2013年12月27日金曜日

オキナワ

沖縄出身の同居人とはわりと淡々とした付き合いで、普段は込み入った話などしないのだが、それでも全く無いというわけではなく、気になることがあれば聞きもする。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/131227/plc13122710150008-n1.htm


それで、例えばさ、米兵が事件起こしたりするのってどう思ってるの? と問えば、あんなの滅多にないと事も無げに返される。基地がなけりゃ仕事無いヨー。それにほとんどの米兵は近所づきあいもしてるし、仲もいいんだヨー、お年寄りなんか牛乳とか缶詰とか頼んでお使いに行かせてるヨー、基地のほうが安いしサイズも大きいし。だから沖縄の牛乳はみんな2リットルサイズだヨー。

それで自分は、遠回りに聞こうとしたことを恥じつつダイレクトに問うてみる。基地反対じゃないの? 全然反対じゃないヨー、だって、さっきも言ったけど仕事無いヨー。基地でもってるんだヨー、沖縄は。

スカッと返してくる相手に、俺の、借りてきたような正義感はあまり役に立たないのだった。ただし観察眼は使える。「滅ッ多に」「全ッ然」というとき、ふだんからひょうひょうとしている彼の語気が、少し、ほんの少しだけなんだけど、強まる。その些細な抑揚の変化が、彼が過去に何を見たり、どんな相手と話してきたかを物語る。

自分は、こうした人びとの生活を奪うから基地反対運動は慎重に、と言いいたいわけではない。むしろ、こんな人びとは、きっと、基地が無いなら無いで、アッケラカンと生きていける強さを持っているのだ。そして、この力強さに甘える形で進められるような反対運動は、ダメだと思っている。