2014年9月17日水曜日

韓国滞在記 ②

前回(http://akumanoshirushi.blogspot.jp/2014/09/blog-post.html)の続き。

午前:
この日から日本語通訳としてカン・ミンヒョンさんが付いてくれる。彼女自身もアメリカや日本(東京芸大)でも学ばれたアーティストである。通訳の合間合間にカンさん自身の見解も挟んできてくれるのが面白い。

光化門広場に着いたあたりで案内役のジェヨプさんはここがこの国の縮図だと大きな声で言った。広場の突き当りに王宮があり、その奥に青瓦台(ブルーハウス/大統領官邸)、広場の周囲には合衆国大使館や保守系新聞社の本社ビル、そして広場でデモを続ける市民、と目に映るものをひとつひとつ指指しながら教えてくれた。ところが自分の目は彼が指差さなかったある建物に引きつけられた。


70年代末に建てられた世宗文化会館という施設。格調高めの公演や大規模なコンサート等に使用されるので、今回集まった面々にとっては身近な存在ではない。日本で言うなら東京文化会館や国際フォーラムのようなもんだろうか。コンクリートの質感を表に出しつつ、組み木っぽい窓格子など東洋的な意匠も盛り込んで格好良いと思った。いまネットで調べてみたところ設計者は厳徳文という建築家で、若かりし頃は早稲田にも留学されていたそうだ。韓国建築家協会会長だったというし、日本における丹下健三的なポジションなのだろうか。まったく見た目は違うけど、なんとなく香川県庁舎とも通じるものを感じるし。コンクリートによる近代建築構法と民族性の両立、的な。

香川県庁舎/丹下健三/1958


もっと詳しく知りたいのだがどうやらこの方、某宗教に深くコミットされていたそうで、その情報ばかり出てくるので困ってしまう。まあ、それはさておき建物は格好いいのは間違いない。スケジュールの都合もあり詳しく見られなかったがいつか内部空間も見てみたい。

そのまま光化門をくぐって王宮を見学。昨年訪れた北京の紫禁城を一回り小さくしたような感じ。北京でも思ったけど、機能性よりも観念=図式をそのまんま立体に起こしたような施設で、よくこれで暮らせたなと思うんだけど、機能主義などなかった時代だし、大掛かりな事業が持っていた権威性に触れられることもできるし、経験としては面白い。観念による建築へのムチャぶり、とでもいうか。それって戯曲と俳優の関係にも近いかもしれない。



セルカ棒で撮影してる人が結構いた。主に、というかほとんど若い女性。写真の彼女はスマホじゃなくてGoproというのがオリジナリティがあっていい。今回の来韓の密かな目的はこのセルカ棒を入手することだったりする。あんまり詳しくしらんけど、「自撮り」は既に一つの文化だと主張する声も聞くし、そんな文脈でもセルカ棒はなかなかおもしろい現象だと思う。だいたい、自撮り以外には何の役にも立たなそうなところがいい。

昼食:
宮殿を見学し終えたあと昼飯のためホンデに移動する。ホンデは学生街で小劇場などもたくさんあるエリア、ヤンさんは「シモキタザワ」のような場所だと言っていた。雨が強くなってきたせいもあって隅々まで見られなかったけど、たしかに若い人で賑わっている。自分は正直いうと「シモキタザワ」はあんまり好きじゃないんだけど、ホンデもそうなのかはまだわからない。

飯を食いながら、昨夜見たパフォーマンスの感想言い合いっこが始まる。自分の感想は、「シンプルなパフォーマンスに対して、それに添えられる音楽がエモーショナルすぎるのでは」と言った趙川さんとほぼ同じだった。

午後:
少し歩いた先にある某劇場のスタジオに場を移す。スタジオの脇にある部屋に喫煙所があるのがありがたい。周りにもすっかり危口=タンベ(韓国語でタバコの意)と認識されている。やめられるもんなら辞めたい。

ソウルを拠点とする演出家数名が加わり更に会話を続ける。自己紹介がてら「搬入」のことなどを話す。思いのほか受けがいいので気を良くする。特に、「毎日の労働=稽古、となるような作品を考える」いう発言がウケた。演劇を続けながら喰っていくという誰もが共有する問題についてひとつの解決法を示しているという点で。

日々の暮らしを離れたところに作品像を設定すると、どうしても作品のための特別な時間を日常と区分して設けないと進めなくなる。そのための劇団であり、そのための専用スタジオであり、そのための演技法であることは重々承知してるのだが、そうじゃないやり方がないかなと考えている。でもまあこれもそんなに実践的なアイデアではないなと自分では思ってる。ビジョンの提示、という意味ではいい線いってると思うけど。食う食えないという点ではそれほど有功ではない。そういう意味では新政府総理のモバイルハウスみたいなもので、作品としては具体的だけど思想としてはまだ観念レベルといいますか。アート作品なんだからそれでいいじゃないか、と自分では言いにくい(言いたいけど)。

会合の場では「right」「left」という言葉が頻出し、当然みんな「left」側から発言するんだけど、そんな単純な二分法でいいのかなと個人的にはモヤモヤしながら聴いていた。そうしたら中国の趙川さんが「ウチのほうじゃleftが体制側だから」とコメントしたのが傑作だった。そりゃそうだ、共産党だもん。

趙さんは続けて、「公的な劇場は事前審査が厳しくて自由に活動できない。だからギャラリーなど審査がない会場を使うことが多い。それでもツッコミが来ることがあるので、そういう場合は企画名を『社会◯◯』にする。『社会』と付くと一応体制側っぽくなるなので許されたりする(笑)」と、これまた面白い話を教えてくれた。となると拘るべきは表向きの保守-革新の看板ではなく硬直化したビューロクラシーとどう付き合うかだよね、みたいな話をした。趙さんはホントにジェントルかつインテリジェントで惚れてまう。

続く。