2013年12月30日月曜日

2013年 活動記録と総括

2013年 活動記録と総括

1月〜2月上旬 Rules & Regs + ST スポット
黄金町に滞在し、英国や豪州から来た作家と交流。お題をふまえて20分ほどの作品を作り上演した。創造性を求めて今の仕事に移ったと広告代理店出身のプロデューサーは言っていたが、アート(という名目に収まっている)ならなんでもクリエイティブなのか、と言う疑問は残る。そこに悪しき「清貧思想」のようなものが紛れ込む可能性は少なくない。ひとりだけで作ったせいか、アイデア偏向で客観性を欠いた作品が多ったのも問題。自分の場合は、もっと短く(鋭く)することができたと思う。サンプラーの面白さ、利便性を発見し、その後何回も使うことになる。





2月中旬〜下旬 搬入プロジェクト#11 鳥取
鳥取大学地域文化学科による市街地活性化運動「ホスピテイル・プロジェクト」の一環として参加。搬入#03 (豊島)以来気になっていた地域とアートの関係についてあらためて考える機会として捉え、「偽祭」をテーマに仕上げてみた。実はまだ映像の編集が終わっていない。今年度内にかならず完成させる。多くの協力者に恵まれ、充実した環境で行うことができ、幸せだった。一方で、そうした人々と、無関心層との断絶は都市部以上に深いと実感。しかしこれは趣味や教養に訴えるのではなく、地縁血縁を媒介としつつ解していくべきだと思う。そのときに、作品自体の強度をも損なわずに進める方法が必要だ。先日拝聴した鈴木忠志と利賀村の話も今後何らかのヒントになるだろう。





3月 芯まで腐れ(吾妻橋ダンスクロッシング)
過密スケジュールを縫いつつねじ込んだせいで、出演者には直前の徹夜など、負担を強いることになった。作品性も結果的にはこれまでと同様、恨み節を基調としたものになってしまった。それはそれで好んでくれるお客さんも居たが、一種の「言い訳芸」なので乱発は自重したい。つまり、無理なら依頼を断れということになる。ただ、楽屋で、飴屋さんや大谷さんをはじめ、いろんなひとと交流出来るのは単純に楽しかった。この頃から、やはり(大きな)舞台に立つにはそれなりの身体が必要ではないか、と考え始めた。




4月 搬入プロジェクト#12 リュブリャナ(エキソドス リュブリャナ)
スロヴェニアでの上演。小規模ながら充実したフェスで、有能なスタッフとともにいい時間を過ごせた。いちばんの反省点としては、会場選びに積極的に関与できなかったことが上げられる。最終的には搬入できたので良かったが、狭く深く、そして長いルートだったせいで、上演が間延びしたのは事実。ただし事前に現地で調べるのも難しいので、今後同様のケースがある場合は、こちらからの要求項目を整理しきちんと伝えることが必要だと実感した。雨のせいか、一般市民の人出が少なかったのも残念だった。



5月 搬入プロジェクト#13 リエカ
ゆるいレギュレーションであるがゆえに多様な演出を可能とするこの作品の、悪いところが出た。つまり、方針を定めきれなかった。社会的政治的文脈を踏まえることに関心がある招聘側NPO並びに危口と、搬入プロジェクトはその無意味性が重要だと指摘する石川との間で意見がぶれた。また、これといった空間を見つけられず、最終的には昨年のチューリッヒの場合と同様、練り歩き的な上演になった。ただ、それでも街にとっては新鮮だったようで、喜んでくれる人も居た。カゴを使うアイデアじたいは悪くなかったと思う。ボランティアスタッフの作業スケジュールを整理する能力が欠けていた。これはソウルでも露呈する。





5月中旬〜下旬 フィレンツェとウィーンを視察
クロアチアでの上演後、いったんスロヴェニアに戻り、関係者に挨拶。現地在住の舞踏家福原隆造さんとも交流出来て有意義な日だった。不法占拠地域メテルコヴァを観られたことも大きい。その後電車を乗り継いでフィレンツェに。現地で滞在制作中の篠田千明らと合流、宿舎に潜り込ませてもらい、スタッフとして作業を手伝う。マームとジプシーなども観劇。20年ぶりに観るブルネレッスキ建築(大聖堂)はやはり圧巻だった。
マックスと連絡を取り、高速バスでウィーンへ。座席がデカいので思った以上に快適だった。現地での苦労を聴く。予算削減を目論む官僚との戦いでお疲れの様子。それとは別に、藝術の都であるという自負が強すぎるので市民の目は厳しいそうだ。危口がここで活動することがベストかどうかはわからない、とのこと。彼のアパートで一泊だけしてフィレンツェに戻る。篠田の上演初日を見届けて帰国。




6月中旬 北京視察
タイミングよくサンガツが北京公演を行うというので、以前から何かやらないかと話を持ちかけてくれていた菅野を訪ねる。当地の建築/デザイン/アートと政治の関係などについて知る良い機会となった。旧市街 Dashila 地区で何か、というか搬入できないか。現地NPO孫さんとも打合せ。半端に美味いものよりは、明らかにマズい、というか味覚の構造自体がかけ離れているのでは?と疑いたくなるような食い物のほうが面白くて、マズいマズいと言いながら笑いながら食べたことが印象に残っている。政府主導の藝術特区にも足を運んでみたが詰まらなかった。




7月中旬〜8月上旬 TACT/FEST
大阪で児童向け演劇を上演。最初はなかなか方針が定まらなかったが、7月下旬に稽古見せがあったお陰で、強引ながら方針をまとめることができた。こうしたステップを設定しておくことは、客観性を持つためにも非常に重要だと認識。しかしその後の公演でこのような機会を設けることができなかった。来年以降の活動に活かしたい。作品はけっこう上手くいったと思う。個人的には、楽屋の空間構成でいい仕事ができたと自負している(狭すぎるので3団体づつ交代しながら使う計画だったが、6団体同時に使用できるように家具や資材などを再配置した)。なんだかんだ言いつつも大勢が集まる催しが好きだ。





8月下旬 百人斬り(吾妻橋ダンスクロッシング ファイナル)
ここ2年ほど呼んでもらってるADXも、団体として参加するのは初めて。ファイナルということで、こちらから「百人斬り」はどうかと提案した。時間調整大変なところ快諾してくれた運営側に感謝している。人員集め&整理が大変だったが、最終的にはなんとか上手くいった。ただし内容的には六本木バージョンを反復しただけで、これといった進歩はなかった。まあ、この演目に進歩を求めるほうが間違っているのかもしれないが。あと、この頃から、グループ内で交わされる膨大なメーリスにみんなが疲れてきた。自分も、作品内容以前、準備段階での合意形成で疲弊することが増えてきたと感じていた。





9月 悪魔としるし
台本を書く、といっておきながら結局仕上がったのはかなり後になってからのことで、ここでも出演者・スタッフに迷惑をかけた。稽古場に見に来てくれた照明の奈美さんが「とりあえず通してみて」と言ってくれなかったら本当にやばかったと思う。TACTでもそうだったが、きちんと作品として作っていくならば役割にかかわらず全員が会した稽古見せは重要。悪魔のしるしという集団でそれをどう実現していくか、この頃から意識的に考え始める。結論としては、よほど前からスケジュールを決めておかないと無理だと思う。この公演と、続く12月公演は、公演日程を決めるプロセスがマズかった。重要な決定は、今後メールではなく直接会える場で行う。よろしくお願いします。
繰り返しになるが、「合意形成」というのにほとほと疲れていた。そしてそれは、「これがやりたい」「これでいく」と強く打ち出せない自分に原因がある。これからは自分のビジョン、欲望を強く打ち出していきたいと思う。いままでは、方針やコンセプトを伝えたとき、周囲に「?」って顔をされるのが怖くて、あまり言ってこなかった。反省します。どんなに不格好だとしても、やはり柱がなければ建物は建たない。




10月 搬入プロジェクト#14 ソウル市庁舎(ハイソウルフェスティバル)
何と言うか、たまった鬱憤を晴らしに行った感もある。そして上演も、途中で建物の扉が開かないというトラブルがあったものの、それも面白がりつつ、終えることができた。何から何までコーディネートしてくれたコ・ジュヨンさんに感謝している。市の中心で行われたフェスだったので、参加者もたくさんいてよかった。演出的にも政治色を消し、ただ単にデカい・カッコイイ物体を作ることに振ったのが良かったと思う。これは河本の技術が不可欠だった。いつも手伝ってくれてありがとう。材料選択で無駄な出費があった。これも自分が気持を素直に表出しなかったのが原因。良かれと思って周囲がしてくれることも、作品にとっては良くない結果をもたらすことがある。ディレクターとして成長したい。





11月 メタルロゴワークショップ
疲れてしまって、やる気が落ちていたけど、宮村さんがケツを叩いてくれた。結果的にはとても楽しかった。楽しすぎたので子供のようにはしゃいでいたら、「個人活動が楽しいんなら、面倒くさい舞台公演なんてやめればいいじゃん」とたしなめられる局面もあり、主宰たる自分自身の振る舞いについて考えるきっかけにもなった。個人に重点を置いた活動と、集団としての活動と、より明確に線引していく必要を感じている。参加者ごとの役割分担とそれに伴う責任の所在をハッキリと。ただ、それを対外的に宣伝・強調する必要は、まだそれほどないと思う。事実、搬入プロジェクトなどは「悪魔のしるし」名義ではあるものの、全員参加ではない。





12月 注文の夥しい料理店についての簡潔な報告
準備段階で想定外のことがいくつかあり、スタートを切るのが遅れたのが反省点。最終的には美才治さんという強力な協力者を得られたことでなんとか終えることができた。しかし、ここでも演出方針を決めきれなかったせいで作品完成度を下げてしまった。もっと面白くできたはず。一方で、金森さんは、今年はこの作品がいちばんよかったとのこと。言いたいことは何となく分かる。




まとめ

作家としての自分、プロジェクトリーダーとしての自分、それぞれ性質の違う二つの立場に引き裂かれることの多い一年だった。今後はこれらを場面に応じてきちんと使い分けることが大事だ。というよりは、作家としてビシッとすることで後者としての振る舞いも、より明確になると思う。来年は自分のやりたいことだけに集中したいし、そのほうが周囲にもいい環境を提供できると信じている。


2013年12月27日金曜日

オキナワ

沖縄出身の同居人とはわりと淡々とした付き合いで、普段は込み入った話などしないのだが、それでも全く無いというわけではなく、気になることがあれば聞きもする。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131227/plc13122710150008-n1.htm


それで、例えばさ、米兵が事件起こしたりするのってどう思ってるの? と問えば、あんなの滅多にないと事も無げに返される。基地がなけりゃ仕事無いヨー。それにほとんどの米兵は近所づきあいもしてるし、仲もいいんだヨー、お年寄りなんか牛乳とか缶詰とか頼んでお使いに行かせてるヨー、基地のほうが安いしサイズも大きいし。だから沖縄の牛乳はみんな2リットルサイズだヨー。

それで自分は、遠回りに聞こうとしたことを恥じつつダイレクトに問うてみる。基地反対じゃないの? 全然反対じゃないヨー、だって、さっきも言ったけど仕事無いヨー。基地でもってるんだヨー、沖縄は。

スカッと返してくる相手に、俺の、借りてきたような正義感はあまり役に立たないのだった。ただし観察眼は使える。「滅ッ多に」「全ッ然」というとき、ふだんからひょうひょうとしている彼の語気が、少し、ほんの少しだけなんだけど、強まる。その些細な抑揚の変化が、彼が過去に何を見たり、どんな相手と話してきたかを物語る。

自分は、こうした人びとの生活を奪うから基地反対運動は慎重に、と言いいたいわけではない。むしろ、こんな人びとは、きっと、基地が無いなら無いで、アッケラカンと生きていける強さを持っているのだ。そして、この力強さに甘える形で進められるような反対運動は、ダメだと思っている。




前衛とか先端とかについて / 石最強説









だいたい章の心のなかには、古い大きな木の方が、なまなかの人間よりよっぽどチャンとした思想を持っている、という考えがある。 

厳密な定義は知らぬが、いま横行している思想などはただの受け売りの現象解釈で、 そのときどきに通用するように案出された理屈にすぎない。 現象解釈ならもともと不安定なものに決まってるから、ひとりひとりの頭のなかで変わるのが当然で、 それを変節だの転向だのと云って責めるのは馬鹿気たことだと思っている。 

皇国思想でも共産主義革命思想でもいいが、それを信じ、それに全身を奪われたところで、 現象そのものが変われば心は醒めざるを得ない。敗戦体験と云い安保体験と云う。 それに挫折したからといって、見栄か外聞のように何時までもご大層に担ぎまわっているのは見苦しい。 そんなものは、個人的に飲み込まれた営養あるいは毒であって、 肉体を肥らせたり痩せさせたりするくらいのもので、精神自体をどうできるものでもない。

章は、ある人の思想というのは、その人が変節や転向をどういう格好でやったか、やらなかったか、 または病苦や肉親の死をどういう身振りで通過したか、その肉体精神運動の総和だと思っている。 そして古い木にはそれが見事に表現されてマギレがないと考えているのである。 

章は、もともと心の融通性に乏しいうえに、歳をとるに従っていっそう固陋になり、 ものごとを考えることが面倒くさくなっている。一時は焼き物に凝って、 何でも古いほど美しいと思いこんだことがあったが、今では、 古いということになれば石ほど古いものはない理屈だから、 その辺に転がっている砂利でも拾ってきて愛玩したほうが余っ程マシで自然だとさとり、 半分はヤケになってそれを実行しているのである

藤枝静男「木と虫と山」


先日研究者/映像作家の菅俊一さんとお話してたら、石が最強なんじゃないかということになった。といってもこれは木や草に比べてというのではなく、ログの保存のことである。いまわれわれは日々膨大な量のログを記録し続けているが、その実態はただの電子情報の集積で、いざというときこれでは心もとない。その点、石ときたら万世を越えて保存する。

「刻石」


そんな石の「最先端」は、樹のような、伸びていく先の細い先端ではなく、まいにち少しづつ削られていく表面全体のことである。伸びていくんではなく、削られていく、消えていくのが石の形態推移の基本である。

しかしそろそろデータ保存を担う液体が出現しても良さそうである。それを飲みたい。





2013年12月26日木曜日

続き / 創意のふるさと

シェアされたり何だりで昨日の記事を(この過疎ブログにしては)沢山のひとに読まれたようで、今日も劇場に行くと、いきなり「読んだよ」と言われたりして肝を冷やした。しかしこうしてインターネッツに記している以上、そうした可能性は常にひらかれているのだし、いまさら恥ずかしがっても仕方がない。それに、さかしらに原広司など引いてきて巨匠にイチャモン付けようってのか、なんてつもりも毛頭ない。

でも、イチャモン付けられるってのは、ある意味リスペクトの裏返しかもしれない。確固たる不動の柱がそびえ立ってるおかげで、自分の位置を測れるというか。名作/達人の放つ光に照らされてみずからの立ち姿を知るというか。アヤフヤな光じゃ、こちらの輪郭もよく分からずじまいだし、やっぱ強いもんに出くわすことが自分を知る一番の方法だ!と再確認した次第。で、今日書こうと思ったのはそういうことではない。

鈴木忠志はみずからの藝術の達成のため、より集中できる環境を求め利賀に拠点を移した。静かな、邪魔立てするものがない山中に篭った(もちろん現実には、村人たちとの、ときには誤解も含めた交流があった / その辺りの話も面白かった)。信念と方法を持つ人には集中できる環境が必要なのだ。

いっぽう我が身を振り返れば、これだというアイデアや仕事ができたのは、いつも決まって誰かの眼を盗むようなシチュエーションに於いてだった。その原風景は小学校時代、授業中に教師の目を盗んで描いていたマンガである。そんなことを30余年続けてきたせいで、この悪癖はもうすっかり体質になってしまった。いわばこれが俺の「クリエイティビティのふるさと」である。だから、

俺に環境を与えるな!
いや、じゃなくて、とりあえず環境を与えろ!
そうしたら全ッ然別のいい仕事をやってみせるから!
てなもんである。

冒頭に書いた「ブログを読まれること」についての言い訳と同じで、バレるかも、怒られるかも、と冷や冷やしながらやるようなのが何故か乗れる。この心理を見事に活写したのが深沢七郎の小説「絢爛の椅子」で、この掌編については同タイトルの批評を若かりし頃の金井美恵子も(カフカ「判決」なども絡ませながら)書いていて、これがまた面白いんだ。

いま、恐るべき重力増幅装置(ホットカーペット)に捕らえられているので、本棚まで行くことができない。興味ある方は古本屋とかで探して読んでみるといいと思う。



巨匠のありがたいお話を聴くフリをしながら描いたラクガキを載せておく







(続く)






途中経過

縁あってここ最近は吉祥寺に通い先達の教えを請う日々である。

http://www.scot-suzukicompany.com/kichijoji/pdf/suzuki_school.pdf

その仕事は何から何まで筋が通っており、これは狂気だと思った。
病的な真っ当さに貫かれている。ならばそれは健康ではないのかと問う声もありそうだが、完璧な真っ当さというのは反自然的なのだ。例えば砂糖、味の素。味覚への刺激のためだけに精製されたあれらの品々は自然界には存在しない。ひたすら人間による人間の人間のためだけのものである。この精製というのが、人間独自の営みであるし、芸術作品もまた精製されるものである。

というようなことは、私は以前からヴァレリーの言葉を通じて学んでいた。


などなど。詳しくは https://twitter.com/Valery_BOT を参照されたし。
自分にとってSCOTの仕事はヴァレリーの言葉を裏打ちするものであったといえる。
だから、表面的なな好悪を超えたところで興奮した。

見せる対象として、まずは神があり(だから演技は中心性・正面性を意識したものになる)、時代がくだると近代的市民像があり(そして演技には横への意識が加わる)…と鈴木忠志はまこと明晰に歴史を説いてみせた。ならば御自身は一体何者に見せようとしているのか…とは、ついに聞けずじまいだったが、もしかしたらそれは「テスト氏」のような、ポスト近代的市民だったのかもしれない。そういえばあの奇妙なテキストは、語り手がテスト氏と劇場で出会うシーンから始められるのだった。



一方で、すべての細部が正しく全体に奉仕するその真っ当さをある種の機能主義(ファンクショナリズム)として見做すことが許されるならば、それに対する批判もありうる。たまたまここ数日読んでいた本だが、妙に気になる箇所があったので引いてみる。文中の「建築」と「演劇」と読み替えても差し支えないと思われる。

一方ヘゲモニーをめぐるたたかいでの機能主義の敗北は、俗な言い方をすれば彼らが詮索しすぎたとか、余計なことに首を突っ込みすぎたところに原因がある。彼らは、人間とは、社会とはと問い詰めていった窮極に建築の「標準」があると考えたから、近代の構造からすれば本来自由の領域に任せておくべきところを、具体的に集団の在り方や人間の生活をいくつかの範疇に分解し再編するといった余計な手出しをしたのだった。また、彼らは浪漫的なるがゆえに新たな社会や人間を想定できず、たとえば中世集落に範をとった。今日的であることを強く意識するがゆえに現在時のものの在り方を追い、人間像は過去に遡行するという奇妙な分裂を起こした。機能主義的な態度からでてくる建築は、いずれにせよ拘束性の高い建築、ある空間領域での行為が指定される建築である。なぜなら建築の決定因に関係性が関与してくるからである。近代社会の延長としての現代社会にあっては、この行為の仕方の先験的な指定はタブーである。
(均質空間論 / 原広司)


あらためて書き写してみると、そのまま「演劇」に読み替えるには無理のある箇所もあるが、それでも舞台上で何が起こるのか、何を行わせるのかが一種の設計行為であるならば、かなりの程度この批判は有効なように思われる。

続く






2013年12月9日月曜日

注文の夥しい料理店についての簡潔な報告についての所感 3

01 どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません。

どんな人間でも舞台に立つことはできる。

02 ことに肥ったお方やお若い方は、大歓迎いたします。    

ただ、未経験とはいえ、なにかしら特徴があったほうがいいのは確か。

03 当軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご承知ください。

素人に熟練技術を強いるような無茶はしないけど、そのかわり、
人それぞれに特有の仕方で負荷をかけることはあると思う。

04 注文はずいぶん多いでしょうがどうか一々こらえてください。

出来ないことは強制しないが、できることはなんでもやってもらいたい。

05 お客様がた、ここで髪をきちんとして、それからはきものの泥を落としてください。

私生活のこだわりを舞台に持ち込むのはやめて欲しい

06 鉄砲と弾丸をここへ置いてください。

鋭い批評意識とか要らないし、勘弁して欲しい

07 どうか帽子と外套と靴をおとりください。

先入観を捨て、自分は絵画における絵の具のようなものだと思って欲しい

08 ネクタイピン、カフスボタン、眼鏡、財布、その他金物類、 ことに尖ったものは、みんなここに置いてください

とにかく、自分が自分であることを主張しないで欲しい。
登場人物に名前はあっても、舞台上の人間に名前はないのだから。

09 壺のなかのクリームを顔や手足にすっかり塗ってください。

話すときは、ゆっくりでもいいのでハッキリと伝わりやすい口調で話すこと。

10 クリームをよく塗りましたか、耳にも塗りましたか。

周囲の動向にも気を配って。

11 料理はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。
 すぐたべられます。 早くあなたの頭に瓶の中の香水をよく振りかけてください。    

ここまでをクリアできたら、もうだいぶ自分は消えてるだろうし、だいたいOKだけど、
せっかくなので、自分に与えられたタスクを如何に上手く遂行するか、
そんな欲を少しくらいなら持ってもいいと思う。


12 いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。もうこれだけです。
  どうかからだ中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。 

体をほぐして、楽に。



13 いや、わざわざご苦労さまです。大へん結構にできました。 
  さあさあおなかにおはいりください。 

そんな感じで、ひとつよろしくお願いいたします。


リミニプロトコルやガネーシャ〜を先週観た(観てしまった)ことは、影響していると思う。かといって記憶を払拭するのは無理だし、ならば自分なりの返歌として小気味よく歌おうと思う。パクリは(珍しく)やってないので、そこは安心してください。あ、ただ、2、3箇所似てるところあるかな…いや、もちろん、観る前から決めてたことなんだけど!







2013年11月25日月曜日

注文の夥しい料理店についての簡潔な報告についての所感 2

昨日の日記の続き。

次回公演「注文の夥しい料理店についての簡潔な報告」は、一応は演劇ということにしているが、どうなることやらまだ自分でもよくわからない。ただ、9月に上演した「悪魔としるし」で、俺が思うところの「普通の演劇」をやってみたので、その反動もあってか変なことをしたくなったのだ。その変さが狙った変さではなく、ある主題をまじめに考えた末にあらわれる類のものであるよう努力したい。

もともと俺には、「結局何をやっても演劇でしかないという」妙な虚無感が抜き難くある。何かに憧れ、それを真似ることでしか生きられなかった人間なので、何もかもが既にして演劇なのだ。(最近はこれといった憧れの対象がないので、身振りも定まらず困っているのだが、それはまた別の話)

だから、みんなの言ういわゆる演劇というのは、それが大衆的であれ、実験的なものであれ、俺の眼には、「非常に大きな演劇という営みのうちの、より見易く親しみ易く調整されたものの一群」として映る。「コショウという植物のうち、その果実だけを加工し、ラーメン屋や家庭のキッチンに置いた状態のもの」みたいな感じ。

演劇とはこういうもんだ、というルールを受け入れた上でなら愉しめるが、いったんタガが外れるとこの上なく退屈に思えてきて、寝てしまう。先週もよく寝た!

俺はルールを超えろと言っているのではない。むしろこれをきちんと受け入れ作品を愛でることができるのが大人の証だとさえ思っている。




今回の出演者は以下のとおりである。

【出演】 
明石竜也(映像編集業)
下地昭仁(揚重工)
菅野信介(建築設計 / 飲食店経営 / AM-A-LAB
神尾歩(悪魔のしるし / アルバイト〈バーミヤン〉)


我ながら変なメンツだと思うが、とりわけ異形なのが下地さんだ。12年前の12月13日、食い詰めた俺が日銭欲しさに勢い任せで入った建設会社(揚重&解体業)に、ほぼ同時期に雇われたのが彼だ。だから同期ということになる。と言っても、彼は入社直後から出張につぐ出張で日本全国を渡り歩いていたので、直に会って一緒に現場で仕事をするようになったのはその数年後なのだが。その後いろいろ(本当に色々あった!詳しくは上演作品にて語られます)あって、いまは俺と同じアパートに住んでいる。ルームシェアというやつだ。

荷揚げバイトばかりしていた頃の俺は、仕事に意義と楽しさを覚えつつも、その内容ゆえ蔑視される自分の立場に我慢がならず、全然喰えてもないくせに「本業は舞台関係(演出家、と率直に言えずに〜関係などと誤魔化しているのがまたセコい)」などとほざいていたのだが、下地さんは淡々飄々と自分の仕事をこなし、時には職長として現場をまとめ、ほとんど酒も飲まず、趣味といえばゲーム(モンハン)だけで、つまり虚飾がない人間だ。そんな彼を舞台に上げる。

ここ数年の悪魔のしるし乃至は危口の作品をご覧頂いた方にはすぐ伝わると思うが、俺は自分の分身をしょっちゅう舞台に上げ、殺してばかりいる。何でこんなことになってしまったのか、俺のせいじゃない、でも他者をも巻き込んで進んでいくプロジェクトはもう自分独りの手では止められない、死ぬか、死んだら困る人もいる、じゃあ死ぬふりでもするか、という当惑、現実逃避の現れとして、それは行われてきた。実に幼い発想で、我ながらみっともないと思うが、とにかくそういうことをやってきた。

しかしこんな自殺プレイも、結局はそれを観る観客、危口の分身を演じる俳優(人形なども含む)あってのものだ。この世には、演劇というものを好ましく思う人達が一定数存在していて、俺は彼/彼女らに依存している。プレイだとしても覚悟が足りないと思う。そこで下地さんである。彼は俺の分身が死んでもおそらく何の感興も起こさないし、俺の分身を演じることにも興味が無い。俺としても、下地さんに「危口役」を依頼するのは無茶だと思う。だから依頼はしない。ただ下地さんとして舞台に居てもらうだけである。

いうなれば、俺にとっての下地さんは、「格好いい危口を決して映してくれない鏡」としてある。下地さんの目に映る危口の姿を俺はあまり見たいとは思わない。しかし見なければならないとも思う。だから出演を依頼した。

ところで、ここまでダラダラと書いてきたようなことは、本作品にとってはそれほど重要な主題ではない。ほんのり隠し味程度のことである。

また続きを書く。


悪魔のしるし 特殊演劇公演
注文の夥しい料理店についての簡潔な報告
http://www.akumanoshirushi.com/RESTAURANT2013.htm




















2013年11月24日日曜日

注文の夥しい料理店についての簡潔な報告についての所感

お陰様で今年は沢山の制作機会に恵まれた。
ざっと以下の通り。

A Short Account of the Restaurant of Abundant Orders / December 14-15 / Yokohama /
CARRY-IN PROJECT #14 / October 3 / Seoul, Korea 
FIEND AND SYMPTOM / September 20-23 / Yokohama /
100 MASSACRE in Azumabashi Dance Crossing Final! / August 17 / Asahi Art Square, Tokyo /
OSUNU OTAMAI UKARUBEKASU in TACT/FEST / August 2-4 / Loxodonta Black, Osaka /* 
CARRY-IN PROJECT #12-13 Slovenia-Croatia tour 2013 / April-May / Ljubljana, Rijeka / 
Rotten To The Core in Azumabashi Dance Crossing 2013 / March 29-31 / Asahi Art Square, Tokyo /* 
CARRY-IN PROJECT #11 / February 24 / Yokota Hospital, Tottori city
Z≠G≒D / February 9-10 / KAAT Kanagawa Arts Theater, Yokohama /* 
* _危口統之ソロ活動)

数えてみると10回もあった。ほとんど月イチだ。普通、宣伝なども含め制作に最低でも2ヶ月はかかるという舞台芸術にあってこのペースはちょっと過剰で、だから全てが上手く行っているわけではない。こちらの不慣れや落ち度で迷惑を掛けたこともあるし、いまも掛けている。


これらの上演機会を、その枠組から大きく2つに分けてみる。主宰公演か否か、という線引である。

1)悪魔のしるしによる主宰公演
FIEND AND SYMPTOM / September 20-23 / Yokohama /
A Short Account of the Restaurant of Abundant Orders / December 14-15 / Yokohama /

2)A フェスティバル/イベントから打診され参加したもの(こちらから働きかけた場合も含む)
Rotten To The Core in Azumabashi Dance Crossing 2013 / March 29-31 / Asahi Art Square, Tokyo /* 
CARRY-IN PROJECT #12-13 Slovenia-Croatia tour 2013 / April-May / Ljubljana, Rijeka / 
OSUNU OTAMAI UKARUBEKASU in TACT/FEST / August 2-4 / Loxodonta Black, Osaka /* 
100 MASSACRE in Azumabashi Dance Crossing Final! / August 17 / Asahi Art Square, Tokyo /
CARRY-IN PROJECT #14 / October 3 / Seoul, Korea 

2)B 依頼を受けて参加した滞在制作型プロジェクト
Z≠G≒D / February 9-10 / KAAT Kanagawa Arts Theater, Yokohama /* 
CARRY-IN PROJECT #11 / February 24 / Yokota Hospital, Tottori city


こうしてみれば一目瞭然だが、自らが主体となり企画した公演は2つしか無い。そのふたつも、依頼された仕事の合間をかいくぐるように計画したせいで、スケジュールが過密となり、関係者には負担を強いる場面も多々あった。

フェスティバルなどは一年前から準備するのは当たり前、場合によっては数年単位で計画が進むこともあり、その規模は小さな劇団の計画のスケールを遥かに超える。これは、メンバー全員で足並みそろえ作らんとする結束感を脅かし、また、普段は正規非正規にかかわらず市井の労働者として生きる我々のリズムを破壊する。しかし受注するということはそういうことなのかもしれない。依頼もしくは提携公演が増加することによりアマチュア劇団は専業化していく。そのときメンバーのうち何人がそこに身を投じていくのか。フェス側はこの問題には無関心であるし、関心を持たれてもどうしようもない。

2)の枠組みに含まれるイベントの全てに、予算全額ではないにしろ、公共のお金が投入されている。というか、1)の主宰公演2作品も横浜市からの助成を受けているので、今年の活動はつまるところその隅々にまで公的資金が投入されていることになる。だから、内容には配慮しよう、と過剰に意識することは無いにしても、この事態について自分なりに考えたいことは山ほどある。しかし今は山を山としか認識し得ていない。今後は道ならぬ道を見出し、そこらにうごめく木々や虫や鳥や獣の生態を見極めていきたいと思っている。そして罠を仕掛け、獣を捕らえ、屠り、喰らう。

これは完全に偽悪的な意見だが、各種のイベントで盛り上がる季節__まあ要するに秋なのだが__になると、年度末に街のあちこちで始まる道路工事を思い出す。無駄遣いか、といわれればそうかもしれないが、実際労働者はそれで飯を食っている。完全に無駄な事業など無いし、また完全に有益な事業も無い。なんだって形になれば、本来の機能・目的とは違ったありようで使用されることを免れ得ないものだ。この文章も書いた自分の思惑を超えたところで受け取られる危険性を常にはらんでいる。

はらむ、とするならば、次に来るのは産むことでなければならない。
文章にしろ、作品にしろ。


元々は、次回公演について思うところを書いてみたかったのだが、やはりと言うか、書いているうちに逸れてしまった。また明日続きを書こうと思う。









2013年11月20日水曜日

名前について

活動するにあたって木口を危口と変えてみたのは7、8年ほど前だったか、昔の知り合いに名を検索され東京でグダグダと演劇などやっている自分を発見されたくないな、でもより広くより多くのお客さんに来てもらうためには珍しい名にして検索トップに表示されないと、とか理由はいろいろあった気がするが、どれも大したことない。つまるところただの思いつき。

ここのところ、「搬入プロジェクト」スイスツアーのため現地の協力者とメールやSkypeを通して議論する日々が続いてるけど、彼らは漢字を使わないので俺を KIGUCHI と呼ぶ。ここに木口と危口の差異はない。普段偽名を使っていることについて彼らに説明しようとも思っていない。そもそも漢字と平仮名が混じる日本語の環境を説くのに俺の英語力は貧弱すぎるのだった。

ところで、 殆どの場合ファーストネームで呼び合う欧米の習慣に反して、なぜか俺は KIGUCHI と苗字で呼ばれている。でも、東京に、日本に居てもほとんどの知人友人が自分をキグチと呼ぶのだから、今さら海外の関係者に NORIYUKI を強いても変な感じがする。中には KIGUCHI がファーストネームだと思い込んでるやつも居そうなのだが、特に気にしていないから訂正もしない。

苗字という、自分が生まれるだいぶ前から連綿と続いてきたカタチに身を任せるのはそれほど苦痛ではない。苦痛どころか、たいへんに楽チンだ。個人として人生を拓くことを厭う怠惰さの現れかも知れないが、とにかく、安楽であることは間違いない。もちろんこんな振る舞いが許されるのは、ご先祖さんが大過なくその生を終えてきてくれたおかげだからであり、感謝に耐えない。今年のお盆に墓参できないのが甚だ申し訳ない。(年末には線香あげに必ず帰ります)

他方で、ファーストネームというのがある。これについては、むかし書いた文章があるので 転載してみる。

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なぜか突然名前のことが気になりきょういちにち考えていた。たとえばその名前のうちに「賢」の一字を持つ父はどうみても賢いとはいえず、とはいえ賢さに憧 れてはいるから無闇矢鱈に非効率的な努力を繰り返した挙句、いっときは国外逃亡までやってのけた人間だが、果たせるかな、ついに賢さとは無縁のうちに生涯 の終盤に突入しようとしている。

そんな父が何を思って息子(→気儘な放蕩生活の終わりを象徴する忌むべき物体)の名前に「統」の一字をねじ込んだのかおそろしくていまだに訊けていない が、いままでの人生を振り返れば、何かしら「統」の一字があらわすイメージと重なるような出来事に出くわしたときの、自らの名前がその場その場の判断に及 ぼしてきた影響は考えざるを得ない。もちろん否定的な意味で。

「賢」とはいえない父だが、「統」からはさらに遠い。親は当然子供の幸せを祈って名前を考えるのだろうが、この幸せというのが曲者で、「統」的な要素がな かったばっかりに自分の人生は最高に輝かしいものではなくなってしまった…というコンプレックスを反映していたりするんではないか。「統」があれば獲得で きる幸せを子供に託したかったのか。しかし子供もまた、「賢」を希求しながらしかし遠ざかり続けた父と同じ道を辿るだろう。

自ら望んだものではないにもかかわらず生涯つきまとう名前、祝福というよりは呪いに近い。いや、祝福と呪いに明確な差異などなかった太古を思えばそのよう な言い回しの違いなどはどうでもいい。漢字は預言者たちのツールだった。骨に刻まれた漢字を焼き、そのひび割れで吉凶を占っていた預言者たちはどんな名前 を自らに許していたのだろうか。


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名前に含まれる「統」の一字、その意味するところから逃れるべく、人気者を冷笑し周縁を気取ってきたのに、めぐりめぐって団体の主宰などやっている。これは一体何なんだろうか。いや、何のことはない、苗字という安定した兵站線を確保してるくせに、いざ前線に出てもロクに働こうとしない怠惰な兵士、それが俺だ。





2013年11月4日月曜日

ライブ鑑賞記録

Japanese Assault Fest 13 なるイベントに行ってきた。
http://www.spiritual-beast.com/japaneseassault/fest13/

忘れないために記録だけでもしておく。冗長で上等、だらだら書く。


SERENITY IN MURDER   

女性ヴォーカルを擁する平均年齢20代半ばの国産若手シンフォニック・メロディック・デス・メタル・バンド。2011年に「The First Frisson Of The World」でデビューを飾ると、僅か2年の間に台湾のフェスティヴァルにてヘッドライナーを務めた他、BLOODSHOT DAWN、DEALS DEATH、ABORTED、THE CROWN等、海外の強豪バンドとの共演を果たす。イタリアのシンフォニック・パワー・メタル・バンド、ANCIENT BARDSとのスプリット・シングルを発表するなど、国外にも目を向ける成長著しい6人が、国産メタル・シーンの未来を担う。


アーチ・エネミー的な何かだなーと思いながら見ていた。自分はこのバンドに独自の個性を見出しにくかったのだが、それはメロデスにそれほど詳しくないせいかもしれない。だって、他のジャンルなら、ちょっとした違いも気になったり気に入ったりと評価のきっかけになるし。

それはそうと、トップバッターのこのバンドの時点で、メタルって、やるのもそうだけど聴くのも大変だな…との思いを新たにした。演奏はとてもうまかったと思う。けどギターソロがよく聞こえなかった。自分のいた位置が悪かったのかな。

メタルの難しさ、で言えば、これを日本人がやることの難しさも我々には加わってくる。どうしてもゴッコ遊びぽく見えてしまう。なんてこと言うと、聞いてる方だってそうなわけで、安全地帯など無い。コロニアルな意識が生じると、集中するのは難しい。

何か新しい要素、試みが加わっていればいいのかもしれない。このバンドの場合、そこが弱いように思えた。これまでのメタルの歴史で明らかにされた様々な方法の組み合わせに終始しているだけに思えた。もちろん組み合わせの冴えを競うやり方もあるとは思うけど、それって相当覚悟がいる。このバンドの場合は、まだ若いし、自分たちの知るメタルの文法から逸れる覚悟で、新奇な要素の組み込みにトライしてほしいと思った。


FASTKILL  

日本のアンダーグラウンド・シーンにその名を轟かせるスラッシュ・メタル・バンド。HIRAXやASSASSIN、RAZORなど、数々の強豪を日本にて迎え撃って来た他、2011年には台湾でDESTRUCTIONのサポートを務めたり、東南アジア・ツアーを敢行するなど、いまやスラッシュ・メタル・シーンにおいてはアジアを代表する存在へと飛躍を遂げた5人組が、会場を狂乱の渦に巻き込む。


ファストキルの場合、音楽性を初期スラッシュ+ハードコアという、非常に限定された領域に閉じ込めていて、しかしその覚悟は堂に入っており、それが1番目のバンドとの大きな違いだと思った。ほとんど俳句の世界だと思う。切れ味のある句を数曲次から次へと繰り出し、かっこ良く去っていった。

メタルの進化はもう終わったのだろうか、と考えると気が重い。いや、これは自分の怠慢から生じた気持で、いまでも沢山のバンドが何か新しいことにトライしているに違いないのだが、それを追いかける情熱がそれほどないので、高みに立って「メタルは終わった」とか言いたいだけなんだろう。終わったと言いたいなら、ちゃんとシーンを隈なく見てからにしないといけない。

ただ、「終わった」という前提のもと、過去のある一点に内包されていた微細な可能性を改めて現代から追求する姿勢は有りっちゃ有りで、ファストキルにはそういうところがあるかもしれない。



AIR RAID 

スウェーデンはイェテボリ出身の5人組NWOTHMバンド。アンディ・ストームチャイルドとジョニー・ナイトシュレッダーの2人のギタリストを中心に2009年に結成される。幾度かのメンバー・チェンジを経て、2012年にデビューEP「Danger Ahead」とデビュー・フル・アルバム「Night Of The Axe」の2枚の作品を発表すると、翌2013年にはドイツ『Keep It True』フェスティヴァルに出演、オーディエンスを熱狂させた他、同郷のSCREAMERと共にヨーロッパ・ツアーを行なった。ツアー終了後にシンガーが脱退するも、後任にアーサー・アンダーソンを迎え、この新たな編成にて日本初上陸を果たす。


なんてこと考えてたら、凄いのが出てきた。これは極めつけだった。エアーレイド、パッと見たところまだ若いバンドなのだが、音楽性が1987年くらいで止まっている。「自分が生まれる前に存在していた音楽だけを参照する」という恐ろしく苦しそうな制約を自らに課しているのだろうか…と疑いを持つほどに。

しかし、演奏力も曲のクオリティもなかなか高く、楽しめた。楽しんでいいのか、と自問しつつ楽しんだ。NWOTHMとは、New Wave Of Traditinal Heavy Metal の略だそうだ。メタルはいま何周目に入っているのだろうか。


SOLITUDE  

ジャパニーズ・スラッシュ・シーンで名を馳せたSACRIFICEのシンガー、杉内 哲を中心に結成。デビュー作「Virtual Image」(2001年)からタイトル曲がドイツ『Heavy oder Was!?』誌のサンプラーに収録されると、2003年にはドイツのフェスティヴァル『Headbangers Open Air』に出演、BLITZKRIEG、STORMWARRIOR、PARAGON、KILLERといった海外の強豪達と共演を果たす。2009年末には待望のセカンド「Brave The Storm」を発表。元ANTHEMの"MAD"大内をドラマーに迎え、2011年にはNWOTHMの急先鋒、スウェーデンのENFORCERと日韓ツアーを行なう。同年には「Brave The Storm」のヨーロッパ・リリースも実現するなど、国内に留まらない活動を続けている。

少し疲れてきてしまったので、フロアを離れてBARスペースにあるモニタ越しに視てたので安易にコメントするわけにはいかない。ウィスキーのコーラ割りを飲みながら、「世界屠畜紀行」を読んでいた。


VEKTOR   

自ら『プログレッシヴ・SciFi・スラッシュ・メタル』を自称するアメリカはアリゾナ州出身の4人組。2009年に「Black Future」でデビューを飾ると、アンダーグラウンドのバンドとしては大成功と呼べる8,000枚もの売上を記録、一気に当時の所属レーベルのトップ・アーティストの座に躍り出た。そして、一部メディアにおいて「2011年度最高のスラッシュ・メタル・アルバム」と絶賛されたセカンド「Outer Isolation」にて待望の日本デビューを飾る。WARBRINGERからSPEEDWOLF、EXMORTUSら、様々なバンドとのツアーを経て、2013年には初のヨーロッパ公演となるフランスの『Hellfest』に出演。そして遂に日本上陸を果たす。

今日の主目的。YOUTUBEなどから伺えていたが、実際のところほんとに演奏がうまく、CD音源をそのまま再現していた。タムをあまり使用しない、バスドラの上ががら空きのセッティングだったので、ドラムのプレイもよく見えて楽しい。ベーシストのひょうひょうとした振る舞いが印象に残った。満足しました。機会があればまたゼヒ見たい。


GIRLSCHOOL  

1978年結成、『世界最長のキャリアを誇る全員女性のロック・バンド』としても知られるガールズ・ロック/メタルのパイオニア。男性が大多数を占める当時のNWOBHMのシーンにおいても『MOTORHEADの妹分』として高い人気を誇り、シングル、アルバムを全英チャートに送り込んだ他、1981年には『Reading Festival』の初日のヘッドライナーを務め、翌1982年1月には来日公演も行なった。NWOBHMの勢いに陰りが見えた後も、キム・マコーリフ (vo/g)、デニーズ・デュフォート (ds)を中心にラインナップを変えながら活動を継続する。2007年にオリジナル・メンバーのケリー・ジョンソンが他界、翌2008年にはロニー・ジェイムズ・ディオ、トニ−・アイオミ、レミー、"ファスト" エディ・クラーク等豪華ゲストを迎えたアルバム「Legacy」を発表してケリーを追悼した他、自らの結成30周年を祝った。そして結成35周年を迎えた2013年、マコーリフ、デュフォート、2000年に復帰したエニッド・ウィリアムズ (b/vo)の3人のオリジナル・メンバーに、ジョンソン自らが後任に推挙したジャッキー・チェンバース (g/vo)という編成にて、『Japanese Assault Fest 13』のヘッドライナーとして約32年振りとなる再来日を果たす。

そしてトリ。Vektorを見て一旦気持がリセットしかけていたのだが、せっかくなので…というカッコ悪い動機で見始める。しかしパフォーマンスは貫禄のあるもので、ずいぶん沁み入るものがあった。

これまで、出演したバンドを観ながら、メタルはもう進化しないのか、昔の要素をあれこれ集めて組み合わせるしか続けていく方法はないのか、と自問していたのだけど、そんなこと言ったら彼女たちがやっているコテコテのロックなんて、新しい要素など何もないし、それを目指しても居ない。でもかっこいい。それってなんなんだろうな、とまた考えることが加わった。







2013年10月21日月曜日

vengeance

リベンジ

この一語がかつて流行語大賞を獲ったことも、流行らせた本人は今アメリカで苦労していることも既に忘れられているにもかかわらず、ひとびとの心から復讐 revenge の一語が消えることはない。なぜ我々は復讐するのか。復讐心を捨てられないのか。ときにそれが美徳ですらあるのは何故なのか。

欠損を埋めようとする心性が復讐を求める。穿たれた穴を埋め、秩序を回復する。しかし、ほんとうに回復は果たされたのだろうか。失われた対象とは違うもので、その場しのぎの埋め合わせをしているだけじゃないのか。

その「違うもの」が、慣習が強いる紛い物であることに我々はそろそろ気づくべきだ。
復讐してはいけない。


2013年10月11日金曜日

劇伴音楽について

気楽に書く。

悪魔のしるしの舞台では音楽を流すことが少ない。ゼロではないけど。
音楽をかけてシーンを一色に染め上げるのがちょっと恥ずかしいのだと思う。

先日ある人と話をしていて、危口は物語に興味はないのか、と訊かれた。無論、ある、というか好きだ。だから毎週たくさんの漫画雑誌を読んでいる。小説も読む。映画は残念ながらそれほどハマっていない(けど、月に一回くらいは映画館に行く)。

音楽をかけてシーンを一色に染めなくても、つまり断片や要素の集積をそのまま提示するだけでも、どうせ観客は何がしかの物語をそこに見出すだろうと思っている。星空を見て星座を編むように。類似や隣接を放っておけない人間の感性はどうしようもないし、逆らうつもりはない。

物語に興味はないのか、って問いはつまり、シーンにふさわしい音楽を見つけ、それをそれなりの音量で流さないのか?という問いと同じなのではないかと思った。

ところで自分はザクザクと刻まれる歪んだギターの音が非常に好きで、だからヘヴィメタルに目がないのだが、これを劇中で使わないのか、と訊かれたら、やはり(留保なしには)使えない。

メタルでは、ある限定された世界観を提示するために、音楽は勿論のこと、歌詞や衣装も非常に機能的な仕方で全体に奉仕することを求められる。そしてこれらの世界観の多くはファンタジーである。

そんなファンタジーをキッズたちは自分のベッドルームで聴く。メタルは、アリーナの音楽であると同時にベッドルームの音楽でもある。そうじゃないバンドもいるし、そうじゃなくなることで売れたりするんだけど。METALLICAとか。

まあ、ともあれメタルを劇伴音楽として使うなら、ファンタジックな世界観ありきで考えないと仕方がないし、だから、やるならば劇団☆新感線のようにするしかない。

ただ、自分にとってメタルのリアリティは、ベッドルームでの孤独と分けて考えるわけにはいかないので、簡単に開き直ってファンタジーへ邁進、というわけにもいかない。

そして、自分はベッドルームでの孤独をそのまま提示して共感を誘うような演劇も作る気はないし、だいたい、もうそんな年齢じゃないだろという事実もある。

要するに、音楽に、どこかに連れて行ってもらうと思うことはなくなった。
そして、演劇にも。

慎みのある態度で、自分たちはどこにも行けないし、今いる場所で地道に研究、工夫したり、或いは嘆いたりするしかないのだということを、作劇できちんと示せたらいいなと思う。








2013年10月2日水曜日

プレイバック

今回のツアーのプロデューサーであるKさんとともに朝イチから市場に装飾用の材料の買い出しに出かけ、何回か意見の交換を交わしたあと使用する資材を決定し購入した。昼前に作業場に戻り大工班と合流、搬入物体の造作を進めるも、完成に近づくに連れ心中に在った違和は次第に拡大し、見過ごせぬものとなっていった。

シンキングタイム、と言い残して喫煙所で独り沈思し、そして、午前中に買った資材の不使用を決めた。それをKさんに伝えるのは辛かったが、もうこういうことで妥協するのはやめようと思ったのだった。

所詮自己満足だとは思うが、朝に買った資材の代金分は自分のギャラから引く。

そして自分は、集団作業であり、創作と興行がピタッと張り付いている表現形式であるところの演劇の、「ゴメン、今のナシ」という台詞の言えなさについて考えはじめていた。

これが絵画であったならばどんなに楽だろう。
これが建築であったならばどんなに辛いだろう。


1)絵画
今年の初夏、5月中旬、スロヴェニア〜クロアチアでのツアーを終えたあと、せっかく欧州まで来たのだからということで、友人が出演するフェスティバルを観ようとフィレンツェを訪れた。現地で制作をすすめる友人の宿に居候し、その見返りというわけではないが、パフォーマンスの小道具として数枚の絵を描くことになった。作品中で語られるエピソードの背景となる、紙芝居風のボードだった。昔ほどいつもいつも絵を描いているわけではないので、最近はエンジンがかかるまでに少し時間が必要なのはわかっていた。最初に描いた絵は、側で見ていた友人はわりあい気に入っていたようだが、自分としては満足のいくものではなかった。だから破壊した。友人は少し驚いた、というよりは何か嫌なものを見た、といった態度で私をやんわりと避難した。自分勝手だと。

2)建築
学生時代、恩師がオーガナイズしたカンファレンスをまとめた書籍を購入し、読んでいた時のこと。建築家だらけの会議場になぜか呼ばれていた伊藤ガビンさんが、「建築って後戻りできないのが面白い」「やっぱナシって言えないのすごい」「もしそれが可能になったら建築は劇的に変わる」みたいな発言をされていたのが(正確な言い回しは憶えてません)ひどく印象に残った。


建築も演劇も、その制作過程における後戻りの出来なさ、にはなかなか辛いものがある。それでどうなるかといえば、つまり様式なるものが生まれるのだと思う。









2013年8月31日土曜日

備忘録 九段下




昨晩、思うところあって公演関係者とともに靖国神社や皇居周辺を歩いてみたのだが、その途中で不思議な人物と出会った。忘れないように記録しておく。


靖国神社大鳥居から歩道橋で隔てられた先にある銅像の前。
キグチが像をよく見ようと近づくと、ひとりの男性が立っている。
黒い短パンに赤いTシャツ、頭には水泳帽のようなのを被っている。
手にはリュック、全体的にスポーティな格好。
一見すると皇居ランナーのようにも見える。
こちらの姿をみとめるといきなり話しかけてくる。

A これは何と読むんでしょう(郎次彌川品爵子)
B ええと
A ああ 右から読むのか?
B 「子爵品川彌次郎」 ですね
A 子爵!
B ええ
A 子爵というと…公侯伯子男だから
B 上から四ッ目ですね
A あなた 頭いい 東大ですね
B ? いや…
A 公爵はデュックで、侯爵は…
B 侯爵は知らないですね
A マルキですね マルキ・ド・サド
B なるほど
A 私フランス人なんです
B ??
A もう80過ぎですが(どう見ても30代後半〜40代前半)
B 男爵はバロンじゃったかな
A あら あなた西の人ですか 私は京都です
B ああ 岡山です
A ほう 岡山 侯爵はデュックですね 私フランス人なんですよ
B …?
A まあ ハーフですが ほら!(帽子を取る。金髪…おそらく人工的に染めたものだと思われる)
B はあ
A もう80過ぎて 83歳です
B それは にわかには信じられないのですが
A 昭和8年の生まれです 陸軍でね
B (だったら 軍隊に入って戦地に赴く年齢じゃないよね)
A 兄は海軍で 私は陸軍 あれっ どっちだったかな 私が海軍?
B (知らんがな)
A もう80過ぎで昔のことです
B はい
A いやあ 素晴らしい 出会いは素晴らしい 飲みに行きませんか
B いや 連れがいるんで
A ああ そうですか 素晴らしい この聖域でね
B はあ
A この靖国のね 私はガイドをしてます
B ああ そうですか(よく見ると腕にGUIDEと書かれた腕章をしている/空色の地に黒字で)
A 御霊よ安らえたまえ!
B ……
A 記念写真を!(リュックサックに手を入れカメラを探すも)どこいったかな まあいいや
B ……
A このあたりも支那人や朝鮮人がウロウロするので私 どやしつけてやったんですよ
B いやいや
A 支那ソバだの朝鮮漬けだのの臭いにおいが
B そういうのは 同意できんです
A (無視して)あいつら コソコソ逃げて行きやがる
B (どうしようかな)
A 侯爵はデュック 大山益次郎は見ましたか?
B ? 大村益次郎ですか
A ああ大村 はい大山益次郎のね あの人は土佐の生まれで
B いや 長州です
A 長州! わたしも長州の生まれで!
B (さっきと言ってること違う)
A 安倍ちゃんもね 長州でね  私 安倍ちゃんと友達ですから
B はい
A 長州人として 私は福島のことを想うと……
B ああ、原発の…
A 福島の人には申し訳ない けどあなた方の犠牲は…(泣きそうになっている)
B (あれっ これは原発ではなく戊辰戦争のことか)
A 私は……うう……うわああ(顔をくしゃくしゃにして泣いている)
B (なすすべもない)
A (いきなり大きな声で叫びだす)御霊よ安らえたまえ! …ああお気になさらず!
B ……
A うおおおおん
B ではこれで
A いい出会いだった あなた立派だ! 国立大学を出たのですか?
B (もうあんまり喋りたくない)
A 私は✕✕✕✕といいます お名前聞かせてもらえますか
B キグチです
A キグチさん 岡山には多いんですか
B ああ 結構います 木口小平とか
A キグチさんね 岡山に多いんですね
B 木口小平 知らないですか ラッパの
A (無視して)いい出会いでした!
B はい では
A 御霊よ安らえ給え!


だいたいこんなところである。
実際はもっと長くやりとりをしていたけど、内容が支離滅裂で繰り返しも多いので、うまく再現できなった。銅像の前に立ち尽くす彼に背を向け歩きながら、私は少し混乱していた。久々に出会った異物だった。

日本では学生でいるうちは他者にであう機会が少ない。普段はクラス内の小さなグループに属しているし、校外に拡がりがあったとしても趣味などを通じた快適な関係であることが多い。だから、どうしようもなく話が通じないような相手と直面するのは、社会に出て仕事を始めたあとになる。そしてその変化はいきなりなので、人によっては抵抗を感じるかもしれない。自分がそうだった。建設工事現場という、これまでとは著しく違った環境に身を投じ出会った中には、わかりあえない、あいたくない人もたくさん居た。だが、そうした経験が重なるに連れ、自分の中の社会観、世界観に変化が生じ、そしてその変化は善いものだと思うようになった。

ところが最近は、幸か不幸か舞台の仕事が集中し現場に出る機会が減って、交友関係も演劇やアート関係者に偏り気味になっていた。一面で快適ではあるが、他面では不快でもあった。せっかく築いた社会観がしぼんでいくのを感じていた。だから、昨晩のこの出会いは、決して心地よいものではなかったけれど、私の中の、調和や秩序に関する描像を再び押し拡げる契機となった「素晴らしい」ものだった……と認める。

それで、今はひとまず、彼のような、知識を著しく欠いているがしかし国を想う気持ちだけは強固、というパーソナリティがいかにして生まれるんだろうか、どうしてこれを維持できるのだろうか、なんてことを考えている。

品川彌次郎(wikipedia)

















2013年8月15日木曜日

えがく喜び

似顔絵を描いてうまくいったとき、描かれた相手やその様子を見ていた周りのひとは、わあ凄い、似てるねえと言ってくれる。ところが自分はそういわれる度に心中穏やかでなくなり、そうじゃないと叫びたくなっていたりする。いや、もちろん褒められたら嬉しいし、相手に他意はないのは承知している。ただ、似てる似てないでしか絵を観られないのは寂しいことだと思っている。



絵は、人間が時間をかけて作成する図の一種で、この「時間をかけて」というのがけっこう大事な点である。別に、何年もかけて完成させろと言ってる訳じゃなくて、ボールペンでササッと描いた絵、それが出来るまでの刹那も時間だ。その時間のうちに自分の眼と手(と、それらを繋ぐ思考)が運動した軌跡として、絵はある。

実のところ、絵を愛し自らも嗜む人間の多くは、結果としての軌跡ではなく、運動を愛している。だから観る人にもそれを感じて欲しいと思っている。全体像として絵が何をかたどっているかではなく、絵筆が、ペンが、いかに躍動したかを想像して欲しい。残された足跡から、その場で行われたダンスを思い起こし、その想像の中で鑑賞するように愉しんで欲しい。

だから、極端にいえば何が対象として描かれたかはそれほど重要ではないのだ。

しかし、我々は単なるジャンプやジョギング、腕立て伏せや腹筋をスポーツとして鑑賞するほど暇ではなかったりもする。サッカーや野球や相撲の試合を観るとき、我々は勝敗や様々な記録、得失点差や打率や優勝回数をも気にしながら、選手の(肉体の)勇躍を味わっている。

勝利への意思なくして選手の運動も発生しないのと同様に、何かを描こうとする意思なくして絵筆の運動も発生しない。これが大きなジレンマとしてある(もちろんその限界を越えようとする試みが為されてきた歴史もあるが、ひとまずここでは措いとく)。



自分は、器用貧乏だなと自嘲しつつ、絵を描いたり下手なギターを弾いたり、それよりも更に下手なピアノをときどき弾いたり、あと、こうして文章らしきものをしたためたりもしている。ヘタでもガキの頃からずっとやっていれば運動の愉しさもだんだんわかってくる。だから、より多くの人にこちらに来て欲しいなと想いながら、ものを作っている。

完成した図を観てあれこれ言うのではなく、それがある程度の製作時間を要した手仕事の結果であることを知りつつ愛でることが出来るひとを増やしたい、という気持ちがある。リテラシーとはそういうことじゃないのか。

チマブエ《十字架のキリスト》の部分のマリア像 


自分が描いた似顔絵を見て、描線の躍動を観てくれるひと、あるいは批判するにしても、ボールペンじゃなくて木炭で描いたほうがアンタの手の運動はもっと活き活きと伝わるんじゃない?などと楽しそうにいってくれる人を増やすために、これからも活動していきたい。

アンリ・マティス「生きる喜び」

なんだかひどく単純なことしか言ってない気もするが、というか、実際にそうなんだけど、大事なことなので自分に言い聞かせるように書いた。











2013年7月13日土曜日

キューバ・メタル・フェスティバル

「本当の音楽ならば子供からお年寄りまでその良さが伝わるはず」と言われ、ずいぶん不愉快な気持ちにさせられた。これは何も音楽に限った話ではないし、というかそもそも俺は、宮沢賢治のあの健気な「ほんたう」は別として、「本当の◯◯」という物言いが嫌いだ。

本当の音楽、本当の演劇、本当の芸術、と何を代入してもいいが、気易く「本当」を口にする素朴な権威崇拝に、国旗国歌を慌てて法制化した我らが政府の貧しさと同質のものを感じ、なぜ一介の蓼食う虫でいられないのか疑問に思うとともに、いち早く安全地帯を確保した上で乗り遅れたものを嗤おうとする、朝の通勤電車でよく見かける風景を思い出しうんざりもする。

「おはようからおやすみまで」なるコピーには当然日中も含まれており、少々クドく書き換えれば「おはようから(こんにちはは勿論のこと)おやすみまで」となるのだが、「子供からお年寄り、もちろん壮年、青年、中年の方々も」などと逐一列挙しだすと、性別や人種やハンディキャップ(障「がい」)や属する時代や地域の違いについても言及すべきではないかと疑問を呈されることもあるだろうし、何より、そのような良識溢れる言いがかりを付ける連中こそ普段は「本当の」だの「子供からお年寄りまで」だのと口にしている気がしてならない。

以前自分たちの作品について「内輪受け」と評され、それはある程度は分かってやっていたことだし、だから批判も正面から受け止めることしか出来ないのだが、この話を知人としている折に、半ばヤケになっての発言だが「そこらにある他の作品だって視覚や聴覚に問題のない人を前提にしてるじゃないか」などとほざいてしまい呆れられてしまったのだが、ことを根っこから考えたいのなら、これだって無視できる問題じゃないだろうとも思う。

「作品は人を選ぶ」で開き直れと言いいたいわけではない。しかし結果として選別は作動するのだし、それを覚悟しないまま発表など出来るわけもない。「普遍性」や「芸術を愛好する市民社会」などが理念でしか無いことを重々承知しつつ(汝の隣人、いや自身をよくよく見給え)、所詮「内輪受け」でしかないのなら、その「内輪」の輪郭線の描く軌跡に自覚的であればよい。

かねてより気になっていた上映会のため、六本木のライブハウス「新世界」に足を運ぶ。

映画:君はBRUTAL FESTIVALを知っているか!

内容:カリブ海に浮かぶ島国であり今となってはかなり少なくなってきた社会主義国家でもあるキューバにて年に2回開催されるヘヴィメタル音楽のフェスティバル『Brutal  Festival』の、今年2月に開催された時の様子をこのジャンルじたいについては殆ど素人の日本人が撮影・編集したドキュメント映画

http://shinsekai9.jp/2013/07/08/cubamovie/
http://brutalfest.com


この日いちにちだけ、たった二回の上映会なので、それなりの混雑を予想していたのだが、会場には自分を含めて10人もいない状況で、やや拍子抜けするものの、トークゲストが招かれていた初回の上映はもしかしたら盛況だったのかもしれない。ともあれ、タバコをふかしながら映画を見られる環境を喜び、スクリーンに集中する。はじめは前座、フランスやデンマークから参加したバンドの演奏の様子が、ときおりプロフィール紹介などを交えながら淡々と併置されていくのだが、正直言ってどのバンドもショボく、これならばかつて足繁く通っていた高円寺や新宿界隈のアマチュアバンドのほうが余程かっこよく演奏力も高い。しかし彼らが無価値かといえばそうではなく、「枯れ木も山の賑わい」の諺が示す通り、ショボいバンドがたくさんあるお蔭でシーンだって盛り上がるのだし、上位バンドも安心して音源を発売できるのだ。

この時点で、現在自分が活動しているパフォーミングアーツ領域と比較しながら映画を観ていたのだが、続いてフェス運営者のインタビューが始まるに及んで、両者の区別はいよいよ曖昧になっていく。社会主義を採るキューバでは大衆音楽もまた政府の支援=監視のもとで運営されており、これを一手に引き受けるのが「キューバロック機構」である。Brutal Festはこの政府系外郭団体と、地元のレコードレーベルではあるがフランスからの居住者が創始した「BFF」によって共同主催されている。過激な衣装や演奏を披露するバンドメンバーもインタビューの場では「助成がないとやっていけない」「いまメキシコに滞在できるよう政府に申請をしているんだ」と率直に語っており、個人的には感情移入して余りある。

「音楽(芸術)はかくあるべし」とは別の、のっぴきならない次元で我々は活動していくため支援者の顔色をうかがいつつ、時に自己欺瞞も辞さない態度で、口八丁のノウハウを蓄積していくのだが、こんなことは作品を享受する人にとってはどうでもいいことではある。気が向いたら続きを書く。





















2013年7月2日火曜日

【お報せ】 第6回 写生大会 

【注意】日程変更してみました
                7/14 → 7/15


天気予報があやしいので中止にしました。
残念だけどしかたない。
また別の機会計画します。




写生大会やりたくなったので開催させます
今回で第6っかい目です

そもそもの由来

ものを写生するなんて
生を写しとるなんてどう考えても無理なのに
嬉々として絵を描いたり架空の人物を演技で表現するれんちゅうに
心の底から腹が立って始めたのでした
今でもそういう気持ちがないといえば嘘になるし
演劇なんて止められるキッカケさえあれば辞めたいけど
止められないので困っています
クソッタレが

ここ最近は動物園でやることが多かったのですが
写生開始前に口を酸っぱくして
「眼の前に居る"それ"の、名前はおろか全ての知識を捨てた上で絵筆をとってください」
といってるのにもかかわらず
みんな「あ、虎かわいい」「象さんすてき」などとほざきながら描く始末
クソッタレが

動物はもうだめです
なのでお寺さんにします
被写対象は自由ですが
できれば建物にしてほしいです
あと
これはもうやけくそなアイデアですが
当日大会開催中は、お子様連れの方などを除き、発話厳禁にします
無言で、沈黙を貫いて、只管打描しますさせますやらせます
長い人生、中にはそんな一日が在ってもいいかなと思う方
歓迎します
お絵描きしましょう

*参考 前回の告知ブログ記事 http://akumanoshirushi.blogspot.jp/2012/04/4.html
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【日程】
2013年7月14日 10:00 ~ 17:00 
   7月15日(月・祝)10:00〜17:00

* 当日の流れ
10:00 までにJR横須賀線北鎌倉駅前集合(無言) → 説明会(無言)
10:30 説明終了、写生開始(無言)
12:00 各自適宜昼食(無言)
13:00 写生再開(無言)
16:00 一旦集合(無言)→ 講評会(無言)
17:00 解散(無言)→(無言)→帰宅(できれば寝るまで無言)

*雨天中止
(予報が雨の場合は、当日朝7時までにメールにてご連絡いたします)

*遅刻早退可

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【会場】
瑞鹿山円覚興聖禅

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【会費】
¥200(画用紙その他準備の実費として)+¥300(拝観料 / 子供は ¥100)
悪魔のしるし特製画板希望の方は別途 ¥500 (要事前注文)
画用紙画板ともにご不要の方は予約の際にその旨お伝え下さい。会費は頂きません。

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【予約】
件名を「写生大会参加希望」とし、

・お名前
・人数
・当日の連絡先(電話・メールアドレス)
・画用紙の要 / 不要
・悪魔のしるし特製画板を 注文する / しない

以上を明記の上 akumanoshirushi@gmail.com までメールにてご連絡ください。
2日以内にご返信いたします。

なお、画板の予約は 7/12(金)までとさせていただきます。

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【準備するもの・注意事項】
画具(鉛筆 絵具 クレヨン その他なんでも大丈夫です)。
画板(画用紙を使われる場合は必要です)。
昼食のお弁当は各自でご用意ください(北鎌倉駅前にコンビニは有ります)。
ゴミは全てお持ち帰りください。
水彩絵具を使用する場合は事前に水筒ないしペットボトル等で水をご用意ください。
また、絵の具を溶いた水を決して境内の側溝などに流さないでください。
往来の真ん中を占有しないでください。
当日は暑くなるので熱中症にお気をつけください。
その他 参拝者の方々のご迷惑になる行為はお止めください。