2014年11月9日日曜日

現場について②

昨日書いた記事の続き。

『磯崎新の革命遊戯』に「重源か遠州か」という対談が収録されている。ここでは磯崎のテキスト『始原のもどき―ジャパネスキゼーション』が中心の話題となっている。磯崎は、海外から渡来してきた概念がしだいに変形され日本的なものとなっていくことを<和様化>と名付け、これを批判した。その概要は以下の通り。

「磯崎さんの言う《建築》とは、奈良においても、鎌倉においても、あるいは明治においても、日本にとっては常に外部から招来される革命的、あるいは断絶的な存在であった。しかしその後必然的に迎える内部化、内向化の史的過程によって異質な批判力を持っていたはずの《建築》が次第にそのコンテクストに馴化し去勢されてゆくという過程であると」(対談冒頭、中谷礼仁の発言より)

そして磯崎はこの過程すなわち〈和様化〉の対になるものとして、式年遷宮を繰り返す伊勢というシステムを置いている。大局的かつ説得的なこの図式に対し中谷は現実的な視点からの批判を試みる。つまり、実際に建設を担う工人たちのことを見つめながらの批判である。

建築生産の上部構造として例えば外部から与えられた様式があるとすれば、それを支える下部構造として大工組織が保持している技術力がある。そして〈和様化〉とは、その様式の実現に期待されるだけの質を技術力が既に凌駕してしまったときに起こる現象である、と。そしてこの下部構造つまり技能組織が集団化すればするほど、その内部で蓄積される美意識は強固に継続すると中谷は言う。

卑近な例で恐縮だが、これはそのまま2年前(2012年9月)に自分がKAATで経験したこととに近い。おそらくそういうことが起こるだろうと予想した上で言い訳のようにタイトルを『倒木図鑑』としてはみたものの、不純な心持ちが災いしてか本物の倒木のようにスカッとは倒れずそのまま立ち腐れしたようなものになった。

続く。