとか上手くいった。ただし内容的には六本木バージョンを反復しただけで、これといった進歩はなかった。まあ、この演目に進歩を求めるほうが間違っているのかもしれないが。あと、この頃から、グループ内で交わされる膨大なメーリスにみんなが疲れてきた。自分も、作品内容以前、準備段階での合意形成で疲弊することが増えてきたと感じていた。





9月 悪魔としるし
台本を書く、といっておきながら結局仕上がったのはかなり後になってからのことで、ここでも出演者・スタッフに迷惑をかけた。稽古場に見に来てくれた照明の奈美さんが「とりあえず通してみて」と言ってくれなかったら本当にやばかったと思う。TACTでもそうだったが、きちんと作品として作っていくならば役割にかかわらず全員が会した稽古見せは重要。悪魔のしるしという集団でそれをどう実現していくか、この頃から意識的に考え始める。結論としては、よほど前からスケジュールを決めておかないと無理だと思う。この公演と、続く12月公演は、公演日程を決めるプロセスがマズかった。重要な決定は、今後メールではなく直接会える場で行う。よろしくお願いします。
繰り返しになるが、「合意形成」というのにほとほと疲れていた。そしてそれは、「これがやりたい」「これでいく」と強く打ち出せない自分に原因がある。これからは自分のビジョン、欲望を強く打ち出していきたいと思う。いままでは、方針やコンセプトを伝えたとき、周囲に「?」って顔をされるのが怖くて、あまり言ってこなかった。反省します。どんなに不格好だとしても、やはり柱がなければ建物は建たない。




10月 搬入プロジェクト#14 ソウル市庁舎(ハイソウルフェスティバル)
何と言うか、たまった鬱憤を晴らしに行った感もある。そして上演も、途中で建物の扉が開かないというトラブルがあったものの、それも面白がりつつ、終えることができた。何から何までコーディネートしてくれたコ・ジュヨンさんに感謝している。市の中心で行われたフェスだったので、参加者もたくさんいてよかった。演出的にも政治色を消し、ただ単にデカい・カッコイイ物体を作ることに振ったのが良かったと思う。これは河本の技術が不可欠だった。いつも手伝ってくれてありがとう。材料選択で無駄な出費があった。これも自分が気持を素直に表出しなかったのが原因。良かれと思って周囲がしてくれることも、作品にとっては良くない結果をもたらすことがある。ディレクターとして成長したい。





11月 メタルロゴワークショップ
疲れてしまって、やる気が落ちていたけど、宮村さんがケツを叩いてくれた。結果的にはとても楽しかった。楽しすぎたので子供のようにはしゃいでいたら、「個人活動が楽しいんなら、面倒くさい舞台公演なんてやめればいいじゃん」とたしなめられる局面もあり、主宰たる自分自身の振る舞いについて考えるきっかけにもなった。個人に重点を置いた活動と、集団としての活動と、より明確に線引していく必要を感じている。参加者ごとの役割分担とそれに伴う責任の所在をハッキリと。ただ、それを対外的に宣伝・強調する必要は、まだそれほどないと思う。事実、搬入プロジェクトなどは「悪魔のしるし」名義ではあるものの、全員参加ではない。





12月 注文の夥しい料理店についての簡潔な報告
準備段階で想定外のことがいくつかあり、スタートを切るのが遅れたのが反省点。最終的には美才治さんという強力な協力者を得られたことでなんとか終えることができた。しかし、ここでも演出方針を決めきれなかったせいで作品完成度を下げてしまった。もっと面白くできたはず。一方で、金森さんは、今年はこの作品がいちばんよかったとのこと。言いたいことは何となく分かる。




まとめ

作家としての自分、プロジェクトリーダーとしての自分、それぞれ性質の違う二つの立場に引き裂かれることの多い一年だった。今後はこれらを場面に応じてきちんと使い分けることが大事だ。というよりは、作家としてビシッとすることで後者としての振る舞いも、より明確になると思う。来年は自分のやりたいことだけに集中したいし、そのほうが周囲にもいい環境を提供できると信じている。


2013年12月27日金曜日

オキナワ

沖縄出身の同居人とはわりと淡々とした付き合いで、普段は込み入った話などしないのだが、それでも全く無いというわけではなく、気になることがあれば聞きもする。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131227/plc13122710150008-n1.htm


それで、例えばさ、米兵が事件起こしたりするのってどう思ってるの? と問えば、あんなの滅多にないと事も無げに返される。基地がなけりゃ仕事無いヨー。それにほとんどの米兵は近所づきあいもしてるし、仲もいいんだヨー、お年寄りなんか牛乳とか缶詰とか頼んでお使いに行かせてるヨー、基地のほうが安いしサイズも大きいし。だから沖縄の牛乳はみんな2リットルサイズだヨー。

それで自分は、遠回りに聞こうとしたことを恥じつつダイレクトに問うてみる。基地反対じゃないの? 全然反対じゃないヨー、だって、さっきも言ったけど仕事無いヨー。基地でもってるんだヨー、沖縄は。

スカッと返してくる相手に、俺の、借りてきたような正義感はあまり役に立たないのだった。ただし観察眼は使える。「滅ッ多に」「全ッ然」というとき、ふだんからひょうひょうとしている彼の語気が、少し、ほんの少しだけなんだけど、強まる。その些細な抑揚の変化が、彼が過去に何を見たり、どんな相手と話してきたかを物語る。

自分は、こうした人びとの生活を奪うから基地反対運動は慎重に、と言いいたいわけではない。むしろ、こんな人びとは、きっと、基地が無いなら無いで、アッケラカンと生きていける強さを持っているのだ。そして、この力強さに甘える形で進められるような反対運動は、ダメだと思っている。




前衛とか先端とかについて / 石最強説









だいたい章の心のなかには、古い大きな木の方が、なまなかの人間よりよっぽどチャンとした思想を持っている、という考えがある。 

厳密な定義は知らぬが、いま横行している思想などはただの受け売りの現象解釈で、 そのときどきに通用するように案出された理屈にすぎない。 現象解釈ならもともと不安定なものに決まってるから、ひとりひとりの頭のなかで変わるのが当然で、 それを変節だの転向だのと云って責めるのは馬鹿気たことだと思っている。 

皇国思想でも共産主義革命思想でもいいが、それを信じ、それに全身を奪われたところで、 現象そのものが変われば心は醒めざるを得ない。敗戦体験と云い安保体験と云う。 それに挫折したからといって、見栄か外聞のように何時までもご大層に担ぎまわっているのは見苦しい。 そんなものは、個人的に飲み込まれた営養あるいは毒であって、 肉体を肥らせたり痩せさせたりするくらいのもので、精神自体をどうできるものでもない。

章は、ある人の思想というのは、その人が変節や転向をどういう格好でやったか、やらなかったか、 または病苦や肉親の死をどういう身振りで通過したか、その肉体精神運動の総和だと思っている。 そして古い木にはそれが見事に表現されてマギレがないと考えているのである。 

章は、もともと心の融通性に乏しいうえに、歳をとるに従っていっそう固陋になり、 ものごとを考えることが面倒くさくなっている。一時は焼き物に凝って、 何でも古いほど美しいと思いこんだことがあったが、今では、 古いということになれば石ほど古いものはない理屈だから、 その辺に転がっている砂利でも拾ってきて愛玩したほうが余っ程マシで自然だとさとり、 半分はヤケになってそれを実行しているのである

藤枝静男「木と虫と山」


先日研究者/映像作家の菅俊一さんとお話してたら、石が最強なんじゃないかということになった。といってもこれは木や草に比べてというのではなく、ログの保存のことである。いまわれわれは日々膨大な量のログを記録し続けているが、その実態はただの電子情報の集積で、いざというときこれでは心もとない。その点、石ときたら万世を越えて保存する。

「刻石」


そんな石の「最先端」は、樹のような、伸びていく先の細い先端ではなく、まいにち少しづつ削られていく表面全体のことである。伸びていくんではなく、削られていく、消えていくのが石の形態推移の基本である。

しかしそろそろデータ保存を担う液体が出現しても良さそうである。それを飲みたい。





2013年12月26日木曜日

続き / 創意のふるさと

シェアされたり何だりで昨日の記事を(この過疎ブログにしては)沢山のひとに読まれたようで、今日も劇場に行くと、いきなり「読んだよ」と言われたりして肝を冷やした。しかしこうしてインターネッツに記している以上、そうした可能性は常にひらかれているのだし、いまさら恥ずかしがっても仕方がない。それに、さかしらに原広司など引いてきて巨匠にイチャモン付けようってのか、なんてつもりも毛頭ない。

でも、イチャモン付けられるってのは、ある意味リスペクトの裏返しかもしれない。確固たる不動の柱がそびえ立ってるおかげで、自分の位置を測れるというか。名作/達人の放つ光に照らされてみずからの立ち姿を知るというか。アヤフヤな光じゃ、こちらの輪郭もよく分からずじまいだし、やっぱ強いもんに出くわすことが自分を知る一番の方法だ!と再確認した次第。で、今日書こうと思ったのはそういうことではない。

鈴木忠志はみずからの藝術の達成のため、より集中できる環境を求め利賀に拠点を移した。静かな、邪魔立てするものがない山中に篭った(もちろん現実には、村人たちとの、ときには誤解も含めた交流があった / その辺りの話も面白かった)。信念と方法を持つ人には集中できる環境が必要なのだ。

いっぽう我が身を振り返れば、これだというアイデアや仕事ができたのは、いつも決まって誰かの眼を盗むようなシチュエーションに於いてだった。その原風景は小学校時代、授業中に教師の目を盗んで描いていたマンガである。そんなことを30余年続けてきたせいで、この悪癖はもうすっかり体質になってしまった。いわばこれが俺の「クリエイティビティのふるさと」である。だから、

俺に環境を与えるな!
いや、じゃなくて、とりあえず環境を与えろ!
そうしたら全ッ然別のいい仕事をやってみせるから!
てなもんである。

冒頭に書いた「ブログを読まれること」についての言い訳と同じで、バレるかも、怒られるかも、と冷や冷やしながらやるようなのが何故か乗れる。この心理を見事に活写したのが深沢七郎の小説「絢爛の椅子」で、この掌編については同タイトルの批評を若かりし頃の金井美恵子も(カフカ「判決」なども絡ませながら)書いていて、これがまた面白いんだ。

いま、恐るべき重力増幅装置(ホットカーペット)に捕らえられているので、本棚まで行くことができない。興味ある方は古本屋とかで探して読んでみるといいと思う。



巨匠のありがたいお話を聴くフリをしながら描いたラクガキを載せておく







(続く)






途中経過

縁あってここ最近は吉祥寺に通い先達の教えを請う日々である。

http://www.scot-suzukicompany.com/kichijoji/pdf/suzuki_school.pdf

その仕事は何から何まで筋が通っており、これは狂気だと思った。
病的な真っ当さに貫かれている。ならばそれは健康ではないのかと問う声もありそうだが、完璧な真っ当さというのは反自然的なのだ。例えば砂糖、味の素。味覚への刺激のためだけに精製されたあれらの品々は自然界には存在しない。ひたすら人間による人間の人間のためだけのものである。この精製というのが、人間独自の営みであるし、芸術作品もまた精製されるものである。

というようなことは、私は以前からヴァレリーの言葉を通じて学んでいた。


などなど。詳しくは https://twitter.com/Valery_BOT を参照されたし。
自分にとってSCOTの仕事はヴァレリーの言葉を裏打ちするものであったといえる。
だから、表面的なな好悪を超えたところで興奮した。

見せる対象として、まずは神があり(だから演技は中心性・正面性を意識したものになる)、時代がくだると近代的市民像があり(そして演技には横への意識が加わる)…と鈴木忠志はまこと明晰に歴史を説いてみせた。ならば御自身は一体何者に見せようとしているのか…とは、ついに聞けずじまいだったが、もしかしたらそれは「テスト氏」のような、ポスト近代的市民だったのかもしれない。そういえばあの奇妙なテキストは、語り手がテスト氏と劇場で出会うシーンから始められるのだった。



一方で、すべての細部が正しく全体に奉仕するその真っ当さをある種の機能主義(ファンクショナリズム)として見做すことが許されるならば、それに対する批判もありうる。たまたまここ数日読んでいた本だが、妙に気になる箇所があったので引いてみる。文中の「建築」と「演劇」と読み替えても差し支えないと思われる。

一方ヘゲモニーをめぐるたたかいでの機能主義の敗北は、俗な言い方をすれば彼らが詮索しすぎたとか、余計なことに首を突っ込みすぎたところに原因がある。彼らは、人間とは、社会とはと問い詰めていった窮極に建築の「標準」があると考えたから、近代の構造からすれば本来自由の領域に任せておくべきところを、具体的に集団の在り方や人間の生活をいくつかの範疇に分解し再編するといった余計な手出しをしたのだった。また、彼らは浪漫的なるがゆえに新たな社会や人間を想定できず、たとえば中世集落に範をとった。今日的であることを強く意識するがゆえに現在時のものの在り方を追い、人間像は過去に遡行するという奇妙な分裂を起こした。機能主義的な態度からでてくる建築は、いずれにせよ拘束性の高い建築、ある空間領域での行為が指定される建築である。なぜなら建築の決定因に関係性が関与してくるからである。近代社会の延長としての現代社会にあっては、この行為の仕方の先験的な指定はタブーである。
(均質空間論 / 原広司)


あらためて書き写してみると、そのまま「演劇」に読み替えるには無理のある箇所もあるが、それでも舞台上で何が起こるのか、何を行わせるのかが一種の設計行為であるならば、かなりの程度この批判は有効なように思われる。

続く






2013年12月9日月曜日

注文の夥しい料理店についての簡潔な報告についての所感 3

01 どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません。

どんな人間でも舞台に立つことはできる。

02 ことに肥ったお方やお若い方は、大歓迎いたします。    

ただ、未経験とはいえ、なにかしら特徴があったほうがいいのは確か。

03 当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください。

素人に熟練技術を強いるような無茶はしないけど、そのかわり、
人それぞれに特有の仕方で負荷をかけることはあると思う。

04 注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえてください。

出来ないことは強制しないが、できることはなんでもやってもらいたい。

05 お客様がた、ここで髪をきちんとして、それからはきものの泥を落としてください。

私生活のこだわりを舞台に持ち込むのはやめて欲しい

06 鉄砲と弾丸をここへ置いてください。

鋭い批評意識とか要らないし、勘弁して欲しい

07 どうか帽子と外套と靴をおとりください。

先入観を捨て、自分は絵画における絵の具のようなものだと思って欲しい

08 ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、 ことに尖ったものは、みんなここに置いてください

とにかく、自分が自分であることを主張しないで欲しい。
登場人物に名前はあっても、舞台上の人間に名前はないのだから。

09 壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。

話すときは、ゆっくりでもいいのでハッキリと伝わりやすい口調で話すこと。

10 クリームをよく塗りましたか、耳にも塗りましたか。

周囲の動向にも気を配って。

11 料理はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。
 すぐたべられます。 早くあなたの頭に瓶の中の香水をよく振りかけてください。    

ここまでをクリアできたら、もうだいぶ自分は消えてるだろうし、だいたいOKだけど、
せっかくなので、自分に与えられたタスクを如何に上手く遂行するか、
そんな欲を少しくらいなら持ってもいいと思う。


12 いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。
  どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。 

体をほぐして、楽に。



13 いや、わざわざご苦労さまです。大へん結構にできました。 
  さあさあおなかにおはいりください。 

そんな感じで、ひとつよろしくお願いいたします。


リミニプロトコルやガネーシャ〜を先週観た(観てしまった)ことは、影響していると思う。かといって記憶を払拭するのは無理だし、ならば自分なりの返歌として小気味よく歌おうと思う。パクリは(珍しく)やってないので、そこは安心してください。あ、ただ、2、3箇所似てるところあるかな…いや、もちろん、観る前から決めてたことなんだけど!