2013年10月2日水曜日

プレイバック

今回のツアーのプロデューサーであるKさんとともに朝イチから市場に装飾用の材料の買い出しに出かけ、何回か意見の交換を交わしたあと使用する資材を決定し購入した。昼前に作業場に戻り大工班と合流、搬入物体の造作を進めるも、完成に近づくに連れ心中に在った違和は次第に拡大し、見過ごせぬものとなっていった。

シンキングタイム、と言い残して喫煙所で独り沈思し、そして、午前中に買った資材の不使用を決めた。それをKさんに伝えるのは辛かったが、もうこういうことで妥協するのはやめようと思ったのだった。

所詮自己満足だとは思うが、朝に買った資材の代金分は自分のギャラから引く。

そして自分は、集団作業であり、創作と興行がピタッと張り付いている表現形式であるところの演劇の、「ゴメン、今のナシ」という台詞の言えなさについて考えはじめていた。

これが絵画であったならばどんなに楽だろう。
これが建築であったならばどんなに辛いだろう。


1)絵画
今年の初夏、5月中旬、スロヴェニア〜クロアチアでのツアーを終えたあと、せっかく欧州まで来たのだからということで、友人が出演するフェスティバルを観ようとフィレンツェを訪れた。現地で制作をすすめる友人の宿に居候し、その見返りというわけではないが、パフォーマンスの小道具として数枚の絵を描くことになった。作品中で語られるエピソードの背景となる、紙芝居風のボードだった。昔ほどいつもいつも絵を描いているわけではないので、最近はエンジンがかかるまでに少し時間が必要なのはわかっていた。最初に描いた絵は、側で見ていた友人はわりあい気に入っていたようだが、自分としては満足のいくものではなかった。だから破壊した。友人は少し驚いた、というよりは何か嫌なものを見た、といった態度で私をやんわりと避難した。自分勝手だと。

2)建築
学生時代、恩師がオーガナイズしたカンファレンスをまとめた書籍を購入し、読んでいた時のこと。建築家だらけの会議場になぜか呼ばれていた伊藤ガビンさんが、「建築って後戻りできないのが面白い」「やっぱナシって言えないのすごい」「もしそれが可能になったら建築は劇的に変わる」みたいな発言をされていたのが(正確な言い回しは憶えてません)ひどく印象に残った。


建築も演劇も、その制作過程における後戻りの出来なさ、にはなかなか辛いものがある。それでどうなるかといえば、つまり様式なるものが生まれるのだと思う。