2013年
活動記録と総括
1月〜2月上旬 Rules
& Regs + ST スポット
黄金町に滞在し、英国や豪州から来た作家と交流。お題をふまえて20分ほどの作品を作り上演した。創造性を求めて今の仕事に移ったと広告代理店出身のプロデューサーは言っていたが、アート(という名目に収まっている)ならなんでもクリエイティブなのか、と言う疑問は残る。そこに悪しき「清貧思想」のようなものが紛れ込む可能性は少なくない。ひとりだけで作ったせいか、アイデア偏向で客観性を欠いた作品が多ったのも問題。自分の場合は、もっと短く(鋭く)することができたと思う。サンプラーの面白さ、利便性を発見し、その後何回も使うことになる。
2月中旬〜下旬 搬入プロジェクト#11
鳥取
鳥取大学地域文化学科による市街地活性化運動「ホスピテイル・プロジェクト」の一環として参加。搬入#03
(豊島)以来気になっていた地域とアートの関係についてあらためて考える機会として捉え、「偽祭」をテーマに仕上げてみた。実はまだ映像の編集が終わっていない。今年度内にかならず完成させる。多くの協力者に恵まれ、充実した環境で行うことができ、幸せだった。一方で、そうした人々と、無関心層との断絶は都市部以上に深いと実感。しかしこれは趣味や教養に訴えるのではなく、地縁血縁を媒介としつつ解していくべきだと思う。そのときに、作品自体の強度をも損なわずに進める方法が必要だ。先日拝聴した鈴木忠志と利賀村の話も今後何らかのヒントになるだろう。
3月
芯まで腐れ(吾妻橋ダンスクロッシング)
過密スケジュールを縫いつつねじ込んだせいで、出演者には直前の徹夜など、負担を強いることになった。作品性も結果的にはこれまでと同様、恨み節を基調としたものになってしまった。それはそれで好んでくれるお客さんも居たが、一種の「言い訳芸」なので乱発は自重したい。つまり、無理なら依頼を断れということになる。ただ、楽屋で、飴屋さんや大谷さんをはじめ、いろんなひとと交流出来るのは単純に楽しかった。この頃から、やはり(大きな)舞台に立つにはそれなりの身体が必要ではないか、と考え始めた。
4月 搬入プロジェクト#12
リュブリャナ(エキソドス
リュブリャナ)
スロヴェニアでの上演。小規模ながら充実したフェスで、有能なスタッフとともにいい時間を過ごせた。いちばんの反省点としては、会場選びに積極的に関与できなかったことが上げられる。最終的には搬入できたので良かったが、狭く深く、そして長いルートだったせいで、上演が間延びしたのは事実。ただし事前に現地で調べるのも難しいので、今後同様のケースがある場合は、こちらからの要求項目を整理しきちんと伝えることが必要だと実感した。雨のせいか、一般市民の人出が少なかったのも残念だった。
5月 搬入プロジェクト#13
リエカ
ゆるいレギュレーションであるがゆえに多様な演出を可能とするこの作品の、悪いところが出た。つまり、方針を定めきれなかった。社会的政治的文脈を踏まえることに関心がある招聘側NPO並びに危口と、搬入プロジェクトはその無意味性が重要だと指摘する石川との間で意見がぶれた。また、これといった空間を見つけられず、最終的には昨年のチューリッヒの場合と同様、練り歩き的な上演になった。ただ、それでも街にとっては新鮮だったようで、喜んでくれる人も居た。カゴを使うアイデアじたいは悪くなかったと思う。ボランティアスタッフの作業スケジュールを整理する能力が欠けていた。これはソウルでも露呈する。
5月中旬〜下旬 フィレンツェとウィーンを視察
クロアチアでの上演後、いったんスロヴェニアに戻り、関係者に挨拶。現地在住の舞踏家福原隆造さんとも交流出来て有意義な日だった。不法占拠地域メテルコヴァを観られたことも大きい。その後電車を乗り継いでフィレンツェに。現地で滞在制作中の篠田千明らと合流、宿舎に潜り込ませてもらい、スタッフとして作業を手伝う。マームとジプシーなども観劇。20年ぶりに観るブルネレッスキ建築(大聖堂)はやはり圧巻だった。
マックスと連絡を取り、高速バスでウィーンへ。座席がデカいので思った以上に快適だった。現地での苦労を聴く。予算削減を目論む官僚との戦いでお疲れの様子。それとは別に、藝術の都であるという自負が強すぎるので市民の目は厳しいそうだ。危口がここで活動することがベストかどうかはわからない、とのこと。彼のアパートで一泊だけしてフィレンツェに戻る。篠田の上演初日を見届けて帰国。
6月中旬 北京視察
タイミングよくサンガツが北京公演を行うというので、以前から何かやらないかと話を持ちかけてくれていた菅野を訪ねる。当地の建築/デザイン/アートと政治の関係などについて知る良い機会となった。旧市街 Dashila 地区で何か、というか搬入できないか。現地NPO孫さんとも打合せ。半端に美味いものよりは、明らかにマズい、というか味覚の構造自体がかけ離れているのでは?と疑いたくなるような食い物のほうが面白くて、マズいマズいと言いながら笑いながら食べたことが印象に残っている。政府主導の藝術特区にも足を運んでみたが詰まらなかった。
7月中旬〜8月上旬 TACT/FEST
大阪で児童向け演劇を上演。最初はなかなか方針が定まらなかったが、7月下旬に稽古見せがあったお陰で、強引ながら方針をまとめることができた。こうしたステップを設定しておくことは、客観性を持つためにも非常に重要だと認識。しかしその後の公演でこのような機会を設けることができなかった。来年以降の活動に活かしたい。作品はけっこう上手くいったと思う。個人的には、楽屋の空間構成でいい仕事ができたと自負している(狭すぎるので3団体づつ交代しながら使う計画だったが、6団体同時に使用できるように家具や資材などを再配置した)。なんだかんだ言いつつも大勢が集まる催しが好きだ。
8月下旬 百人斬り(吾妻橋ダンスクロッシング
ファイナル)
ここ2年ほど呼んでもらってるADXも、団体として参加するのは初めて。ファイナルということで、こちらから「百人斬り」はどうかと提案した。時間調整大変なところ快諾してくれた運営側に感謝している。人員集め&整理が大変だったが、最終的にはなんとか上手くいった。ただし内容的には六本木バージョンを反復しただけで、これといった進歩はなかった。まあ、この演目に進歩を求めるほうが間違っているのかもしれないが。あと、この頃から、グループ内で交わされる膨大なメーリスにみんなが疲れてきた。自分も、作品内容以前、準備段階での合意形成で疲弊することが増えてきたと感じていた。
9月 悪魔としるし
台本を書く、といっておきながら結局仕上がったのはかなり後になってからのことで、ここでも出演者・スタッフに迷惑をかけた。稽古場に見に来てくれた照明の奈美さんが「とりあえず通してみて」と言ってくれなかったら本当にやばかったと思う。TACTでもそうだったが、きちんと作品として作っていくならば役割にかかわらず全員が会した稽古見せは重要。悪魔のしるしという集団でそれをどう実現していくか、この頃から意識的に考え始める。結論としては、よほど前からスケジュールを決めておかないと無理だと思う。この公演と、続く12月公演は、公演日程を決めるプロセスがマズかった。重要な決定は、今後メールではなく直接会える場で行う。よろしくお願いします。
繰り返しになるが、「合意形成」というのにほとほと疲れていた。そしてそれは、「これがやりたい」「これでいく」と強く打ち出せない自分に原因がある。これからは自分のビジョン、欲望を強く打ち出していきたいと思う。いままでは、方針やコンセプトを伝えたとき、周囲に「?」って顔をされるのが怖くて、あまり言ってこなかった。反省します。どんなに不格好だとしても、やはり柱がなければ建物は建たない。
10月 搬入プロジェクト#14
ソウル市庁舎(ハイソウルフェスティバル)
何と言うか、たまった鬱憤を晴らしに行った感もある。そして上演も、途中で建物の扉が開かないというトラブルがあったものの、それも面白がりつつ、終えることができた。何から何までコーディネートしてくれたコ・ジュヨンさんに感謝している。市の中心で行われたフェスだったので、参加者もたくさんいてよかった。演出的にも政治色を消し、ただ単にデカい・カッコイイ物体を作ることに振ったのが良かったと思う。これは河本の技術が不可欠だった。いつも手伝ってくれてありがとう。材料選択で無駄な出費があった。これも自分が気持を素直に表出しなかったのが原因。良かれと思って周囲がしてくれることも、作品にとっては良くない結果をもたらすことがある。ディレクターとして成長したい。
11月 メタルロゴワークショップ
疲れてしまって、やる気が落ちていたけど、宮村さんがケツを叩いてくれた。結果的にはとても楽しかった。楽しすぎたので子供のようにはしゃいでいたら、「個人活動が楽しいんなら、面倒くさい舞台公演なんてやめればいいじゃん」とたしなめられる局面もあり、主宰たる自分自身の振る舞いについて考えるきっかけにもなった。個人に重点を置いた活動と、集団としての活動と、より明確に線引していく必要を感じている。参加者ごとの役割分担とそれに伴う責任の所在をハッキリと。ただ、それを対外的に宣伝・強調する必要は、まだそれほどないと思う。事実、搬入プロジェクトなどは「悪魔のしるし」名義ではあるものの、全員参加ではない。
12月 注文の夥しい料理店についての簡潔な報告
準備段階で想定外のことがいくつかあり、スタートを切るのが遅れたのが反省点。最終的には美才治さんという強力な協力者を得られたことでなんとか終えることができた。しかし、ここでも演出方針を決めきれなかったせいで作品完成度を下げてしまった。もっと面白くできたはず。一方で、金森さんは、今年はこの作品がいちばんよかったとのこと。言いたいことは何となく分かる。
まとめ
作家としての自分、プロジェクトリーダーとしての自分、それぞれ性質の違う二つの立場に引き裂かれることの多い一年だった。今後はこれらを場面に応じてきちんと使い分けることが大事だ。というよりは、作家としてビシッとすることで後者としての振る舞いも、より明確になると思う。来年は自分のやりたいことだけに集中したいし、そのほうが周囲にもいい環境を提供できると信じている。