2012年10月28日日曜日

お知らせ イベントのご案内 [ GREENHORN'S THRONE ]

まいど危口です。
今年はスイス行ったり大きな劇場で仕事したりの機会に恵まれ有意義な年だったのですが、一方で、真面目なこと不慣れなことが続いてちょっと気疲れの年でもありました。
なのでここらでホゲ~としたものをやろうと思います。

悪魔のしるし としてではなく危口個人としてこじんまりと造ります。で、宮崎晋太朗くんと島田桃依さんが参加してくれることになったので三人で MARCH OF MISERY という演劇などをやるバンドを組みました。ジャンルはスカンジナビアン・ブラック・ドゥームです
題名の GREENHORN'S THRONE というのは 青二才の玉座 という意味ですが(グーグル翻訳さんありがとう!)語感が DARKTHRONE に似ててカッコイイと思ったので採用しました。 

☆どうなることやらでしたが お陰さまで無事 上演終了いたしました
ご来場の客様、関係者の皆様 ありがとうございました。 
ついでなんで、久々に書いた台本らしきものもここに載っけときます。 


1

こうして話している時点で
結局上手く行かなかったってことですよね
だって、ね、グラフィティの心意気ってのは
スプレー缶だけで唸らせる、その一点にかかってるんですから
あとからこうしてああだこうだ話してるようじゃ ね

(ため息)馬鹿みたい

ほんと

父がよく言ってましたよ
父は、そう、心霊写真の細工師だったんです
ご存じない?
でしょうね
30年ほど前にね、あったんですよ 
心霊ブーム
「あなたの知らない世界」
知ってます?
知らない
あなたの知らない「あなたの知らない… ドーン…

~誰も知らない夜明けが開けたとき

あの頃
昭和天皇がずーっと下血しててね
下血
お尻から血が止まらないの
毎日毎日ね新聞の一面トップにね 載ってるんですよ 数字が
毎日も朝日も赤旗も
今日は何cc、次の日も何ccってね
アレですよ 
今風に言えばシーベルト

おいたわしい って言ったの 父が
天皇陛下のニュースを視ながらね
おいたわしい って
子どもの私は意味がわからなくて
おいたわしい って
老いた鷲だと思っちゃって
鷲は死ぬときお尻から血を流しながら死ぬのかなって
カラスやスズメもそうなのかなって
トンビが鷹を産むって言いますけど
父の最後から二番目の言葉がね
「お前は鷹だ」って 
自分がトンビのつもりでね
自分は絵の才能がないけどお前ならって

苦労して何浪もしてね
やっとのことで入った美大なんだけど
途中で辞めちゃって
絵描きになりたかったんだけどダメでね
子どもができちゃって
にっちもさっちもね
行かなくなっちゃってね
小さな出版社に出入りするようになって
挿絵を描いたり
装丁したり
色々やってたらしいんですけど
心霊ブーム
来ましてね
フィルムに細工して心霊写真もどきを作る仕事にね
最初はふざけて作ったのを会社のひとに見せただけなんだけど
ひどく評判が良くて
あれよあれよですよ
いつの間にか引く手あまたになっちゃって
テレビや映画も仕事もしたそうですよ
遊園地のお化け屋敷にもアドバイスしたりして
だからあんまり覚えてないんだけど
暮らし向きは良かったと思います
家に画集がたくさんあって
モーツァルトのレコードがたくさんあって
歌うとね
父が褒めてくれるんです
(アイネ・クライネ・ナハトムジーク)
素晴らしい って
昔の思い出

ブームは所詮ブーム っていうけど
オカルトは廃れませんからね
稼ぎは減ったけど
貧乏ってわけじゃなかったし
みんなね好きなんですよ
地獄とか幽霊とかあの世とか
この世だけじゃ満足できなくて
いや
この世しかない寂しさを紛らわせ…
じゃなくて
自分たちだけでこの世の
この世にはこの世しか無い
あの世なんてありゃしないって事実…から逃げたいんですよね

cc血が流れても
何シーベルト汚染されても
逃げ場所なんてないんですよ
ずっとずっと染みこんでいくんです
この床にもこの壁にもこの天井にも

2

心霊写真細工師の心意気っていうのがありましてね
父がよく言ってたんです
ほんとうらしく、それらしく
ありもしないことをそれらしく
それだけに心血を注いでね
でも
仕事の痕跡を
自分の手の跡を残すのは以てのほかだって

父は売れっ子だったから
あの頃出た心霊写真集の殆どには父の「作…「写真」が載ってます
心霊写真集って本じたい、いい加減なものだから
使い回しもずいぶん多いんですけどね
今でも私のアパートにね
経堂に住んでるんですけど
全部大事にとってあるんですよ
私が死んだら近所の
経堂の駅の目の前にある図書館に寄付するつもりです
あそこは小さな図書館ですけど
岡崎乾二郎の「ルネサンスー経験の条件」なんかが置いてあって
ずいぶんセンスがいいんですよ
もう絶版でね 高いんですよあの本
神保町で探しても見つからないんです
いい本なんです
芸術っていいな素晴らしいなって思えてきて
そう思っていたいんです、私
だから絵を描いていて…

ずっと子供の頃から絵が好きで
クラスでもいちばん上手だったし
でも「蛙の子は蛙」でしたね
どうせならトンビのほうが良かったんですけどね
「トンビの子はトンビ」じゃダメなのかな
だったら空も飛べるはずだったのに

父がね
心霊写真細工師の心意気を持っていたように
私もね
グラフィティアーティストとしての心意気があるんです
誰の助けも借りず
誰にも知られること無く
もちろん金銭的な見返りなんて求めず
時が経てば色褪せる粗末な画材で
苦情や通報に怯えながらスプレーを吹き続けて
父はね
自分の手がけた心霊写真を「作品」って言ってて
私はそれが嫌だったんです
だって
サインも日付も入ってないし
ギャラリーや美術館に飾られることもないし
なのに作品って

私はね
私のやってることや
やった痕跡のことを作品
って言いたくはないんですよ
だったら何なんだって
祈りだと思ってます
京都のね
伏見稲荷のね
鳥居がズラーって延々と並んでるのね
アレが祈り 
ひとつ積んでは父のため ってね

だからちょっとづつ積んでいけばよかったんだけど
つい出来心で
断崖絶壁の上の
老いた鷲の巣にね
スプレーしたくなっちゃって
年老いて
もう飛べない鷲にね
祈りでも捧げようかなって
九段下の駅で降りて
武道館の横をすり抜けて
万物の霊長たる自覚でもって
選挙権のある
税金払ってる人間様としてね
おいたわしい老いた鷲を慰めてたくてね
「お前は鷹」だって言ってくれた父の為にもね
お堀に落ちたときはカエルでよかったと思いましたけど

私がHIPHOPに出会った頃…高校卒業するあたりだったかな
父の稼ぎが目に見えて減ってきて
写真がデジタルになって
レタッチソフトも充実してきて
だいぶ追い詰められてましたね
「フォトショップ」はもちろん「Mac」でさえ父の前では禁句で
ぜんぶMacのせいに父はしたがってたけど
それだけじゃ
ほんとうはそうじゃないですよね
父は
自分の「作品」を見て怖がる読者を想像しながら仕事をしてたけど
その傍で育ってきた私は当然ですし
それから
ほとんどの読者もね
わかってたと思うんです
心霊写真なんて嘘っぱちだってことを
どっかの誰かがフィルムにちょこちょこ細工してんだろうって
まさかそれ専門の仕事があるなんてことまでは想像できなかったかもしれないけど
とにかく
皮肉なことですけど
みんなね
父の仕事を「作品」として見てたんですよね

父が自分の仕事を「作品」っていうとき
私は自分の心の中に哀れみの感情が起きるのを自覚してたんですけど
それは
心霊写真ごときを「作品」って言い張る父の卑屈さに対して
じゃなくて
そんな 可憐な心意気なんて無視するように
みんな作品として
作り物として心霊写真を楽しんでたの知ってるから

小学校のとき
クラスでね
自分の親の職業について調べて発表する授業があって
わたし馬鹿だったから
大きな声で堂々とね
「私のお父さんは心霊写真を作ってます」って…
友だちよりも先生の目が辛くて
電気屋のお父さんを持つ生徒には
「誰々さんのお父さんが居ないと電気がなくて大変ですね」とか
薬屋の家の子には
「誰々ちゃん家のお店がないと病気のとき困りますね」とか
それで
「私のお父さんは心霊写真を作ってます」って私が発表したら
シーンとして
そんですぐにクラス内大爆笑
だけならいいんですけど
曖昧に笑顔してるだけで何のコメントもしなかった先生のね、あの表情はね…
でも
いまの私
もう
あの時の先生より年上だし
だからどうってわけじゃないですけど
ま、いっか、って
学校にギターを持ってきてね
みんなで歌うのが好きな先生でしたよ
いつの日も絶えること無く友だちでいよう~とか
燃えろよ燃えろよ炎よ燃えろ~とか
フォークソングみたいなのよく歌ってました
君が代はどうだったかな
こないだ人づてに聞いたんですけど
今じゃもうボケちゃって
ご家族も大変みたいで
おいたわしい とは思うけど
ま、いっか、って

3

ブレア・ウィッチ・プロジェクトって映画
流行ったでしょう
あの時 わたし気づいたんです
ああ 父はもうだめだ って
いや
経済的にはもうとっくにダメになってたんですけど
でも
あの映画見て もう本格的に
ダメだこりゃ って
素人がね樹海に入っていって心霊ビデオを撮ろうする話でね
もちろんアレだって「作品」、作り物ですよ
でも素人の素人らしさを見せてくやり方で作ってて
汚いんですね 絵が
そう
汚いって思ったんです、私は
幼い頃からいい絵ばかり見て育ってきたから
汚いものはすぐ分かるんですよ
でね
父の「作品」てね、綺麗なんですよ 心霊写真のくせに
「心霊写真細工師の心意気」が聞いて呆れますよね
「仕事の痕跡を、自分の手の跡を残すのは以てのほか」って
思いっきり残ってますから
構図とか色合いとか
計算しまくっちゃって
何いってんだか
もうウケないんですよ
綺麗なものは

デジカメやMacが原因じゃなくて
みんなの感性が
心霊…幽霊とか
地獄とかあの世とかをこの世のどのあたりに据え置くか
そのへんのセンスがね
変わっちゃったんですよね もう
みんな
それは父もわかってたはずで
だから母が死んだわけで
馬鹿ですよね
ほんものの心霊写真なんて
あるわけないのに
ほんもの欲しさにね

後はご想像にお任せしますけど

ともあれ
カエルの子はカエル ってことで
何がほんものか
私もよくわかりませんけど
まあ
生きとし生けるもの
鷲も
鷹も
トンビも
カラスも
スズメも
カエルも
あと
木も虫も石も
床も壁も天井も
あれこれひっくるめて

おいたわしい

ですよね

これで
私の供述を終わります 


  TRANS ARTS TOKYO   パフォーマンス部門 参加企画 
[GREENHORN'S THRONE]

【原作】たぶん「絢爛の椅子」深沢七郎など
【作/演出】たぶん危口統之
【出演】MARCH OF MISERY (J peach みやしんラーメン KIGCH)
【ジャンル】たぶんスカンジナビアン・ブラック・ドゥーム演劇
【上演時間】たぶん30~50分くら

 【とき】11月4日(日) 16:30開場 17:00開演

【ところ】  旧東京電機大学11号館 3F、B1F、B2F

 【チケット】1500円(全席自由)
件名を [11/4パフォーマンス観覧希望] とし、
1) ご予約回
2) 人数
3) お名前
4) ご連絡先電話番号 を明記の上
reserve@kanda-tat.com 
までメールにてお申込みください

※入り口にてTrans Arts Tokyo参加料500円(会期中何度でもはいれるパスポート制)が別途かかります。


 【イベント概要】
元実験室で繰り広げられるサイトスペシフィックな身体表現 
ダンス批評家であり「吾妻橋ダンスクロッシング」オーガナイザーである桜井圭介と
ダンサー・KENTARO!!のキュレーションによるダンスプログラム。
11月4日(日)と11月25日(日)の2日間にわたり大学の元実験室でパフォーマンスが繰り広げられます。
詳細→ http://www.kanda-tat.com/project/011.html
  
11/4の出演者は 以下の三組
Abe “M”ARIA http://www.youtube.com/watch?v=wneSch2-Evo
危口統之           http://www.akumanoshirushi.com/about_kiguchi.htm
core of bells   http://coreofbells.com/

※危口の出番は2番目。たぶん17:30~45くらいからです。



【内容(いま適当に書いた)
IT(フォトショップなど)化の波に負け廃業失意のままに息を引き取った心霊写真細工師(*)の父を持つMは、その恨みを晴らすべく今日もスプレー缶片手に夜の街で暗躍、ヴァンダリズム精神を遺憾なく発揮ていました。しかし何というコトでしょう、神が彼女に与えたもうた画才は、怨恨の道具にするには余りにも輝かしいものだったのです。これを悲劇と呼ばずしてどーたらこーたら

(*)心霊写真細工師
80年代に巻き起こったオカルトブームに乗じて出現した、特殊な写真加工を専門とする職業。既存の写真に怪しげな細工を施し、さも怪奇現象が起きているように見せかける技術を持つ。マッド・アマノとは関係ない。