2013年11月25日月曜日

注文の夥しい料理店についての簡潔な報告についての所感 2

昨日の日記の続き。

次回公演「注文の夥しい料理店についての簡潔な報告」は、一応は演劇ということにしているが、どうなることやらまだ自分でもよくわからない。ただ、9月に上演した「悪魔としるし」で、俺が思うところの「普通の演劇」をやってみたので、その反動もあってか変なことをしたくなったのだ。その変さが狙った変さではなく、ある主題をまじめに考えた末にあらわれる類のものであるよう努力したい。

もともと俺には、「結局何をやっても演劇でしかないという」妙な虚無感が抜き難くある。何かに憧れ、それを真似ることでしか生きられなかった人間なので、何もかもが既にして演劇なのだ。(最近はこれといった憧れの対象がないので、身振りも定まらず困っているのだが、それはまた別の話)

だから、みんなの言ういわゆる演劇というのは、それが大衆的であれ、実験的なものであれ、俺の眼には、「非常に大きな演劇という営みのうちの、より見易く親しみ易く調整されたものの一群」として映る。「コショウという植物のうち、その果実だけを加工し、ラーメン屋や家庭のキッチンに置いた状態のもの」みたいな感じ。

演劇とはこういうもんだ、というルールを受け入れた上でなら愉しめるが、いったんタガが外れるとこの上なく退屈に思えてきて、寝てしまう。先週もよく寝た!

俺はルールを超えろと言っているのではない。むしろこれをきちんと受け入れ作品を愛でることができるのが大人の証だとさえ思っている。




今回の出演者は以下のとおりである。

【出演】 
明石竜也(映像編集業)
下地昭仁(揚重工)
菅野信介(建築設計 / 飲食店経営 / AM-A-LAB
神尾歩(悪魔のしるし / アルバイト〈バーミヤン〉)


我ながら変なメンツだと思うが、とりわけ異形なのが下地さんだ。12年前の12月13日、食い詰めた俺が日銭欲しさに勢い任せで入った建設会社(揚重&解体業)に、ほぼ同時期に雇われたのが彼だ。だから同期ということになる。と言っても、彼は入社直後から出張につぐ出張で日本全国を渡り歩いていたので、直に会って一緒に現場で仕事をするようになったのはその数年後なのだが。その後いろいろ(本当に色々あった!詳しくは上演作品にて語られます)あって、いまは俺と同じアパートに住んでいる。ルームシェアというやつだ。

荷揚げバイトばかりしていた頃の俺は、仕事に意義と楽しさを覚えつつも、その内容ゆえ蔑視される自分の立場に我慢がならず、全然喰えてもないくせに「本業は舞台関係(演出家、と率直に言えずに〜関係などと誤魔化しているのがまたセコい)」などとほざいていたのだが、下地さんは淡々飄々と自分の仕事をこなし、時には職長として現場をまとめ、ほとんど酒も飲まず、趣味といえばゲーム(モンハン)だけで、つまり虚飾がない人間だ。そんな彼を舞台に上げる。

ここ数年の悪魔のしるし乃至は危口の作品をご覧頂いた方にはすぐ伝わると思うが、俺は自分の分身をしょっちゅう舞台に上げ、殺してばかりいる。何でこんなことになってしまったのか、俺のせいじゃない、でも他者をも巻き込んで進んでいくプロジェクトはもう自分独りの手では止められない、死ぬか、死んだら困る人もいる、じゃあ死ぬふりでもするか、という当惑、現実逃避の現れとして、それは行われてきた。実に幼い発想で、我ながらみっともないと思うが、とにかくそういうことをやってきた。

しかしこんな自殺プレイも、結局はそれを観る観客、危口の分身を演じる俳優(人形なども含む)あってのものだ。この世には、演劇というものを好ましく思う人達が一定数存在していて、俺は彼/彼女らに依存している。プレイだとしても覚悟が足りないと思う。そこで下地さんである。彼は俺の分身が死んでもおそらく何の感興も起こさないし、俺の分身を演じることにも興味が無い。俺としても、下地さんに「危口役」を依頼するのは無茶だと思う。だから依頼はしない。ただ下地さんとして舞台に居てもらうだけである。

いうなれば、俺にとっての下地さんは、「格好いい危口を決して映してくれない鏡」としてある。下地さんの目に映る危口の姿を俺はあまり見たいとは思わない。しかし見なければならないとも思う。だから出演を依頼した。

ところで、ここまでダラダラと書いてきたようなことは、本作品にとってはそれほど重要な主題ではない。ほんのり隠し味程度のことである。

また続きを書く。


悪魔のしるし 特殊演劇公演
注文の夥しい料理店についての簡潔な報告
http://www.akumanoshirushi.com/RESTAURANT2013.htm




















2013年11月24日日曜日

注文の夥しい料理店についての簡潔な報告についての所感

お陰様で今年は沢山の制作機会に恵まれた。
ざっと以下の通り。

A Short Account of the Restaurant of Abundant Orders / December 14-15 / Yokohama /
CARRY-IN PROJECT #14 / October 3 / Seoul, Korea 
FIEND AND SYMPTOM / September 20-23 / Yokohama /
100 MASSACRE in Azumabashi Dance Crossing Final! / August 17 / Asahi Art Square, Tokyo /
OSUNU OTAMAI UKARUBEKASU in TACT/FEST / August 2-4 / Loxodonta Black, Osaka /* 
CARRY-IN PROJECT #12-13 Slovenia-Croatia tour 2013 / April-May / Ljubljana, Rijeka / 
Rotten To The Core in Azumabashi Dance Crossing 2013 / March 29-31 / Asahi Art Square, Tokyo /* 
CARRY-IN PROJECT #11 / February 24 / Yokota Hospital, Tottori city
Z≠G≒D / February 9-10 / KAAT Kanagawa Arts Theater, Yokohama /* 
* _危口統之ソロ活動)

数えてみると10回もあった。ほとんど月イチだ。普通、宣伝なども含め制作に最低でも2ヶ月はかかるという舞台芸術にあってこのペースはちょっと過剰で、だから全てが上手く行っているわけではない。こちらの不慣れや落ち度で迷惑を掛けたこともあるし、いまも掛けている。


これらの上演機会を、その枠組から大きく2つに分けてみる。主宰公演か否か、という線引である。

1)悪魔のしるしによる主宰公演
FIEND AND SYMPTOM / September 20-23 / Yokohama /
A Short Account of the Restaurant of Abundant Orders / December 14-15 / Yokohama /

2)A フェスティバル/イベントから打診され参加したもの(こちらから働きかけた場合も含む)
Rotten To The Core in Azumabashi Dance Crossing 2013 / March 29-31 / Asahi Art Square, Tokyo /* 
CARRY-IN PROJECT #12-13 Slovenia-Croatia tour 2013 / April-May / Ljubljana, Rijeka / 
OSUNU OTAMAI UKARUBEKASU in TACT/FEST / August 2-4 / Loxodonta Black, Osaka /* 
100 MASSACRE in Azumabashi Dance Crossing Final! / August 17 / Asahi Art Square, Tokyo /
CARRY-IN PROJECT #14 / October 3 / Seoul, Korea 

2)B 依頼を受けて参加した滞在制作型プロジェクト
Z≠G≒D / February 9-10 / KAAT Kanagawa Arts Theater, Yokohama /* 
CARRY-IN PROJECT #11 / February 24 / Yokota Hospital, Tottori city


こうしてみれば一目瞭然だが、自らが主体となり企画した公演は2つしか無い。そのふたつも、依頼された仕事の合間をかいくぐるように計画したせいで、スケジュールが過密となり、関係者には負担を強いる場面も多々あった。

フェスティバルなどは一年前から準備するのは当たり前、場合によっては数年単位で計画が進むこともあり、その規模は小さな劇団の計画のスケールを遥かに超える。これは、メンバー全員で足並みそろえ作らんとする結束感を脅かし、また、普段は正規非正規にかかわらず市井の労働者として生きる我々のリズムを破壊する。しかし受注するということはそういうことなのかもしれない。依頼もしくは提携公演が増加することによりアマチュア劇団は専業化していく。そのときメンバーのうち何人がそこに身を投じていくのか。フェス側はこの問題には無関心であるし、関心を持たれてもどうしようもない。

2)の枠組みに含まれるイベントの全てに、予算全額ではないにしろ、公共のお金が投入されている。というか、1)の主宰公演2作品も横浜市からの助成を受けているので、今年の活動はつまるところその隅々にまで公的資金が投入されていることになる。だから、内容には配慮しよう、と過剰に意識することは無いにしても、この事態について自分なりに考えたいことは山ほどある。しかし今は山を山としか認識し得ていない。今後は道ならぬ道を見出し、そこらにうごめく木々や虫や鳥や獣の生態を見極めていきたいと思っている。そして罠を仕掛け、獣を捕らえ、屠り、喰らう。

これは完全に偽悪的な意見だが、各種のイベントで盛り上がる季節__まあ要するに秋なのだが__になると、年度末に街のあちこちで始まる道路工事を思い出す。無駄遣いか、といわれればそうかもしれないが、実際労働者はそれで飯を食っている。完全に無駄な事業など無いし、また完全に有益な事業も無い。なんだって形になれば、本来の機能・目的とは違ったありようで使用されることを免れ得ないものだ。この文章も書いた自分の思惑を超えたところで受け取られる危険性を常にはらんでいる。

はらむ、とするならば、次に来るのは産むことでなければならない。
文章にしろ、作品にしろ。


元々は、次回公演について思うところを書いてみたかったのだが、やはりと言うか、書いているうちに逸れてしまった。また明日続きを書こうと思う。









2013年11月20日水曜日

名前について

活動するにあたって木口を危口と変えてみたのは7、8年ほど前だったか、昔の知り合いに名を検索され東京でグダグダと演劇などやっている自分を発見されたくないな、でもより広くより多くのお客さんに来てもらうためには珍しい名にして検索トップに表示されないと、とか理由はいろいろあった気がするが、どれも大したことない。つまるところただの思いつき。

ここのところ、「搬入プロジェクト」スイスツアーのため現地の協力者とメールやSkypeを通して議論する日々が続いてるけど、彼らは漢字を使わないので俺を KIGUCHI と呼ぶ。ここに木口と危口の差異はない。普段偽名を使っていることについて彼らに説明しようとも思っていない。そもそも漢字と平仮名が混じる日本語の環境を説くのに俺の英語力は貧弱すぎるのだった。

ところで、 殆どの場合ファーストネームで呼び合う欧米の習慣に反して、なぜか俺は KIGUCHI と苗字で呼ばれている。でも、東京に、日本に居てもほとんどの知人友人が自分をキグチと呼ぶのだから、今さら海外の関係者に NORIYUKI を強いても変な感じがする。中には KIGUCHI がファーストネームだと思い込んでるやつも居そうなのだが、特に気にしていないから訂正もしない。

苗字という、自分が生まれるだいぶ前から連綿と続いてきたカタチに身を任せるのはそれほど苦痛ではない。苦痛どころか、たいへんに楽チンだ。個人として人生を拓くことを厭う怠惰さの現れかも知れないが、とにかく、安楽であることは間違いない。もちろんこんな振る舞いが許されるのは、ご先祖さんが大過なくその生を終えてきてくれたおかげだからであり、感謝に耐えない。今年のお盆に墓参できないのが甚だ申し訳ない。(年末には線香あげに必ず帰ります)

他方で、ファーストネームというのがある。これについては、むかし書いた文章があるので 転載してみる。

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なぜか突然名前のことが気になりきょういちにち考えていた。たとえばその名前のうちに「賢」の一字を持つ父はどうみても賢いとはいえず、とはいえ賢さに憧 れてはいるから無闇矢鱈に非効率的な努力を繰り返した挙句、いっときは国外逃亡までやってのけた人間だが、果たせるかな、ついに賢さとは無縁のうちに生涯 の終盤に突入しようとしている。

そんな父が何を思って息子(→気儘な放蕩生活の終わりを象徴する忌むべき物体)の名前に「統」の一字をねじ込んだのかおそろしくていまだに訊けていない が、いままでの人生を振り返れば、何かしら「統」の一字があらわすイメージと重なるような出来事に出くわしたときの、自らの名前がその場その場の判断に及 ぼしてきた影響は考えざるを得ない。もちろん否定的な意味で。

「賢」とはいえない父だが、「統」からはさらに遠い。親は当然子供の幸せを祈って名前を考えるのだろうが、この幸せというのが曲者で、「統」的な要素がな かったばっかりに自分の人生は最高に輝かしいものではなくなってしまった…というコンプレックスを反映していたりするんではないか。「統」があれば獲得で きる幸せを子供に託したかったのか。しかし子供もまた、「賢」を希求しながらしかし遠ざかり続けた父と同じ道を辿るだろう。

自ら望んだものではないにもかかわらず生涯つきまとう名前、祝福というよりは呪いに近い。いや、祝福と呪いに明確な差異などなかった太古を思えばそのよう な言い回しの違いなどはどうでもいい。漢字は預言者たちのツールだった。骨に刻まれた漢字を焼き、そのひび割れで吉凶を占っていた預言者たちはどんな名前 を自らに許していたのだろうか。


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名前に含まれる「統」の一字、その意味するところから逃れるべく、人気者を冷笑し周縁を気取ってきたのに、めぐりめぐって団体の主宰などやっている。これは一体何なんだろうか。いや、何のことはない、苗字という安定した兵站線を確保してるくせに、いざ前線に出てもロクに働こうとしない怠惰な兵士、それが俺だ。





2013年11月4日月曜日

ライブ鑑賞記録

Japanese Assault Fest 13 なるイベントに行ってきた。
http://www.spiritual-beast.com/japaneseassault/fest13/

忘れないために記録だけでもしておく。冗長で上等、だらだら書く。


SERENITY IN MURDER   

女性ヴォーカルを擁する平均年齢20代半ばの国産若手シンフォニック・メロディック・デス・メタル・バンド。2011年に「The First Frisson Of The World」でデビューを飾ると、僅か2年の間に台湾のフェスティヴァルにてヘッドライナーを務めた他、BLOODSHOT DAWN、DEALS DEATH、ABORTED、THE CROWN等、海外の強豪バンドとの共演を果たす。イタリアのシンフォニック・パワー・メタル・バンド、ANCIENT BARDSとのスプリット・シングルを発表するなど、国外にも目を向ける成長著しい6人が、国産メタル・シーンの未来を担う。


アーチ・エネミー的な何かだなーと思いながら見ていた。自分はこのバンドに独自の個性を見出しにくかったのだが、それはメロデスにそれほど詳しくないせいかもしれない。だって、他のジャンルなら、ちょっとした違いも気になったり気に入ったりと評価のきっかけになるし。

それはそうと、トップバッターのこのバンドの時点で、メタルって、やるのもそうだけど聴くのも大変だな…との思いを新たにした。演奏はとてもうまかったと思う。けどギターソロがよく聞こえなかった。自分のいた位置が悪かったのかな。

メタルの難しさ、で言えば、これを日本人がやることの難しさも我々には加わってくる。どうしてもゴッコ遊びぽく見えてしまう。なんてこと言うと、聞いてる方だってそうなわけで、安全地帯など無い。コロニアルな意識が生じると、集中するのは難しい。

何か新しい要素、試みが加わっていればいいのかもしれない。このバンドの場合、そこが弱いように思えた。これまでのメタルの歴史で明らかにされた様々な方法の組み合わせに終始しているだけに思えた。もちろん組み合わせの冴えを競うやり方もあるとは思うけど、それって相当覚悟がいる。このバンドの場合は、まだ若いし、自分たちの知るメタルの文法から逸れる覚悟で、新奇な要素の組み込みにトライしてほしいと思った。


FASTKILL  

日本のアンダーグラウンド・シーンにその名を轟かせるスラッシュ・メタル・バンド。HIRAXやASSASSIN、RAZORなど、数々の強豪を日本にて迎え撃って来た他、2011年には台湾でDESTRUCTIONのサポートを務めたり、東南アジア・ツアーを敢行するなど、いまやスラッシュ・メタル・シーンにおいてはアジアを代表する存在へと飛躍を遂げた5人組が、会場を狂乱の渦に巻き込む。


ファストキルの場合、音楽性を初期スラッシュ+ハードコアという、非常に限定された領域に閉じ込めていて、しかしその覚悟は堂に入っており、それが1番目のバンドとの大きな違いだと思った。ほとんど俳句の世界だと思う。切れ味のある句を数曲次から次へと繰り出し、かっこ良く去っていった。

メタルの進化はもう終わったのだろうか、と考えると気が重い。いや、これは自分の怠慢から生じた気持で、いまでも沢山のバンドが何か新しいことにトライしているに違いないのだが、それを追いかける情熱がそれほどないので、高みに立って「メタルは終わった」とか言いたいだけなんだろう。終わったと言いたいなら、ちゃんとシーンを隈なく見てからにしないといけない。

ただ、「終わった」という前提のもと、過去のある一点に内包されていた微細な可能性を改めて現代から追求する姿勢は有りっちゃ有りで、ファストキルにはそういうところがあるかもしれない。



AIR RAID 

スウェーデンはイェテボリ出身の5人組NWOTHMバンド。アンディ・ストームチャイルドとジョニー・ナイトシュレッダーの2人のギタリストを中心に2009年に結成される。幾度かのメンバー・チェンジを経て、2012年にデビューEP「Danger Ahead」とデビュー・フル・アルバム「Night Of The Axe」の2枚の作品を発表すると、翌2013年にはドイツ『Keep It True』フェスティヴァルに出演、オーディエンスを熱狂させた他、同郷のSCREAMERと共にヨーロッパ・ツアーを行なった。ツアー終了後にシンガーが脱退するも、後任にアーサー・アンダーソンを迎え、この新たな編成にて日本初上陸を果たす。


なんてこと考えてたら、凄いのが出てきた。これは極めつけだった。エアーレイド、パッと見たところまだ若いバンドなのだが、音楽性が1987年くらいで止まっている。「自分が生まれる前に存在していた音楽だけを参照する」という恐ろしく苦しそうな制約を自らに課しているのだろうか…と疑いを持つほどに。

しかし、演奏力も曲のクオリティもなかなか高く、楽しめた。楽しんでいいのか、と自問しつつ楽しんだ。NWOTHMとは、New Wave Of Traditinal Heavy Metal の略だそうだ。メタルはいま何周目に入っているのだろうか。


SOLITUDE  

ジャパニーズ・スラッシュ・シーンで名を馳せたSACRIFICEのシンガー、杉内 哲を中心に結成。デビュー作「Virtual Image」(2001年)からタイトル曲がドイツ『Heavy oder Was!?』誌のサンプラーに収録されると、2003年にはドイツのフェスティヴァル『Headbangers Open Air』に出演、BLITZKRIEG、STORMWARRIOR、PARAGON、KILLERといった海外の強豪達と共演を果たす。2009年末には待望のセカンド「Brave The Storm」を発表。元ANTHEMの"MAD"大内をドラマーに迎え、2011年にはNWOTHMの急先鋒、スウェーデンのENFORCERと日韓ツアーを行なう。同年には「Brave The Storm」のヨーロッパ・リリースも実現するなど、国内に留まらない活動を続けている。

少し疲れてきてしまったので、フロアを離れてBARスペースにあるモニタ越しに視てたので安易にコメントするわけにはいかない。ウィスキーのコーラ割りを飲みながら、「世界屠畜紀行」を読んでいた。


VEKTOR   

自ら『プログレッシヴ・SciFi・スラッシュ・メタル』を自称するアメリカはアリゾナ州出身の4人組。2009年に「Black Future」でデビューを飾ると、アンダーグラウンドのバンドとしては大成功と呼べる8,000枚もの売上を記録、一気に当時の所属レーベルのトップ・アーティストの座に躍り出た。そして、一部メディアにおいて「2011年度最高のスラッシュ・メタル・アルバム」と絶賛されたセカンド「Outer Isolation」にて待望の日本デビューを飾る。WARBRINGERからSPEEDWOLF、EXMORTUSら、様々なバンドとのツアーを経て、2013年には初のヨーロッパ公演となるフランスの『Hellfest』に出演。そして遂に日本上陸を果たす。

今日の主目的。YOUTUBEなどから伺えていたが、実際のところほんとに演奏がうまく、CD音源をそのまま再現していた。タムをあまり使用しない、バスドラの上ががら空きのセッティングだったので、ドラムのプレイもよく見えて楽しい。ベーシストのひょうひょうとした振る舞いが印象に残った。満足しました。機会があればまたゼヒ見たい。


GIRLSCHOOL  

1978年結成、『世界最長のキャリアを誇る全員女性のロック・バンド』としても知られるガールズ・ロック/メタルのパイオニア。男性が大多数を占める当時のNWOBHMのシーンにおいても『MOTORHEADの妹分』として高い人気を誇り、シングル、アルバムを全英チャートに送り込んだ他、1981年には『Reading Festival』の初日のヘッドライナーを務め、翌1982年1月には来日公演も行なった。NWOBHMの勢いに陰りが見えた後も、キム・マコーリフ (vo/g)、デニーズ・デュフォート (ds)を中心にラインナップを変えながら活動を継続する。2007年にオリジナル・メンバーのケリー・ジョンソンが他界、翌2008年にはロニー・ジェイムズ・ディオ、トニ−・アイオミ、レミー、"ファスト" エディ・クラーク等豪華ゲストを迎えたアルバム「Legacy」を発表してケリーを追悼した他、自らの結成30周年を祝った。そして結成35周年を迎えた2013年、マコーリフ、デュフォート、2000年に復帰したエニッド・ウィリアムズ (b/vo)の3人のオリジナル・メンバーに、ジョンソン自らが後任に推挙したジャッキー・チェンバース (g/vo)という編成にて、『Japanese Assault Fest 13』のヘッドライナーとして約32年振りとなる再来日を果たす。

そしてトリ。Vektorを見て一旦気持がリセットしかけていたのだが、せっかくなので…というカッコ悪い動機で見始める。しかしパフォーマンスは貫禄のあるもので、ずいぶん沁み入るものがあった。

これまで、出演したバンドを観ながら、メタルはもう進化しないのか、昔の要素をあれこれ集めて組み合わせるしか続けていく方法はないのか、と自問していたのだけど、そんなこと言ったら彼女たちがやっているコテコテのロックなんて、新しい要素など何もないし、それを目指しても居ない。でもかっこいい。それってなんなんだろうな、とまた考えることが加わった。