2012年1月19日木曜日

内容(内輪ウケ)に就いて

なるべく自己弁護にならぬよう気をつけて書こうと思っていますが、そもそもの動機がズバリ自己弁護なので隠し通せそうにもありません。そして酒(アサヒ黒生350ml缶)も入っている。

おかげ様でなんとか公演も終えることができ、その後は、感想をまとめてもらったサイトを、褒め言葉には嫌らしい笑みを浮かべ、貶し言葉には舌打ちをし、しかしそもそもの性格が、とにかく言及してもらえることに、もらえさえすれば喜びと安堵を覚えるような残念さなので、つまり総じて笑を浮かべながら眺め(面倒くさいのでこの段ここで終了)

ご批判いただいた中で多かったのは、やはり、内輪のノリにも程があるだろ、的なもので、じっさい作品内容としては、出演者、関係者、そして俺自身の具体的かつ直截的な情報が濃度高めに混入させてあるし、直接俺のことを知ってる人のほうが楽しめそうだし、ご批判はいちいち尤もです。

そんなこと分かってるのに何でこんなことになってしまったのか。

思えば、三十路を越えたあたりから、作中で笑いを取りたいときに考えこむことが多くなってしまったのでした。学生の頃はあんまり考えてませんでした。というのも、お客さんも自分と同世代、同環境の学生ばかりだったから、考える必要がなかったのです。

笑いとは、滑稽さとは、という定義については難しいのであんまり触れたくないのですが、単に技術的なことでいえば共同体のコードをいじくれば笑いは起きやすくなります。学生ばかり、同世代ばかりの環境は、共同体のコードを解析するのは楽チンでした。'95年くらいはまだ携帯電話もネットも無かったからテレビや新聞のネタだけでもだいぶイケたし。

で、話を戻すと、三十路を越えたあたりから、若い人(10~20代)と話がかみ合わなくなってきたのです。今のところ自分の作品の主なお客さんは若い方が多いし、今後もしばらくはそうだろうし、だとするとこりゃちょっとマズいなー、と焦りをおぼえたのでした。

 それでもなるべく多くの人が理解してくれる大きな共同体にまで視野を広げれば何とかなったのかも知れませんが、たとえば「日本社会」とか「政治」「サッカーのワールドカップ」とかって規模がデカすぎるからギャグもそのぶん緩くなるんですよね。まあ、この点に関しては、俺が細かい、細かすぎるネタが好きなせいもありますが。

でも、これって、話はギャグだけではなくて、テーマとか、劇中で使う語句とかでも一緒だと思ってます。 演劇作品だから、という理由でなんの注釈もなく「チェーホフ」や「ストリンドベリ」なんて語句を混入させたら、好きな人には通じるけど、たとえば俺の職場の同僚やバンドのメンバーには届きません。

だから、いま現在、「共同体とは」みたいな議論が盛んな現在にあって、建て前上の可能性としては、言語を解する、モノを考えられる人間なら誰でもOKな劇場という場にあって、あらゆる場所から人種から年齢から成るお客さんの共通コードを取り出すのって、まあ無理ですよね、って思いたくないけど思います。

(だから俺は「搬入プロジェクト」という逃げ道を用意してます)

バックグラウンドを共有しない様々なお客さんが来られる状況にあって俺が頼りにできるのは、もう、その作品が上演される劇場(施設)に関する情報や、開演を待つ間に目を通していただけるパンフレットや、上演開始後に舞台上で起きたこと、くらいしかありませんでした。つまり、上演前数時間~上演中の、合計してもせいぜい10時間程度の範囲から語句なりテーマを引っ張ってくるしかなかったのです。

しかし、どうもビールを飲んだ頭で小難しいことを書こうとして失敗しまくってるので、この件に関しては後日改めて書きたいと思います。乱筆失礼致しました。