2014年11月9日日曜日

現場について②

昨日書いた記事の続き。

『磯崎新の革命遊戯』に「重源か遠州か」という対談が収録されている。ここでは磯崎のテキスト『始原のもどき―ジャパネスキゼーション』が中心の話題となっている。磯崎は、海外から渡来してきた概念がしだいに変形され日本的なものとなっていくことを<和様化>と名付け、これを批判した。その概要は以下の通り。

「磯崎さんの言う《建築》とは、奈良においても、鎌倉においても、あるいは明治においても、日本にとっては常に外部から招来される革命的、あるいは断絶的な存在であった。しかしその後必然的に迎える内部化、内向化の史的過程によって異質な批判力を持っていたはずの《建築》が次第にそのコンテクストに馴化し去勢されてゆくという過程であると」(対談冒頭、中谷礼仁の発言より)

そして磯崎はこの過程すなわち〈和様化〉の対になるものとして、式年遷宮を繰り返す伊勢というシステムを置いている。大局的かつ説得的なこの図式に対し中谷は現実的な視点からの批判を試みる。つまり、実際に建設を担う工人たちのことを見つめながらの批判である。

建築生産の上部構造として例えば外部から与えられた様式があるとすれば、それを支える下部構造として大工組織が保持している技術力がある。そして〈和様化〉とは、その様式の実現に期待されるだけの質を技術力が既に凌駕してしまったときに起こる現象である、と。そしてこの下部構造つまり技能組織が集団化すればするほど、その内部で蓄積される美意識は強固に継続すると中谷は言う。

卑近な例で恐縮だが、これはそのまま2年前(2012年9月)に自分がKAATで経験したこととに近い。おそらくそういうことが起こるだろうと予想した上で言い訳のようにタイトルを『倒木図鑑』としてはみたものの、不純な心持ちが災いしてか本物の倒木のようにスカッとは倒れずそのまま立ち腐れしたようなものになった。

続く。








2014年11月8日土曜日

現場について

全三ヶ所に亘る『わが父、ジャコメッティ』のスイスツアーもうち二つをすでに終え、今は最終地であるバーゼルに来ている。到着一日目で舞台を仕込み二日目にリハーサル、そのまま夜に本番、翌日すぐに移動という過酷な日程だった今までと違い、バーゼルではしばし余裕ができたのでこうしてブログなど書いてみる気にもなった。とはいえ二日間で準備から上演までを済ませねばならないことに変わりはないのだけれど。

こうした過密日程を支えているのがスタッフワークであり、それはツアーに帯同しているメンバーはもちろんだが、初演の直前にスタジオを数日間使用することを許可してくれたKAATや、その次に会場を移したとき空間に合わせた調整を一緒に考えてくれた京都の面々にも負うところが大きい。そしてスイスの各劇場スタッフもまた非常に有能かつ献身的だ。

ところで舞台と建築をいつもアナロジカルに考えるのがいつもの自分の思考パターンだが、多くの人はそれを危口が大学で建築を学んだことによるものだと捉えているフシがある。しかし同時に重要なのは一介の人夫として約十年間建設現場に出入りしていたことで、あの場で得られた知見もまた今の活動に影響を与えているのだ。

学問として学ぶ建築設計と実際の建設現場の隔たりは極めて大きく、ふつうの建築学徒は卒業後社会に出て設計事務所などに務めることでこの断絶を埋めていくことになる。それが可能なのは学生であろうと社会人であろうと「設計者」ないし「建築家」という立場自体は変化しないからだ。自分はついにその機会を持たずまま来てしまった。同じ現場にいても設計者と人夫とではあまりにも見えてくるものが違う。だから建築の意味するところもふたつに分かたれたままである。

むろんこの断絶のお陰で『搬入プロジェクト』を思いつくことができたのだから結果オーライと言われればそうなのだが、しかしここ最近は断絶に開き直ることへの戸惑いが生じつつある、ような気がする。それは「建築家と現場の職人」、そして「演出家と劇場スタッフ」というそれぞれの関係にもまた類推が働き始めたからだ。

いつも三日坊主だが、この記事は頑張って先を続けるつもり。














2014年9月17日水曜日

韓国滞在記 ②

前回(http://akumanoshirushi.blogspot.jp/2014/09/blog-post.html)の続き。

午前:
この日から日本語通訳としてカン・ミンヒョンさんが付いてくれる。彼女自身もアメリカや日本(東京芸大)でも学ばれたアーティストである。通訳の合間合間にカンさん自身の見解も挟んできてくれるのが面白い。

光化門広場に着いたあたりで案内役のジェヨプさんはここがこの国の縮図だと大きな声で言った。広場の突き当りに王宮があり、その奥に青瓦台(ブルーハウス/大統領官邸)、広場の周囲には合衆国大使館や保守系新聞社の本社ビル、そして広場でデモを続ける市民、と目に映るものをひとつひとつ指指しながら教えてくれた。ところが自分の目は彼が指差さなかったある建物に引きつけられた。


70年代末に建てられた世宗文化会館という施設。格調高めの公演や大規模なコンサート等に使用されるので、今回集まった面々にとっては身近な存在ではない。日本で言うなら東京文化会館や国際フォーラムのようなもんだろうか。コンクリートの質感を表に出しつつ、組み木っぽい窓格子など東洋的な意匠も盛り込んで格好良いと思った。いまネットで調べてみたところ設計者は厳徳文という建築家で、若かりし頃は早稲田にも留学されていたそうだ。韓国建築家協会会長だったというし、日本における丹下健三的なポジションなのだろうか。まったく見た目は違うけど、なんとなく香川県庁舎とも通じるものを感じるし。コンクリートによる近代建築構法と民族性の両立、的な。

香川県庁舎/丹下健三/1958


もっと詳しく知りたいのだがどうやらこの方、某宗教に深くコミットされていたそうで、その情報ばかり出てくるので困ってしまう。まあ、それはさておき建物は格好いいのは間違いない。スケジュールの都合もあり詳しく見られなかったがいつか内部空間も見てみたい。

そのまま光化門をくぐって王宮を見学。昨年訪れた北京の紫禁城を一回り小さくしたような感じ。北京でも思ったけど、機能性よりも観念=図式をそのまんま立体に起こしたような施設で、よくこれで暮らせたなと思うんだけど、機能主義などなかった時代だし、大掛かりな事業が持っていた権威性に触れられることもできるし、経験としては面白い。観念による建築へのムチャぶり、とでもいうか。それって戯曲と俳優の関係にも近いかもしれない。



セルカ棒で撮影してる人が結構いた。主に、というかほとんど若い女性。写真の彼女はスマホじゃなくてGoproというのがオリジナリティがあっていい。今回の来韓の密かな目的はこのセルカ棒を入手することだったりする。あんまり詳しくしらんけど、「自撮り」は既に一つの文化だと主張する声も聞くし、そんな文脈でもセルカ棒はなかなかおもしろい現象だと思う。だいたい、自撮り以外には何の役にも立たなそうなところがいい。

昼食:
宮殿を見学し終えたあと昼飯のためホンデに移動する。ホンデは学生街で小劇場などもたくさんあるエリア、ヤンさんは「シモキタザワ」のような場所だと言っていた。雨が強くなってきたせいもあって隅々まで見られなかったけど、たしかに若い人で賑わっている。自分は正直いうと「シモキタザワ」はあんまり好きじゃないんだけど、ホンデもそうなのかはまだわからない。

飯を食いながら、昨夜見たパフォーマンスの感想言い合いっこが始まる。自分の感想は、「シンプルなパフォーマンスに対して、それに添えられる音楽がエモーショナルすぎるのでは」と言った趙川さんとほぼ同じだった。

午後:
少し歩いた先にある某劇場のスタジオに場を移す。スタジオの脇にある部屋に喫煙所があるのがありがたい。周りにもすっかり危口=タンベ(韓国語でタバコの意)と認識されている。やめられるもんなら辞めたい。

ソウルを拠点とする演出家数名が加わり更に会話を続ける。自己紹介がてら「搬入」のことなどを話す。思いのほか受けがいいので気を良くする。特に、「毎日の労働=稽古、となるような作品を考える」いう発言がウケた。演劇を続けながら喰っていくという誰もが共有する問題についてひとつの解決法を示しているという点で。

日々の暮らしを離れたところに作品像を設定すると、どうしても作品のための特別な時間を日常と区分して設けないと進めなくなる。そのための劇団であり、そのための専用スタジオであり、そのための演技法であることは重々承知してるのだが、そうじゃないやり方がないかなと考えている。でもまあこれもそんなに実践的なアイデアではないなと自分では思ってる。ビジョンの提示、という意味ではいい線いってると思うけど。食う食えないという点ではそれほど有功ではない。そういう意味では新政府総理のモバイルハウスみたいなもので、作品としては具体的だけど思想としてはまだ観念レベルといいますか。アート作品なんだからそれでいいじゃないか、と自分では言いにくい(言いたいけど)。

会合の場では「right」「left」という言葉が頻出し、当然みんな「left」側から発言するんだけど、そんな単純な二分法でいいのかなと個人的にはモヤモヤしながら聴いていた。そうしたら中国の趙川さんが「ウチのほうじゃleftが体制側だから」とコメントしたのが傑作だった。そりゃそうだ、共産党だもん。

趙さんは続けて、「公的な劇場は事前審査が厳しくて自由に活動できない。だからギャラリーなど審査がない会場を使うことが多い。それでもツッコミが来ることがあるので、そういう場合は企画名を『社会◯◯』にする。『社会』と付くと一応体制側っぽくなるなので許されたりする(笑)」と、これまた面白い話を教えてくれた。となると拘るべきは表向きの保守-革新の看板ではなく硬直化したビューロクラシーとどう付き合うかだよね、みたいな話をした。趙さんはホントにジェントルかつインテリジェントで惚れてまう。

続く。






















2014年9月14日日曜日

韓国滞在記①

9/2

朝:岡山
朝イチで父の運転する車で岡山空港まで送ってもらう。これまで何度か海外には行っているが、いつも成田か羽田を使ってて地方空港は初めて。空港ビルがこぢんまりとしている。喫煙所で周りの話に耳を傾けてみると、旅行客よりも仕事で使っている人のほうが多い印象。それもスーツ着たビジネスマンではなくエンジニアふうの人が多い。4〜5人規模の社員旅行みたいな一団も。

昼前:金浦
大韓航空の旅客機に乗り一時間半くらいでソウル金浦空港に着く。機内食はオニギリとスナック菓子だった。到着後いったん喫煙所で一服。灰皿に濡らした紙を敷いているのを見て、ああ韓国に来たなと思う。他の国ではこの方法を見たことない。事前にメールでもらっていた案内に従い高速バスに乗る。運賃は1万ウォン。ホテル近くのバス停で降りキョロキョロしていたら話しかけてくる女性がおり、それが前からメールでやりとりをしていた相手だと知る。なぜか男性だと思い込んでいたので驚いてしまった。名前だけで性別を判断できるほどまだ韓国の言葉や習慣を知らない。その女性、スウォンさんにホテルまで連れて行ってもらう。

昼:ホテル
チェックインを済ませたあと、今回の企画について簡単な説明を受ける。日本人演出家と中国人演出家、そして韓国人演出家が意見を交換しあうミーティングが何度かあり、そのほとんどがクローズドでカジュアルなものなので、ネットやフライヤーなどで告知がされているわけではない。スケジュールを見るといろんな場所を歩くことになっているので、一種のツアーのような感じかもしれない。

午後:美術館
夕方の顔合わせまで時間があったので地下鉄に乗って移動、市立美術館に展示を観に行く。トーキョーワンダーサイトで知り合った米田知子さんや田村友一郎さんも出展している。田村さんの展示は実際に江戸時代に起きた事件を題材としたもので、マジっぽい部分と単なる駄洒落だろみたいな部分、相反する要素を丁寧な仕上げでまとめていた。前に都現美で観た時も思ったけど、田村さんの作品鑑賞はすごくヘンテコなもので、事前に作家が考えたことはそれこそ思いつきや駄洒落レベルのように思えるのに、実際の作品はひじょうに丁寧に作られる(専門の職人の手だったり高性能な機材なども利用される)ので、自分が何を観ているのかよくわからなくなるし、「作家の言いたいこと」なども割とどうでもよくなるというか、すーっと透明になって消えていくような感じがする。観たという感覚だけが残り、何を観たかはおぼろげにしか憶えてないような、いや、インスタレーションの細部は結構憶えているんだけど、そういった記憶を寄せ集めても作品鑑賞経験を組み立てにくいというか。



夕方:食事
夕方にホテルで再集合すると中国からの参加者、趙川さんも到着していた。上海を拠点とする演出家で、数々の文学賞も得ている理論派の方。といっても彼の地で活動を続けていることからもわかる通り実践にも長けている。高田馬場プロトシアターでの上演歴もある。

趙さんの通訳であるヒジョンさんも合流しタクシーで会合場所の韓国料理屋へ。彼女は大学で中国文学史、特に元朝時代を専攻していたそうだ。中国文学といえば史記や論語など古典のメジャーどころ、三国志(演義)や水滸伝などのエンタメ、そして後漢末〜唐代の詩くらいしか知らなかったし、そもそも元というとモンゴルのイメージが強かったので虚を衝かれた感がある。そういえば数年前に読んだ「アジア史概説」に、勇猛な夷狄が中央を駆逐し王朝を乗っ取っとる→しかし文化の面から中原の文化に染まり貴族化していく→最初に戻る、なんて記述があったのを思い出した。

天気が悪かったせいか、少し遅れていたメンバーも三々五々とあつまり一座は賑やかとなった。韓国からの参加者であるジェヨプさんも来られ、これで全員集合。他に今回の企画を仕切ってるマックス・アッシェンブレナーや、Yohangza Theatreのヤンさんなど(韓国の人達の名前が姓だけだったり名だけだったりするのだがご勘弁、現地で呼んでいた名前をそのまま書きます)。

韓国語は当然ながら英語も割と駄目なので、込み入った会話には混じれず、でもそれなりに話を合わせつつ宴を乗り切る。

夜:鑑賞
8時から料理屋のすぐそばにある劇場、というかアートスペース「Art Sonje Center」で上演されるパフォーマンスをみんなで観る。アムステルダム在住の韓国人作家Kim Sunghwan演出による作品。1時間位だったか。入場前にカバンはもちろん、携帯電話やメモ帳などもロッカーに入れるよう支持を受け、これは非常に繊細な內容なのかもしれないと思ったが、実際そんな感じだったような、それほどナイーブでもなかったというか、でもこの辺りの塩梅は上演する地域で一般的な観劇マナーなども考慮して決められているだろうし、こちらからはなんとも言えない。いくつか面白いシーンがあったけど、言葉の問題もあり全てを汲むことはできなかった。といってもそれほど台詞が飛び交う內容でもなかったのだけど。

会場を出ると雨が強くなっている。ヒジョンさんが捕まえたタクシーに乗ってホテルに戻り就寝。

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9/3

朝:市内散策
10時前にロビーで集合し、ジェヨプさんの案内で市内中心部を歩く。まず市庁舎前広場に。昨年はここで搬入を上演したときは「ハイソウルフェスティバル」開催中だったので大きなステージセットなど組んであったが、いまはセウォル号の事故を発端とする市民運動の拠点のひとつとなっていて、シンボルである黄色いリボンがいたるところに結ばれている。


しばらく歩いて光化門前広場まで来る。ここも拠点となっており、市民による占拠が続いている。参加者は様々で、事故で亡くなられた方々の遺族もいれば、これを機に声を上げたアーティストのグループなどもいる。幾つかのテントが並び、それぞれのテントでそれぞれのグループが座り込みを続けているそうだ。今年5月にタイのバンコクで見た抗議デモ(テント)のことを思い出しながら見て回った。

デモ自体とても大事なことだと思うのだが、個人的に興味があるのはテントなどの構造物。大抵の場合、その土地々々で最も安価で、最も耐久性があり、そしていざとなれば即座に撤収〜そして再構築できる構法が採用されている。

光化門前では、まず貨物用のプラスチック製パレットを下に敷きその上にアルミフレームのテントを掛けるスタイルが一般的のようだ。庇からナイロン紐を飛ばして隣のテントと連結したり、地面に打ち込んだアンカーボルトに固定したりして飛散を防ぐ。昨夜雨だったせいかビニール製カーテンを垂らして土嚢で抑えているテントも散見される。屋根から張り出している黒い網はタイでも使われていた。日差し避けだと思う。









セウォル号沈没事故は、事後処理に手間取った政府や企業への批判も含む大きな市民運動を引き起こしている。そこでは死者の鎮魂も現政府への抗議も黄色いリボンのもと一つの力として統合されている。ほんらいは異質な両者を一緒くたにしていいのかという疑問は一緒に歩いたとある韓国人からも聞いたし自分もそう思うが、イシューごとへと運動を解体するのは困難、というか無理だろう。そういうもんだろう。シンボルがそれをなさしめるのか、種々の力がシンボルを求めるのか。とにかく至る所に黄色が舞っている。



















2014年7月15日火曜日

悪魔のしるしの報告会





悪魔のしるしの報告会

搬入プロジェクト(ブダペスト)などの活動報告を踏まえつつ
滞在制作一般について広く議論する集まり


【開催趣旨】
一昨年のスイスツアー後から始めた報告会も早いもんで5回目となりました。
今回はブダペストでの搬入(5月31日上演)と、それに先立つ5月上旬に行ったバンコクでの滞在制作の様子を報告します。またこれに加え、海外レジデンス経験豊富な美術家荒木悠氏、建築家として山村の活動に協力している伊藤暁氏、YCAMで制作した「スポーツタイムマシン」が話題となった安藤僚子氏をお迎えし、彼らの経験も踏まえつつ、より活発な議論を行いたいと目論んでおります。


【日時】 
2014年 7月18日(金)19:00〜

【会場】
武蔵小山 STUDIO4
東急目黒線武蔵小山駅から徒歩5分
東京都品川区小山4-7-15 石神ビル2F




【参加費】
¥500(1ドリンク付き / 予約不要)


【內容】
前半 基調報告
1)搬入プロジェクト#16ブダペスト公演について(危口・石川)
2)バンコクでの滞在制作について(危口)
3)アイスランドでの滞在制作について(荒木)
4)神山町での取り組みについて(伊藤)
5)YCAMでの滞在制作について(安藤)

後半 議論
議題(案)
1)活動と成果の非対称性について
2)地域との関係について


【登壇者】
危口統之(悪魔のしるし)
1975年岡山県倉敷市生。1999年横浜国立大学工学部建設学科卒業。
大学入学後演劇サークルに所属し舞台芸術に初めて触れるも卒業後ほどなくして活動停止、 建設作業員として働き始める。周囲の助けもあって2005年あたりから断続的に活動再開。 2008年、演劇などを企画上演する集まり「悪魔のしるし」を組織し現在に至る。
http://www.akumanoshirushi.com/about_kiguchi.htm

石川卓磨(悪魔のしるし)
一級建築士。建築事務所NEWEST共同主宰。危口とともに、舞台や装置から観客席までを意識した「体験の設計」を担当。
http://www.akumanoshirushi.com/about_takuma.htm


荒木悠 
1985年生まれの現代美術家/通訳。主に映像を扱った作品が多く、それらは「観察」から派生している。2007年米国ワシントン大学芸術学部彫刻専攻卒業。2010年、東京芸術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修士課程修了。2011年にはトーキョーワンダーサイト国内クリエーター制作交流プログラムに選出され、TWS青山にて一年間の滞在制作を経験。
http://www.yuaraki.com/




伊藤暁
一級建築士。1976年 東京都生まれ。2002年 横浜国立大学大学院修了。2002年~2006年 aat+ヨコミゾマコト建築設計事務所。2007年 伊藤暁建築設計事務所設立。2010年~ 首都大学東京非常勤講師。2011年〜 東洋大学非常勤講師。近年は徳島県神山町の活動に積極的に関与。2014年「えんがわオフィス」がJCDデザイン賞銀賞受賞。
http://www.satoruito.com/

えんがわオフィス


安藤僚子
1976年東京都出身、山形育ち。1999年多摩美術大学美術学部建築科卒業後、インテリアデザイン事務所勤務に勤務。主に飲食店舗のデザインや業態開発などのブランディングに従事する。2013年、YCAM10周年記念祭にて犬飼博士氏とともに制作した「スポーツタイムマシン」で文化庁メディア芸術祭優秀賞(エンターテイメント部門)を受賞。
http://designmusica.com/

スポーツタイムマシン







2014年5月7日水曜日

バンコク②

普段からエアコンのない家に住んでいるので文字通りの熱帯夜でも安眠を妨げられることはない。聞きなれない、しかしとてもメロディアスな野鳥の声で気持よく目を覚ます。自分が眠っている間も人類が誕生する前もあの鳥はああして鳴いている。とりあえず表に出ると強い日差しに照らされた草花の生い茂りが目に飛び込んでくる。とにかく強い。植物が強い。高温多湿というアドバンテージを得た植物たちの暴れっぷりに感嘆しきりである。以前どこかで宮﨑駿が、「忍者武芸帳」「カムイ伝」などで白土三平が描く荒野など日本ではあり得ない、この国で人間が滅びれば緑あふれる島々が現れるだけだ、と言っていたのを見たことがあるが、ここバンコクでは滅びずとも既にして緑は力に溢れている。


バンコクで世話になる篠田千明(演出家 / ex快快)の家はバンコクを東西に貫くスクンビット通り(Sukhumvit)を東に進み、エカマイ(Ekkamai)駅を過ぎたあたりで北に枝分かれしたソイ(路地)のドン付きにある。スクンビット通りは片側二車線の大きな通りで、同時にBTSと呼ばれる鉄道も高架の上を走っており、この街を代表する動脈のひとつと言ってよい。BTSを最初に見て驚いたのはその高さで、実際に測ったわけではないが柱の細さも相まって日本の高架の3〜5割り増しくらいに見える。まだ新しい路線とあって駅構内もきれいで、高架下の雑然とした光景との対比をなしている。






前夜にコーディネーターとLINEで連絡を取った結果、会場下見は15時からとなったので、午前中は篠田にくっついて旧市街の方へと行くことにする。エカマイから見て西の方へと、BTSから地下鉄、さらに水上バスを乗り継いでいく何とも新鮮な行程だ。ちなみに今回の活動の会場のあるトンロー(Thong Lor)はエカマイの西側、つまりやや都心寄りの地区で、在タイ邦人も多く住むやや高級なエリアだそうだ。


チットロム駅を過ぎサヤム辺りから大型の商業施設の並ぶ超現代的なエリアとなるが、目的は更にその先。運河を走る水上バスからの眺めはさながら都市の断面図のようだ。この辺りまで来るともう完全に下町で、街の雰囲気もグッと庶民臭いものになる。水しぶきの向こうでは生々しい生活の姿が展開されている。







目的地に向かう途中で、反政府組織が占拠しているエリアを通過した。大きな天幕を張った下では特に何をするでもなくおじさんたちが座り込んでいる。天幕と言っても中央の大きなテントを除けば殆どは安価なビニールをロープと木杭で固定した仮設的なものだ。篠田曰く、タイの人々は「とりあえず何とかする」のが抜群に上手い、けれどちゃんとしたものはちょっと苦手、だそう。それにしても給水ホースの固定をアスファルトで固めているのには笑ってしまった。後のこと考えてなさすぎる。だがそれがいい。もちろんそんな感想は他人事だから言える。






昨年バンコクで起きたデモの話で笑ったのがTシャツ成金の話。騒動の最中、両勢力はそれぞれ赤(タクシン首相支持)と黄色(反タクシン・王室支持)をシンボルカラーとし結束を図っていたのだが、そこで篠田のある友人が機転を利かし、その色のTシャツをつくり路上で販売したところ飛ぶように売れ、けっこうな儲けを出したそうだ。何かが起これば人が動く。人が動けばお金も動く。それぞれが密接に絡まりつつ利害が相食む生態系をかたち作っている。それは道の途中で出会った立派な大樹にまとわりつく蔦葛の様相と相似をなしているように思えた。











2014年4月28日月曜日

バンコク①

飴屋さんの岸田國士戯曲賞授賞式に出席した帰りに知り合いのプロデューサーに声をかけられ何かと思ったらタイに行かないかと誘われその時は内心心惹かれつつも5月中旬に予定している次回作品の経過報告会(試演会)があるから断ったのだけど、なぜ惹かれつつ断ったのかといえばそれは責任感からではなく周囲のスタッフに怒られそうだからという誠に情けない理由からで、ところが後日その話を聞いた当のスタッフから行けばいいじゃないですかと呆気無く許可を得られたのものだから結局返事はYESとなったのだった。

行くと決まると企画者や各支援団体やら財団との調整に追われる羽目となり六本木アートナイトの疲れも癒えぬまままたぞろ徹夜で伝票や申請書の整理作成に時間は費やされ、さあいよいよ航空券の手配だと思ったら支払遅延でクレジットカードが停まっているし慌てて劇団の貯金から金を借りHISで現金購入するといった次第であった。げにありがたきは金庫番をつとめてくれるメンバーの存在である。

企画の概要も知らぬゆえどんな機材を持参すべきかも見通せずとりあえず何となくビデオカメラやPCなどまとめつつ(これまた徹夜で)荷造りして成田に向かい機内で「アナと雪の女王」など視るも強引な展開に半ば呆れつつそしてそれ以外の時間はすっかり眠りこけつつ途中ソウルで乗り換えもあったような記憶もあるが総じて現実感を伴わぬまま気づけばバンコクはスワンナプーム空港に降り立っていたのだった。

この時期のタイは暑い暑いと聞いていたが飛行機を降りてみても若干の熱気と湿気は感じるもののそれほどではないなと安心するもタバコ吸いたさに屋外に出れば柔らかな壁に押しつぶされたようなガチの熱気にがぶり寄られなるほど空港の中はあれで冷房が効いていたのだと知る。ところでスワンナプーム空港は荒々しいコンクリートとガラスの組み合わせが現代的かつブルータルでここ最近海外に行くことが飛躍的に増え各地の空港を体験することも多い自分的にも好印象を持った。というか成田がだめすぎるんだ。

今回の宿を提供してくれる篠田千明(ex快快)が出迎えてくれそのままタクシーで彼女の家に向かう。30分ほど走ってエカマイ地区についてその晩は何をしたのかもうあまり思い出せないがとりあえずセブン-イレブンでビール買って飲んで寝た。これが2日前のことである。





2014年2月26日水曜日

ジョイナス

先日蓮沼くんの演奏を聴きに行ったら途中でいわゆる「観客参加型」の企画(そういうコンセプトの楽曲)が挟まれてて、そのときは楽しんだけど色々と思うところはあった。終演後、ハシゴ観劇のため足早に劇場を出たところで知り合いのプロデューサーにばったり出くわし開口一番「ちょうどお前のことを考えてたところだ」と言ってきたのでギョッとしたのだけど、まあ、わからんでもない。

ところで「参加型」という言葉は「観客参加型」の短縮形として使われることが多い気がするのだが矢張りこれらは違うというか、大きな意味での参加型の中に、観客参加型だの、そうじゃない参加型だの、色々とあると思う。

色々とある?じゃあ列挙しろよ、なんて言われると窮してしまうのだが、これはぼくの思考の癖のようなもので、「それしかない」とか「AかBしかない」と言われると、反射的にC(第3項)は無いのか?と疑問に思い、場合によっては嘘でも構わないから捏造したりもする。そうすることで(既存の図式に負荷を加えることで)ヘンテコな案を考えようとしてきたのだ。

ぼく自身がかつて建築を学んだことを抜きにしても、演劇と建築にはたくさん共通項があって、だから(厳密さを犠牲にすれば)アナロジーも成り立ちやすいのだが、そんな類似点の中でもいちばん大きなのは、どちらも共同作業で作られる、ということではないかと思う。

演劇サークルでの経験はもちろんのこと、建築のほうでも、ウチの母校は大学祭のたびに(しかも年に二度ある / おめでたいよね)学生有志で仮設建築物を建てていたので、そういう「みんなでワイワイ」な雰囲気に耽溺するにはいい環境だった。ただ、このときは、あり余る時間を費やして議論したりモックアップ試したり、そして最終的にはほとんどその場のノリで物事を決めてたので、合意形成のプロセスについてはそれほど自覚的でなかったかもしれない。

一方で、ぼくが受けた教えは建築(学部の講師や先輩から)にしても演劇(サークルの先輩から)にしても、演出家/建築家という首謀者がいてこそ、みたいな内容だったので、建前としてはずっとその枠内で考えてたし、だからこそ生まれたナイスアイデアもたくさんあったんだけど、それからだいぶ時間が立って、その間には携帯電話やインターネットが普及したり、オウム真理教がテロを起こしたり、政治も民主党が政権とって、それで地震があって原子力発電所が爆発して、そしたらまた自民党になったり、中東では民衆の反乱があったりと、組織や事業の成り立ち、そしてその運営について再考を強いるような出来事がずいぶんあった。

その間にぼくは大学を出て、工事現場で働いて、そのうち悪魔のしるしの活動が始まって、「搬入」が色んな所に呼ばれるようになって、その背景には地域おこしアートのことやリレーショナルアートのことがあることも何となく知って、それでますます「参加」って何だということを考えるようになっていった。

・参加といえば聞こえはいいけど実は搾取なのでは?
・参加といえば聞こえはいいけど成果物ショボくない?
・参加といえば聞こえはいいけど、って、なんで参加だと聞こえがいいの?

いま「搬入」について過去の記録をまとめていたり、他にもこの問題に関連した原稿を抱えてるので、だんだん明らかにしていきたいと思います。

















2014年2月22日土曜日

制作補佐 募集のお知らせ / 受付終了しました


製作補佐募集は受付を終了いたしました。
ご協力頂いた皆さま、どうもありがとうございました!

2012年3月7日 危口統之




まいどお世話になっております悪魔のしるし主宰の危口統之です。

以前にこんな募集をして、そのときは岡村滝尾というベリーナイススタッフが名乗りを上げてくれたので事なきを得たのですが、それでもなお、やけに忙しかったりする瞬間が年に何回かありまして、特に去年はそういう局面が多発したりしまして、同じこと繰り返すのもアレなんで、サポートスタッフを募ってみることにいたしました。

【応募(もしくはお問い合わせ)】
以下の案内を読んでみて興味を持った方は 件名を「悪魔のしるし制作補佐募集」とし、

・氏名
・性別
・年齢
・職業(学生可)
・連絡先(メールと電話番号)
・制作経験の有無

以上を明記の上
[ info@akumanoshirushi.com ]


までお気軽にご連絡くださいませ。




【仕事内容】 
制作補佐。
悪魔のしるし制作チーム(岡村滝尾、田辺夕子、金森香)の下で、宣伝広報や制作進行など実務的な仕事を担当して頂く予定です。




【期間】
パーマネントに団体運営に携わるというよりは、各プロジェクトごとに参加/不参加を決めてもらう方向で考えています。

例えば直近だと、4月中旬に都内で開催される某企画。



【資格】

特に無いですが、気の持ちようとして「悪魔のしるしをサポートしたい」というよりは、この世のパフォーミングアーツを巡る環境に寄与・貢献したいって方向のほうがカッコいいし、今後の展望も開けると思います。

ちなみに今日の会議では以下の様なようなやりとりがありましたが気にしないでください。

滝「かわいい子がいい」
田「そうね(性別を問うているわけではない)」
宮「それは女性から見たときの”可愛い”なのか、それとも男から見たときの…(かわいい=女性 としか考えられない、いかにも男性的な思考回路は批判されるべきなのだろうか)」
石「そこ大事ですよね(どこ?)」
危「(語の意味は用法である)」





【報酬】
出来高制 (ブラック団体ではないと思いたい)




【採用までの流れ】
必要事項を明記の上、上記アドレスにメール

担当者と連絡を取り合い

面談

決定



ともあれお気軽にご連絡下さいませ。

きぐち



明るく楽しそうな感じにするため画像などフンダンに使ってみたのですが
やればやるほどうさんくさくなるのはどうしてなのでしょうか











2014年2月12日水曜日

Caught in a Mosh 2

前回の記事の続き。
今週末〜来週にかけてのイベントの予約が寒波に見舞われているとの情報が事務方より届いたので慌てて付け焼き刃の焼きごてを入れた素材を一夜漬けにし、その待ち時間で縄を編む所存。


core of bellsのコンテンポラリーモッシュ講座!               〜moshing frontier 2000〜


2014年2月15日(土)13:00〜/16:00〜/19:00〜
2月16日(日)13:00〜/16:00〜/19:00〜
(※各回約2時間)
(※開場は各回とも講座開始15分前から)
講師:core of bells、危口統之
会場:SNAC access
料金:1,000円(参加/見学を選べます)

『怪物さんと退屈くんの12ヵ月』第二回公演「moshing maniac 2000」


2014年2月19日(水)
open 19:00 / start 20:00(BGM 21:00~)/ close 22:00
会場:六本木 SuperDeluxe
料金:予約2,500円 / 当日2,800円 (1D付)

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MOSHについて。
単に好きだから好きで終わらせてもいいのだが、それだと余りにも個人的すぎてイベントに仕立て上げるには足らないので、これはこれで拡がりのある題材なのだと伝えてみたい。

ハードコアパンクという音楽ジャンルは、もともとパンクロックから生まれたものなので、その根底には水平的な思想がある。ステージ上で演奏するバンドは観客が属する階級の代弁者・代表者であり、舞台と客席のあいだの垣根は低い。彼が俺であったかもしれない、そう思える雰囲気がある。この場合、粗野な歌や未熟な演奏、レコードのひどい音質などは美点なのだ。

バンドが売れてビッグになっていくと現実的には垣根が設けられることになるが、それでも「精神的には垣根なんてないんだ」という幻想を提供し続ける。

これはこれで搾取のひとつの在り方だと批判してもいいんだけど、ファンの健気な想いを蔑むことなしに批判するのには繊細な手つきが求められるだろう。

月イチくらいでライブハウスに出演していたような時期が、僕にも少しだけあったのだけど、ハードコア好きなんて数としては少ないし、だからフロア(客席)はバンドマンだらけだった。まあ、これは階級的な話ではなく、たんにシーンの狭さについての話なので、論点としてはちょっとズレるか。

代表者の交換可能性、不可能性について考えることはそのまま民主主義の話にもつながっていきそうだ。我々の階級・利害を代表し拡散してくれる代表者と、われわれ自身との違いは何なのだろうか。

結局は技芸ということになるのかな、と思う。
メッセージを言葉や音楽という形に落とし込み、アピールする能力、それは万人が手にしうるものではない(けど、パンクの場合は、その能力が誰にでもあるんだということが幻想として提供される……「若者の叫び」や「主婦の声」、「弱者の政治」を標榜する政党ぽいと言えなくもない)

「万人が手にしうる」という幻想は、僕も好きだ。が、これは一種の信仰告白で、であるからこそ、その不可能性についてもよく知っている(不可能なものへ、それとわかりつつ身を投じるのが信仰である)。

僕はハードコアパンクと同じようにヘヴィメタルも好きだが、聴くときの感覚は微妙に違う。パンクが現実にとどまりその中での抵抗を呼びかけるのに対し、メタルは現実世界からの逃避として表現される。だからコンサートもある種カルト的、戯画的なところがある。

前田日明がプロデュースした「The Outsider」をパンクだとするならば、メタルはプロレスのWWEのようなものだ。観客は幻想を幻想と知りつつ、その構築のされ方を技芸として愉しんでいる。観客の様態としては「崇拝」「応援」「鑑賞」「(英雄的な存在への)同一化」などが挙げられるだろう。

MOSHがどのような動機で為されるのかは、時代ごと、地域ごと、音楽ジャンルごとで微妙に違うような気がする。音楽的にも相互に影響してきた歴史があるせいで、ハードコアもメタル(特にTHRASH METAL以降の過激なメタル)も今ではライブの雰囲気にそれほど大きな違いがあるようにも見えないが、最終的な現れ方が似ていたとしても、そこに至る過程は詳細に比較検討する必要がある。

今ではどちらのジャンルでも、ライブではMOSHするもの、という意識が共有され、つまりお約束になっている。もちろんこの点に関しても僕は批判するつもりはない。お約束だとしても、そこに血が通っている限りは生きている形式なんだから。

観客同士の連帯意識、というのはメタル/ハードコア双方に共通して見いだされる特徴だ。MOSHがその醸成に一役買っているのは間違いないだろう。少々手荒な作法ではあるが、これは一種の度胸試し、イニシエーションのようなものかもしれない。このバンドが、この音楽ジャンルが好きならば、我々のMOSHの輪に飛び込んでこい!

もうこの頃には、舞台上の演奏者たちはグル化している。代表者と我々の間にある交換可能性は潰えている。ちょっとさみしい。

メタルのライブに限って言えば、僕はMOSHではなくエアギターないしはヘッドバンギング派だ。これもやはり信仰告白になるのだが、好きなモノは自分ひとりで好きなのであって、無理に仲間を探す必要はないと決めているのだ。神に対して向かうときが人間いちばん孤独なのだ、そう考えている。

好きなバンド=神 だなんて本気で信じてるわけじゃないけど。


とにかく、MOSHについて考えることは、そのまま観客論になるし、ひいては上演藝術論になる、そう言いたかった。興味をもった方はお気軽にご参加くださいませ。お待ちしてます。


2014年2月2日日曜日

CAUGHT IN A MOSH

こんばんは危口です。
何を為すでもなく、ただただ時間と虚名だけを積み上げながら生きております。
舞台に関わり始めたのは大学入学後間違えて演劇サークルに入ってしまったからですが、では何と間違えたかというと、音楽サークルと間違えて劇研の部室をノックしてしまったのです。だって壁に「METALLICA」ってデカデカと描いてあるんだもん。そりゃ間違えるっての。

というわけでそれまでの私はヘヴィメタル、とりわけスラッシュメタル(THRASH METAL)、スピードメタル、ハードコアメタルと言われる音楽ジャンルを偏愛し、大学入学後はいっちょバンドでもやってやろうと考えていたものです。ちなみに建築学科を選んだのも、二次試験が描画+造形だけで、苦手な数学や英語の試験を受けなくて済むからでした。

かのフロイト博士が言っております。抑圧されたものは回帰すると。その通り演劇や建築に抑圧された私のメタル愛が回帰したのはよりにもよって大学卒業後、根無し草のフリーターとなってからでありました。

同じく流浪の身となった同窓生たちとバンドを組んだのが卒業間際の1999年2月頃、その後は下手なりに修練を積み、一時期は高円寺20000ボルトや横浜FADなど、その筋では有名なライブハウスで演奏し、界隈で知り合った同好の士の失笑を浴びつつもフジロック出演を狙っていたものですが、メンバーの転職転勤や私自身の演劇活動の(謎の)拡大化などが絡み合い、いつしかバンド活動は下火になってしまいました(でもまだ解散はしてません、いつかまた皆さんの前で演奏出来る機会を狙っております)。

そんな境遇にあって、なぜかライブハウスではなく舞台界隈で知遇を得たコアオブベルズの勇姿はひどく眩しく見えたものです。ハードコア音楽を演奏しつつ、舞台や美術界隈でも注目を集めるその佇まいには今でも嫉妬を禁じえません。憎い、コアオブベルズが憎い。

そんな彼らから謎のオファーを頂いたのが昨年の暮、一緒にやりませんかとの言葉に私は一も二もなく即応したのでした。やります、やりますとも。

郵便配達夫は二度ベルを鳴らすといいますが、私のハードコア愛、モッシュ愛はあまたの抑圧をかいくぐり何度でも何度でも回帰するようです。それを私自身もひじょうに嬉しく思います。ぜひ一緒にMOSHしましょう。汗と血と翌朝の鈍痛、それが私の生きる道です。





おしらせ その①

core of bellsのコンテンポラリーモッシュ講座!               〜moshing frontier 2000〜


2014年2月15日(土)13:00〜/16:00〜/19:00〜
2月16日(日)13:00〜/16:00〜/19:00〜
(※各回約2時間)
(※開場は各回とも講座開始15分前から)
講師:core of bells、危口統之
会場:SNAC access
料金:1,000円(参加/見学を選べます)
CONTACTのページより、件名を「モッシュ講座」とし、本文に「お名前・希望日時・枚数・電話番号」を記入の上、送信ボタンを押して下さい。こちらからの返信を持って、ご予約完了となります。
なお、定員になり次第、受付を締め切らせて頂きます。ご了承ください。
実演もありますので、動きやすい服装でお越し下さい。



おしらせ その②

『怪物さんと退屈くんの12ヵ月』第二回公演「moshing maniac 2000」


2014年2月19日(水)
open 19:00 / start 20:00(BGM 21:00~)/ close 22:00
会場:六本木 SuperDeluxe
料金:予約2,500円 / 当日2,800円 (1D付)
出演・制作:core of bells、危口統之
予約はこちらより。
http://www.sdlx.jp/2014/2/19




2014年1月22日水曜日

最近の様子2

続き。

かなりテキトーに書く。

こんな話ばかりしているとヘンに真面目と勘違いされることもあるが、それは違う。工事現場で働くのが面白くてハマったのと同じで、活動を続けていくうちに出くわした、「芸術文化を支援しようとする人たちや制度」が自分にとっては何だか新鮮で、興味を持ってるだけのことだ。演劇でも音楽でも絵画でも人間が人間であるかぎり虫みたいにどっからでも湧いてくる、という信仰が僕の根っこだが、これまでの歴史が残してくれた制度や様式をよく学びその先に向かおうではないか、という立場にも別に反対はしない、というかそういった立場で頑張っている方々の余禄を食んでいるという自覚は一応ある。

僕にも創造性があったとするなら、そのピークは大学の頃で、その後はゆるやかに減り続け、だいたい2007〜8年くらいに尽きたと思っている。これは悲観しているわけではなく、悲観しているふりでもなく、たんに実感としてそうある。だから、それ以後(つまり悪魔のしるしの活動が活発になり始めた時期)は、もう創造性なんてのはあてにせずやろうと思い、実際それでずっとやってきた。

みずからの内からとめどなく湧出するアイデアに期待できなくなった今の僕にとって、演劇について考えるということは、それを囲う者について考えること、観客について考えることだ。それ自体について(about)考えるよりその周囲について(around)考えてきた。

大衆演劇の「大衆」とは何だ、という話をするにあたって、一つ手がかりになるかもしれないのが、昨年末に触れた鈴木忠志の仕事だ。「歌謡曲では本当の悲しみを表現できませんよ」と鈴木にいった武満徹らへの反論が、パンフレットには書かれていた。

SCOTの舞台作品に使われていた歌謡曲は昭和中期のものが多く、僕のような世代にはいまいちピンと来なかった。ただ、歌謡曲が使われているという事実と、それを使うことを良とした演出家の判断を知ったに過ぎない。それが流行していた時代の雰囲気を知らずとも、よい歌謡曲には世代を超えて伝わる大衆の真理が内包されているはずだ、という意見だとするならば、こちらの耳が未熟でしたと反省するほかはない。

世代を超えて伝わるものがあるはずだ、という立場で流行歌を作詞作曲することは可能だろうか。そんな疑問が残る。徹底的に「今」に淫した末に産まれるのが流行歌というものではないだろうか、とも思う。いま僕は、かつて一世を風靡した高松伸の建築なんかを頭に思い浮かべている。あれらは建築というよりは歌みたいだった。

鑑賞後の質疑応答の時に、流行歌を使うならもっと新しいものにアップデートすべきではないか、なんて聞こうと思っていたのだが、結局聞けずじまいだった。時間切れや気後れのせいではなく、他の人から出た質問への回答の中で、僕のこの疑問への回答となるような言葉も含まれていたから、それで満足したのだ。ところが、それがどんな言葉だったかをもう忘れている。

自分でも何がいいたいのかよくわからないんだけど
とにかく思いつくままに書き進めてみる。

流行歌を使うということは、ある特定の楽曲をコレと決めて使うことではなく、ひたすらそのときの流行歌を使い続けることではないかと思っている。思ってはいたものの、大衆演劇を見に行ったら、実際そうだったので、逆に驚いている。客席を埋め尽くす年配のご婦人たちを置き去りにするかのような、トランス調のJポップが爆音で流れていたのだから。


気が向いたらまた続きを書いたり書かなかったりする。




























2014年1月20日月曜日

最近の様子

新年あけましておめでとうございます。
悪魔のしるし主宰の危口です。
今年もよろしくお願い致します。

年明け以降は次回作のため郷里倉敷に逗留し、家事手伝いなどしつつぼんやりと準備を開始しているところです。ろくに仕事もせず読書三昧、そして父に命じられるまま庭木の剪定などしながら落ち着いた生活を満喫しているのですが、ツイッターなどから在京の友人知人たちの様子を窺い知ることもできて、やはり東京にはたくさん催しがあるなあ、と離れてこその実感もあります。

僕はもともと活動的な性格ではないし、様々な催しの様々な評判など目にしても、結局足を運ばずじまいで、それは結局どこにいても変わりないのですが、それでも多少の刺激は欲しいということで、昨日は近所の健康ランドでかかっている大衆演劇を観に行きました。

大衆演劇。ただの名前といわれれば、まあ、そうなのですが、それでも「大衆」の一語を冠したジャンルというのは、助成金や現代小劇場解釈流通共同体の恩恵に与っている身としては、ちょっとした緊張を感じずにはいられません。大衆とはなんだろう。ところで、僕の大学時代の恩師は、建築設計や都市計画は市民のために行うのだと事あるごとに言ってたのですが、僕はこの「市民」というのもよくわからない。わからないながらも、市民と大衆、それぞれの意味するところが微妙に違うということは感じとれます。

うちから歩いて10分くらいいくと倉敷駅前の中心街で、その一角にある喫茶店のマスターは父の同級生であり、また、かつてはプロとして、いまでも自主で映画を監督してたりと、なかなかに文化的な方です。そのマスターが遊びに来いというので時々父とともにお茶しにいくのですが、たいていは倉敷の文化行政への批判を聞かされます。「市民の手による文化政策を」とマスターは言うのですが、その市民というのが、やはり掴めない。

しかしそんな僕も活動するためにはお金が必要なので、シーズンともなれば書類に向かい、いかに自分の仕事が市民の文化的生活に寄与するか、などと嘘八百を並べ立ててきたのですが、わからないものはわからないままであって、後ろめたさも積もる一方であります。運良くお金をせしめても、結局「市民」がわからないせいで手が縮こまって動かない、仕方がないのでその動かない動けない自分の様子を描写するしか無い、というのが、言ってみればここ数年の僕の活動だったわけで、それ以前の、よく言えば野放図な、悪く言えば傲岸な仕事に着目してくれていた友人からは、励ましやお叱りなどをいただくこともあります。大衆演劇を見に行こうと決めた背景には、そんな事情もあったわけです。

気が向いたらまた書きますが、面倒くさいので書かない可能性もあります。