2011年12月14日水曜日

桜の園的であること

前回このブログで紹介し好評頂いた次回公演チラシですが、その形状の特殊さや、何よりも印刷枚数の少なさゆえ、いずこに置くか、どこで配布するかと制作陣営内で事態は紛糾し混乱の極みに。

団体主宰としてもいささか疲弊しましたが、まあこれは分かっていたといえば分かっていたこと、などと概観するのはまだ早い、チラシが市井にお目見えしだすのは今日明日あたりからで気は抜けません。

身近な人はとうにご存知ですが、悪魔のしるし は所謂劇団とは違った出自でして、じっさいに演劇活動を経てきた人間は、主宰の危口が学生時代演劇サークルで活動してたことを除けば、誰一人としておりません。

それが個性でもあり、また弱点といえば弱点でもあり、演劇(というよりは興行・公演の)経験者としてはつい不満を感じてしまうこともありますが、個性も弱点も元を辿れば同根だったりもするので、根絶やしにするのは角を矯めて牛を殺すようなもの、このまま工夫していきたいと思います。

と、愚痴っぽくなりそうな気を抑えつつ、ふと冷静になって振り返ってみればここ数日のチラシをめぐる混乱は実に「桜の園」的状況でありました。

(チラシの扱われ方に関して)最高の理想的状況は全員で共有してそうな感じなのですが、よくよくみれば各人が抱く理想像のディテールはそれぞれ微妙に異なり、そのせいで会話がギクシャク、メーリングリストの受信数はうず高く積もっていくものの事態は進展してるとは言いがたい…そこかしこにロパーヒン(人情を排した正しすぎる主張を繰り返し皆を白けさせる)が、ドゥニャーシャ(自分のことでいっぱいいっぱいで周囲に対する配慮に欠ける)が、そしてラネフスカヤ(目先のエレガンスに溺れてご利用を計画的に考えられない=危口)が居ます。それに気づいていま自分は静かに感動さえしております。

「桜の園」をプロダクト(商品・工芸品)としてきっちり制作し、上演する、そんなプロセスは"演劇"に長けた立派に劇団にお任せすればよろしい。我々は今まさに、上演=代行しているのではなく、「桜の園」そのものを生きているのだ、と。これは体のいい言い訳でしょうか? しかし当事者としては楽しさを隠しきれません。 きぐち