2012年3月11日日曜日

劇場の構図 1-1



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第1章-1 はじめに



まず冒頭で


民俗芸能が現代的な演出に翻訳されて、大劇場で披露される機会が非常に多くなった。

と、現代の芸能の状況を紹介しつつも


なぜか、街路や広場では生き生きとしていたそれが、近代的な設備の整った劇場に拾い上げられたとたんに、輝きを失い剥製のように冷たくなってしまうのである。

と、筆者はそこに違和を表明する。ことは民俗芸能だけではない。小劇場界隈で活動する我々も他人ごとではない。

百人程度しか観客を収容できないような小さな劇場で、迫力満点の演技を行い、われわれを虜にした新進気鋭の若手劇団が、認められて大劇場に進出したとたん、粗暴な欠点ばかり目立つようになる


これは、自分や自分の知り合いの活動を振り返ってみても思い当たる節が多々ある。なぜこのようなことがおこるのか。筆者は以下のように推察する。

現代舞台芸術であっても、民俗芸能であっても、演じることを意図するあらゆる芸能行為には、どうもそれに最もふさわしい場というのがあるのではなかろうかと思われる。



優れた建築物が、その寄って建つ敷地の条件、状態、ひいては周囲の環境を読み込んだ上で設計されているのと同様に、空間芸術としての側面を持つ芸能もまた、それが行われる場への配慮なしには成立しえないのではないか。いや、配慮というだけでは弱い。作品上演は空間との結託なしに盛り上がることはない。例えば、

60年代の後半に衝撃的に登場し、われわれを圧倒した、佐藤信の「黒テント」や唐十郎の「赤テント」の迫力は、戯曲の優秀さや社会に対する問題意識の鋭敏さ、或いは役者の力量などに加え、彼らが最もふさわしい場、即ち、テント空間を発見し、それを縦横無尽に使いきったところが大きい。

 と、テント芝居における上演空間の熱さを紹介する。



 80年代に入った今日(※この本の初版は1985年)、佐藤や唐の生み出した新しい形態の演劇は、現在ではひとつの演劇ジャンルとして定着し、小劇場ブームと言われるように、多くの観客を動員できる一種の文化産業にまで成長している。しかし活動が一般化すればするほど、当初の強烈な空間意識はどんどん希薄化する一方である。

 このあたりの状況は、演劇に触れたのが90年代中期以降である俺にとっては、いまひとつ実感がない。テント芝居はその構法上、自ずと空間規模に限度を持つが、それにこだわらない多くの人気劇団は活動の場を小劇場から更に大きな空間へと移していったようだ。例えば野田秀樹率いる夢の遊眠社は、その活動のクライマックス、あの代々木体育館で上演したと聞く。さすがに大規模過ぎて想像しにくいが、ここまでデカイと逆に盛り上がったような気もするが実際はどうだったのだろう。


当時俺が所属していた学生演劇サークルの稽古はかなり体育会系というか、ストレッチや筋トレ、発声練習やストップモーションなどに重きを置いた、身体能力重視のものだったから、その意味で、志向として「ボロ(小劇場)は着てても心は錦(大ホール)」だった。

つまり、「演劇活動におけるサクセス=観客収容能力の増える大きな空間への進出」と信じられていた時代の名残のある中で俺は活動を開始したのだった。先輩が意識してたのは第三舞台やキャラメルボックスだったから、規模としては紀伊国屋ホールあたりが念頭にあったのかも知れない。

(俺は少し上の世代であるジョビジョバなどに感情移入してたな~。しかし直後にチェルフィッチュに出会い上演空間への意識が激変するのだった)

ちなみにこの学生サークル、何の偶然か建築学科の人間が妙に存在感を発揮しており、 公演のたびにテントを建てていた。上演空間に対する俺の執着(アマチュアリズムやセルフビルドへのこだわり)もこのあたりが原風景となっているのだろう。




















話が逸れた。元に戻そう。筆者は現代の劇場空間への疑義を以下のように提示する。

 昨今の演劇活動は、彩り豊かで美的な情景を見せてはくれるが、上演の場であるホールに対して、なぜそこで演じるのか、そこがほんとうに最もふさわしい場なのかという積極的な問いかけをするものが、めっきりと減ってしまったようで寂しい。これは舞台芸術の想像力が萎えはじめているからかも知れない。しかし、その背後には、芸能を創り上演する立場の人々と、劇場という場を創る建築家との直接的な精神交流が衰弱し、ほとんど共通の言葉を持ちえなくなっているという、不幸な事態の進行をも見ることができる。

ここまでで課題図書「はじめに」のまとめは終わり。
以下は俺の勝手な独り言。


先程も触れたようにこれが書かれたのが1985年、そこから既に四半世紀が過ぎているわけだが、事態は改善していないように思える。いや、むしろ複雑化してる。これは、演劇作品や演劇人の成功モデルが変化したせいでもある、と推測する。

「小劇場→大ホール→映画やテレビの仕事でゲットマネーしつつ舞台にこだわる」

80~90年代における演劇人のサクセスストーリーはこんな感じだったように思う。これが、チェルフィッチュ以降、

「小さくても優れた作品→そのままの規模で海外をツアー」

に変化した。もちろん皆が皆このモデルに追従しているわけではないけど、少なくとも自分の身の周りではそのようなアプローチを採るカンパニーが増えている印象がある。例えば快快は先ごろ上演した「アントン・猫・クリ」において、出演者を少数に絞り、舞台美術等も簡易なものに留め、海外のシアターやフェスティバルへの売り込みやすさ、持ち運びやすさをアピールしていた。
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追記(3/18)
↑とはいうものの快快は前作「SHIBAHAM」に於いては、無謀ともいえる多彩な仕掛け+膨大な事前準備を踏まえたプロダクションを試みており、「アントン~」は、その経験もあっての返し技、と言える。
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グローバル化による交通の活発化と、その一方で同時進行する「趣味の共同体」「解釈共同体」のセグメント化がこのような状況をもたらしていると推測する。

 それぞれのモデルが独立しているのならばさして問題はないように思えるのだが、両者がクロスしたとき事態は厄介なことになる。これは演者だけでなく、作品をセレクションし、お膳立てするプロデューサー側の立場の人間にも再考を促したいところだ。一度に多くのお客さんを呼び込んで自身の注目する作品・作家を紹介したい欲望をそのままにしておくと、空間と作品の相性の悪さが露呈し、結果として作品本来の魅力を削いでしまうことがあるのではないか。

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次回 1-2「観ること、観られること」に続く→

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