2012年11月27日火曜日

観光地とは土地の演技である(2)

演技と観光地を結びつける考えが自分の中にいつ生まれたのかはよくわかりませんが、それほど昔のことではありません。悪魔のしるしの活動が本格化するにつれ、何でもかんでも演劇のアナロジーで捉えるような思考の癖が悪化し、その過程で見出した視点のひとつです。ただし、そのための材料はコレまでの人生で着々と貯めこんではきていたようで、例えば僕の故郷は観光地としてそこそこ有名な倉敷です。

江戸時代の町並みを保存した「美観地区」や、日本で最初の本格的な西洋美術館である大原美術館などを資源とする観光都市であり、同時に、瀬戸内海工業地帯の一角である水島コンビナートを有する工業都市でもあります。

集落調査の調査(*「集落調査」ではなく、これまでに実施された集落調査の調査)を行なっている友人から教えてもらったのですが、倉敷市による景観問題への取り組みは、1968年に「倉敷市伝統美観保存条例」のを設置したのが始まりで、その後1979年には「倉敷川畔伝統的建物群保存地区」の指定、と全国的に見ても割と早い動き出しだったそうです。この時代(高度成長期末期)の観光・国内旅行事情など調べると何か面白い発見がありそう。

もうちょっと地元トーク続けてみます。

町並みを保存し、完璧に観光地化された「美観地区」がある一方で、その隣に本町(ほんまち)というエリアがあります。もともとは観光エリアではなく、普通に暮らす人々の民家や商店が並んでいたのですが、その殆どは特に建て替えられることもなく、多少の改築、改装だけで生き延びてきたので、結果的には「古風な景観」+「リアルな暮らし」という、イイ感じの結合を達成し、美観地区のオルタナティブとして注目されるようになりました(といってもささやかなものですが)。

例えば古書店好きの間では有名な「蟲文庫」なども本町にあります。
http://homepage3.nifty.com/mushi-b/



本町通り。古い町家、蔵をそのまま維持しつつ生活が営まれている。
最近は観光客がこちらにも足を伸ばすので、それっぽいお店が増えてきた。
美観地区。運河沿いに並んだ蔵屋敷の多くは、観光客向けの土産物屋や飲食店として改装→使用されている。
また、通り全体に照明設備が設置され、夜間はライトアップされる。























電線を地中に埋めて綺麗な外観保持に努める美観地区と違って、本町には電信柱が立ってるし、お店の看板も張りだしてます。観光客向けのお店も近年は増えましたが、昔からあるのは畳屋さん、電気屋さん、駄菓子屋さん(10年程前になくなっちまった)など地域の人のためのお店です。言うなれば、冷凍保存と漬物の違い、といったところでしょうか。

美観地区が、「そのものになりきる」完ぺきな演技を続けているのに対し、本町はあくまでも自然体、まずは住む人達の暮らしがベースとしてあります。ぱっと見は綺麗な美観地区ですが、個々の建物は商家や土蔵という本来の機能を剥奪され、民芸品店やレストランとなっているのに対し、本町では民家は民家として、蔵は蔵として使われているという健全さがあります。

先日、外国人(ベルギー、スイス、韓国)の知人を連れてこの界隈を歩く機会がったのですが、やはりというか何というか、ウケがいいのは本町の方でした。で、恐る恐る自説_土地の演技としての観光地_を披露したところ、スイス人のマックスさんから実に興味深い発言が飛び出しました。

彼曰く、かつてシェイクスピアは、「All the world's a stage」と謳ったが、いまや「All the world's a zoo」だと。いちいちもっともだと思います。

集中力が切れた(早すぎる)ので、続きはまた今度にします







2012年11月22日木曜日

観光地とは土地の演技である(1)

こないだ別府と国東半島に行ってきました。
別府プロジェクトや国東アートプロジェクトを体験したくて。

2010年に瀬戸内国際芸術祭(島キッチン企画)で「搬入プロジェクト」を上演して以来、地方と観光、そしてアートとの関係に興味を持ち始めていたこともあり、いろいろ考える材料を持って帰ってきた感じです。

豊島に関しては基本的に良い思い出しかないのですが、そう簡単には割り切れない印象深い出来事も幾つかあって、まずは何といっても産廃不法投棄問題、もうひとつは(産廃に比べれば些細な事ですが)現地の方に「アートのひと」と呼ばれたこと。

「お兄さんも、アレか、アートのひとか?」

そういって声を掛けてきたオジさんに他意は無かったと思います。が、その屈託の無さも含め、この言葉は自分の中にしこりとして残りました。

アーティストではなく、「アートのひと」。
この響きの違いこそが、我々の日々の暮らしとアートとの距離感を表しています。しかし、だからといって島の人から「アーティスト」と呼ばれたかったか、と問われれば、そうでもない気がするし、正直いって、今のところはどうすればいいのか、どうなればいいのかよくわかりません。

瀬戸内国際芸術祭総合ディレクターである北川フラム氏は、どこかのインタビュー(もしくは彼に関する報道記事だったかも)で、芸術祭の予算に関して「文部科学省ではなく国土交通省から引っ張ってきたことが重要なのだ」と発言していました。つまり、文化事業としてではなく、観光事業の一環として芸術祭を組み込むってことです。そういえば「観光立国」なんてスローガンもありますね。国が仕掛けるキャンペーンと協働することでいろいろご利益があったのでは、と推測します。

急速に高齢化、過疎化の進む離島や僻地の、その「遅れ」「寂れ」をひとつの観光商品として売り出すこと、そしてその引き立て役としてアートが用いられること。ちょっと乱暴な整理ですが、こういうことだと思ってます。別に悪口じゃないです。


「近代の特徴のひとつは、本物(オーセンティシティ)はどういうわけか失われ、それはほかの文化の中で取り戻すことができるのだ、という信仰である」(ジョン・カラー)


我々は日々の暮らしに倦んだとき、「ここではないどこか」に自分を充足させてくれるものを求めます。そして求められる「ここではないどこか」の中身が、ディズニーランドなどのレジャー施設ではなく、離島や僻地という、いかにも「本物」っぽい対象へと変化してきているのが、何か、こう、示唆的だと感じています。

「本物」志向といえばアートもそうで、と言ってもアートのことをそれほど知らないので大したことは言えませんが、とにかく「リアル」「リアリティ」という言葉が随分幅を利かせている界隈であるとは言えます。なにか「本物」を感じさせる対象を求める人たちがいて、彼らは、アートや僻地の自然、寂れた集落に引き寄せられるのです。

で、このへんから演劇、特に「ポスト・ドラマ」とか「ドキュメンタリー演劇」などと呼ばれる運動の話と繋がってくるような気がします。

気が向いたらまた続きを書いてみます。

*今後のためのキーワード備忘録
TDL
トータル・リコール
ALWAYS三丁目の夕日
倉敷美観地区
横浜中華街
熊野三山
京都木津川浄瑠璃寺
観光資本
搾取
転用
リノベーション
ディラー&スコフィディオ「スーツケーススタディ」
リミニプロトコル「カーゴ」「資本論」
PortB
飴屋法水「いりくちでくち」
悪魔のしるし「搬入プロジェクト」
Gob Squad「Before Your Very Eyes」
フラッシュモブ
福島第一原発観光地化計画
北京・大栅栏跨界工作室
鳥取ホスピテイル・プロジェクト
フロンティア・スピリット