2013年6月18日火曜日

北京旅行記2





前回の続き

スパゲッティ喰ったあとはKHも職場に戻ってしまいひとりですることもない。劇場にWi-Fi環境はあったものの、SNSやブログは規制されていて繋がらないし、なんだか疲れたのでひたすら寝ていたのだが、周りがにぎやかになったのに起こされ開演時間が近いことを知る。

そしてライブが始まった。
演奏の様子はこちらを参照されたし(クリックするとFlickrに飛びます)。


Beijing_Sangatsu_2013



ここでひとつ告白しておかねばならないのだが、実は、俺はサンガツの生演奏の音がちょっと苦手なのだ。最初に断っておく。

(ちなみにCDは愛聴してて、特に『5つのコンポジション』はしょっちゅう聴いている)



以前、まだ知り合ったばかりの頃だがサンガツの小泉さんに「ハムバッキングのギターは使わないんですか?」と訊いたことがある。小泉さんのギターはフェンダー製でシングルコイルだ。

何のことやら?な人のために説明する。
エレキギターは弦の振動をボディに埋め込まれたピックアップという装置で拾い、これを信号に変えて出力しているのだが「シングルコイル」とか「ハムバッキング」というのはこのピックアップの種類のこと。一般にシングルはキレが良いというか、音の粒がクリアで、ハムはモコモコっとした感じ。チョコで言うと、きのこの山とたけのこの里くらい違う。果てしなく違う。



シングルの音は、ほんとうに単なる音というか、そのままでは意味を成さず、きちんと構成(コンポジション)することなしに音楽には至れない。つまり音楽以前の音、物音に近いということだ。一方でハムの音は、あらかじめ音楽に使われることを想定した上で作られている様に思う。もちろんこんなのは自分勝手な捉え方なのだが、ギターが好きな人にはなんとなく分かって貰えるのではないかとも思う。

そう考えると、サンガツはいうなれば、音楽が生まれる瞬間を都度目指している、ということもできる。となると、これは俺が舞台でやってることにも近いのではないか。俺自身、演劇というものが既にあると思っている人、「演劇道」みたいなものがありそれを歩みたいと思っている人、仕事として演劇でメシを食っている人…との意識の違いにこれまで悩んできたが、こと音楽に関しては俺もそれが「ある」という前提に立ってしまっている。ヘヴィメタルという、「演劇くさい音楽ジャンル」が大好きなことからもそれは分かる。

(「演劇」という言葉の意味するところに対する俺の関心の持ち方の面倒くささには自分でも辟易している……)

俺は音楽には甘い夢しか求めていない。聴いてる時だけ無敵感を味わえればそれでいい。だからサンガツの演奏の、あの、シングルコイルのキンキンした音、ハイハットやシンバルのシャリシャリした、あと一歩で黒板を引っ掻く音になりそうなあの即物性というのが結構つらい。根本的なところで俺には音楽、ついでに言えば色彩のセンスが無い、それはよく思う。

中国とあまり関係がない話題になってしまった。
続き(ライブの翌日故宮博物院に行ったことことなど)も近いうちに書きます。


















2013年6月17日月曜日

北京旅行記1










支那人を書くということは簡易な事でもなく浅墓なことでもなく景気のよい事でもありません。しかし現在では、支那人を書くということは恐らく世界の各民族にとって一つの課題となっているのではないでしょうか。ある国が支那人を書くということはその国の文化的表情を示すことになります。その国の知性の成長を示すことになります。支那人を書くということはそれ故決定的な力を持った事なのです。それなのに、どうして日本人はアメリカ人の作品(パール・バック『大地』のこと/危口注)を読んで満足せねばならなかったのでしょうか。古代支那人の書いた記録の注釈書が老大家によって学生に講義されている東京で、私共は何処の書店に行ったら支那人を書いた日本の小説を買うことができるのでしょうか

  __ 武田泰淳『支那文化に関する手紙』より引用


これ1940年というから今から70年以上前に書かれた文章だけど、現代では取扱注意である「支那」という単語を抜きにすれば昨日誰かがブログに書いた文章だと教えられても驚かない。中国って中国人って一体何だ知りたい知っときたい知られるのか。というわけでたった数日間ではあるものの現地で過ごす機会を得たことだし彼の顰に倣って(小説じゃないけど)記録をつけてみる。




大学時代の後輩で三年ほど前から北京の設計事務所で働いているKHから最近仕事場で出世して生活にも余裕がでてきたんで何かやりたいんすよ良かったら一度来ませんかと連絡を貰ったのが去年のことで以来訪中のタイミングを伺っていたのだが折よく悪魔のしるしのマネジメント担当Oさんが音楽バンド「サンガツ」の北京公演にツアーマネージャーとして協力することになったのでこれに帯同することにした。

トランクなど持たず適当な鞄二つに着替えやら文庫本やら詰め込んでエイヤとばかりに飛行機乗って着いたのが割と最近出来たばかりの北京国際空港第3ターミナルで設計はかのノーマン・フォスター卿であらせられる。KH曰く北京五輪に合わせゴリ押しで建てまくった新施設の中でもこれは設計施工ともに大成功の部類だそうで確かに気持ちのよい建物、大スパンを僅かな細い柱だけで支えてて非常に開放的、そして天井を覆う無数のルーバー、そこから透過する光が繊細さを演出。






ゲートがかなり混んでいて時間がかかってしまったけど無事入国、迎えに来てくれていたKHとともにタクシーで北京市街へ。






せっかくなので写真をたくさん撮る撮る撮るが目につくのは矢張り自転車とスクーター、そのほとんどが電動でヘルメットはもちろん免許もいらないもんだからとにかく大量に走っている。幼い頃北京に抱いていたイメージは大量の黒塗り自転車の群れだったけど勢いはそのままで現在は自動車と電動二輪に置き換わってるもんだから交通渋滞がひどく大気汚染が進行しているという報道は日本でも話題になっている。本当は一人一台という規制があるのだが偽造ナンバーが大量に出回っていたり役人の汚職が酷かったりで効果が無いそうだ。こういう事例はその後何度も目にすることになる。

ちなみに街で見かける自動車の殆どはドイツ製か日本製で国産車は全くといっていいほど居ない。聞けばフレームが鉄じゃなくて樹脂だか何だかで出来てて強度的に相当まずい(段ボール箱レベル)らしくとてもじゃないが怖くて乗れないとのこと。



自動車といえばこれもKHが実際に見てきた話なのだが地方の農村ではホントに何の娯楽も無いもんだから若者たちが30年とかの無茶なローンを組んで高級車を買っちゃったりするそうで、しかし運転は荒っぽいもんだから数年のうちにボロボロにしちゃったりして兎に角「終わってる(KHの口癖)」とのことで、こちらとしても寂しいような笑っちゃうような根拠も意味もなく「アメリカが悪いんや!」などと言ってしまいたいような気分に。なんでそーなるの、と死後硬直気味のギャグでも口にするしか無い。

この日の夜がサンガツの北京公演初日ということで、宿となるKHのマンションには寄らずそのまま会場である蓬嵩劇場(peng hao theater)に向かう。




胡同(フートン)と呼ばれる古い路地の密集する区域にある蓬嵩劇場。五輪などでかなり整理されてしまったそうだが、まだ市内にはこうした路地が幾つかあり、手付かずのまま残っている所もあれば綺麗にリノベされ観光地化された所もある。劇場周辺は両者の間〜やや観光地寄り、といった状態だった。





蓬嵩は北京で初めての民営劇場だそうで、社会制度が複雑に絡みあうこの国、しかも政治色の強い北京で斯様な試みを維持している関係者には頭がさがる思いだ。



本番を前にして準備中のサンガツメンバー皆さんと対面。



おそらく四合院の中庭にあった樹をそのまま残したものと思われる。





劇場に併設されたカフェ。メニューはオシャレな感じ、値段もやや高め。
腹ペコだったのでひとまずスパゲッティボロネーゼを食べた。



およそ日本的とはいえない梁組。見た感じそんなに古くないかも。
そしてサンガツのライブが始まるわけだが、感想は次回にします。

→続き http://akumanoshirushi.blogspot.jp/2013/06/2.html?spref=fb









2013年4月27日土曜日

2013年 夏から秋に向けての募集的なアレコレ

毎度お世話になっております。

現在「搬入プロジェクト」上演のため滞在しているクロアチアの港町、リエカにてこの記事を書いてます。

(旅の記録についてはこちらをご参照下さい)

プロジェクトごとに新しくブログを立ち上げてるので、そしてここ最近執筆のお仕事など頂いたりで、こっちの方は更新が稀になりがちですが、折にふれて使います。<観光地>シリーズも途中だし。

さて今回は募集のお知らせです。
夏から秋にかけていろいろと計画中でして、一緒にやってくれる人たちを募ります。
とはいえ、まだ予算編成含む詳細な計画ができてないので、最終的な結論は先になると思います。ともあれ、興味持った方はお気軽にお早めに連絡いただけると有難いです(返事が遅くなるかもしれないのですが)。

計画は以下の三つです。

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【1】

準備+稽古:7月〜

本番:8月上旬

会場:関西

人数:2〜3人

出演料:交通費と滞在費宿泊費支給、余裕あれば数千〜1万円ほど上乗せできるかも。

内容:20分ほどの小品を制作・上演します。とある特殊な環境での発表となるので、その点に気を配りつつ作ります。

売り:特殊な環境の特殊さがマジ特殊なので特殊な意気込みで特殊に取り組みたい。参加者にとっても新鮮な体験となると思います。
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【2】

準備+稽古:お盆明け〜

本番:9/20 あたりの週末

会場:横浜某劇場(現在仮押さえ中)

人数:3~5人

出演料:助成金 製作費のやりくり次第ということもあり、まだちょっと未確定。予算ナシナシ企画になるかも。でも意外とやる気はあったりする。

内容:誰も信じてくれなさそうですが、戯曲を書きます。更に信じてもらえなさそうですが、稽古初日までに書き上げたいです。ということはつまり、演劇の源流たる詩へのあこがれを隠さずに作りたいと考えています。とりあえず、マームとジプシー出演などで知られる、そして「悪魔のしるしのグレートハンティング」に出たことは黒歴史化しつつある女優、高山玲子さんを主役として捕まえました。そして森翔太さんには断られてしまいました。

物語内容は、2012年に神田でやった小さなパフォーマンス作品をふくらませていく方針です→これ http://akumanoshirushi.blogspot.com/2012/10/greenhorns-throne.html

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【3】

準備+稽古:11月〜

本番:12月中旬

会場:横浜某所

人数:未確定だけど3〜5人くらいかな?

出演料:コチラに関しても【2】と同様、まだ不確定。

内容:悪魔のしるしが結構前に上演したある作品のリメイク。上演条件が特殊なため、会場との折衝次第ではいったん延期になる可能性もあります。そういった事情込みでなお興味ある方はご連絡下さい。
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【条件】
相変わらず特にコレといった条件は無いのですが、悪魔のしるしのこれまでの活動や、演出家危口統之のことをある程度知っている方を優先すると思います。いや、初対面でもノリが合えば問題ないんですけどね。論理じゃなくてノリ優先なのが俺のダメなところだなとは思います。

もちろん複数の企画に参加したいという意見もなるべく尊重したいと思います。

ところで、ですが、いかにもなオーディションってやつは昨年「倒木図鑑」のときにやってみたら予想以上にしんどかったので当分やらないと思います。各人に直にお会いして決めたいと思ってます。

今後更に決まったこと、気づいたことがあればこのブログや、ツイッタ、フェイスブックなどで追ってお知らせいたします。

きぐち





2012年11月27日火曜日

観光地とは土地の演技である(2)

演技と観光地を結びつける考えが自分の中にいつ生まれたのかはよくわかりませんが、それほど昔のことではありません。悪魔のしるしの活動が本格化するにつれ、何でもかんでも演劇のアナロジーで捉えるような思考の癖が悪化し、その過程で見出した視点のひとつです。ただし、そのための材料はコレまでの人生で着々と貯めこんではきていたようで、例えば僕の故郷は観光地としてそこそこ有名な倉敷です。

江戸時代の町並みを保存した「美観地区」や、日本で最初の本格的な西洋美術館である大原美術館などを資源とする観光都市であり、同時に、瀬戸内海工業地帯の一角である水島コンビナートを有する工業都市でもあります。

集落調査の調査(*「集落調査」ではなく、これまでに実施された集落調査の調査)を行なっている友人から教えてもらったのですが、倉敷市による景観問題への取り組みは、1968年に「倉敷市伝統美観保存条例」のを設置したのが始まりで、その後1979年には「倉敷川畔伝統的建物群保存地区」の指定、と全国的に見ても割と早い動き出しだったそうです。この時代(高度成長期末期)の観光・国内旅行事情など調べると何か面白い発見がありそう。

もうちょっと地元トーク続けてみます。

町並みを保存し、完璧に観光地化された「美観地区」がある一方で、その隣に本町(ほんまち)というエリアがあります。もともとは観光エリアではなく、普通に暮らす人々の民家や商店が並んでいたのですが、その殆どは特に建て替えられることもなく、多少の改築、改装だけで生き延びてきたので、結果的には「古風な景観」+「リアルな暮らし」という、イイ感じの結合を達成し、美観地区のオルタナティブとして注目されるようになりました(といってもささやかなものですが)。

例えば古書店好きの間では有名な「蟲文庫」なども本町にあります。
http://homepage3.nifty.com/mushi-b/



本町通り。古い町家、蔵をそのまま維持しつつ生活が営まれている。
最近は観光客がこちらにも足を伸ばすので、それっぽいお店が増えてきた。
美観地区。運河沿いに並んだ蔵屋敷の多くは、観光客向けの土産物屋や飲食店として改装→使用されている。
また、通り全体に照明設備が設置され、夜間はライトアップされる。























電線を地中に埋めて綺麗な外観保持に努める美観地区と違って、本町には電信柱が立ってるし、お店の看板も張りだしてます。観光客向けのお店も近年は増えましたが、昔からあるのは畳屋さん、電気屋さん、駄菓子屋さん(10年程前になくなっちまった)など地域の人のためのお店です。言うなれば、冷凍保存と漬物の違い、といったところでしょうか。

美観地区が、「そのものになりきる」完ぺきな演技を続けているのに対し、本町はあくまでも自然体、まずは住む人達の暮らしがベースとしてあります。ぱっと見は綺麗な美観地区ですが、個々の建物は商家や土蔵という本来の機能を剥奪され、民芸品店やレストランとなっているのに対し、本町では民家は民家として、蔵は蔵として使われているという健全さがあります。

先日、外国人(ベルギー、スイス、韓国)の知人を連れてこの界隈を歩く機会がったのですが、やはりというか何というか、ウケがいいのは本町の方でした。で、恐る恐る自説_土地の演技としての観光地_を披露したところ、スイス人のマックスさんから実に興味深い発言が飛び出しました。

彼曰く、かつてシェイクスピアは、「All the world's a stage」と謳ったが、いまや「All the world's a zoo」だと。いちいちもっともだと思います。

集中力が切れた(早すぎる)ので、続きはまた今度にします







2012年11月22日木曜日

観光地とは土地の演技である(1)

こないだ別府と国東半島に行ってきました。
別府プロジェクトや国東アートプロジェクトを体験したくて。

2010年に瀬戸内国際芸術祭(島キッチン企画)で「搬入プロジェクト」を上演して以来、地方と観光、そしてアートとの関係に興味を持ち始めていたこともあり、いろいろ考える材料を持って帰ってきた感じです。

豊島に関しては基本的に良い思い出しかないのですが、そう簡単には割り切れない印象深い出来事も幾つかあって、まずは何といっても産廃不法投棄問題、もうひとつは(産廃に比べれば些細な事ですが)現地の方に「アートのひと」と呼ばれたこと。

「お兄さんも、アレか、アートのひとか?」

そういって声を掛けてきたオジさんに他意は無かったと思います。が、その屈託の無さも含め、この言葉は自分の中にしこりとして残りました。

アーティストではなく、「アートのひと」。
この響きの違いこそが、我々の日々の暮らしとアートとの距離感を表しています。しかし、だからといって島の人から「アーティスト」と呼ばれたかったか、と問われれば、そうでもない気がするし、正直いって、今のところはどうすればいいのか、どうなればいいのかよくわかりません。

瀬戸内国際芸術祭総合ディレクターである北川フラム氏は、どこかのインタビュー(もしくは彼に関する報道記事だったかも)で、芸術祭の予算に関して「文部科学省ではなく国土交通省から引っ張ってきたことが重要なのだ」と発言していました。つまり、文化事業としてではなく、観光事業の一環として芸術祭を組み込むってことです。そういえば「観光立国」なんてスローガンもありますね。国が仕掛けるキャンペーンと協働することでいろいろご利益があったのでは、と推測します。

急速に高齢化、過疎化の進む離島や僻地の、その「遅れ」「寂れ」をひとつの観光商品として売り出すこと、そしてその引き立て役としてアートが用いられること。ちょっと乱暴な整理ですが、こういうことだと思ってます。別に悪口じゃないです。


「近代の特徴のひとつは、本物(オーセンティシティ)はどういうわけか失われ、それはほかの文化の中で取り戻すことができるのだ、という信仰である」(ジョン・カラー)


我々は日々の暮らしに倦んだとき、「ここではないどこか」に自分を充足させてくれるものを求めます。そして求められる「ここではないどこか」の中身が、ディズニーランドなどのレジャー施設ではなく、離島や僻地という、いかにも「本物」っぽい対象へと変化してきているのが、何か、こう、示唆的だと感じています。

「本物」志向といえばアートもそうで、と言ってもアートのことをそれほど知らないので大したことは言えませんが、とにかく「リアル」「リアリティ」という言葉が随分幅を利かせている界隈であるとは言えます。なにか「本物」を感じさせる対象を求める人たちがいて、彼らは、アートや僻地の自然、寂れた集落に引き寄せられるのです。

で、このへんから演劇、特に「ポスト・ドラマ」とか「ドキュメンタリー演劇」などと呼ばれる運動の話と繋がってくるような気がします。

気が向いたらまた続きを書いてみます。

*今後のためのキーワード備忘録
TDL
トータル・リコール
ALWAYS三丁目の夕日
倉敷美観地区
横浜中華街
熊野三山
京都木津川浄瑠璃寺
観光資本
搾取
転用
リノベーション
ディラー&スコフィディオ「スーツケーススタディ」
リミニプロトコル「カーゴ」「資本論」
PortB
飴屋法水「いりくちでくち」
悪魔のしるし「搬入プロジェクト」
Gob Squad「Before Your Very Eyes」
フラッシュモブ
福島第一原発観光地化計画
北京・大栅栏跨界工作室
鳥取ホスピテイル・プロジェクト
フロンティア・スピリット














2012年10月28日日曜日

お知らせ イベントのご案内 [ GREENHORN'S THRONE ]

まいど危口です。
今年はスイス行ったり大きな劇場で仕事したりの機会に恵まれ有意義な年だったのですが、一方で、真面目なこと不慣れなことが続いてちょっと気疲れの年でもありました。
なのでここらでホゲ~としたものをやろうと思います。

悪魔のしるし としてではなく危口個人としてこじんまりと造ります。で、宮崎晋太朗くんと島田桃依さんが参加してくれることになったので三人で MARCH OF MISERY という演劇などをやるバンドを組みました。ジャンルはスカンジナビアン・ブラック・ドゥームです
題名の GREENHORN'S THRONE というのは 青二才の玉座 という意味ですが(グーグル翻訳さんありがとう!)語感が DARKTHRONE に似ててカッコイイと思ったので採用しました。 

☆どうなることやらでしたが お陰さまで無事 上演終了いたしました
ご来場の客様、関係者の皆様 ありがとうございました。 
ついでなんで、久々に書いた台本らしきものもここに載っけときます。 


1

こうして話している時点で
結局上手く行かなかったってことですよね
だって、ね、グラフィティの心意気ってのは
スプレー缶だけで唸らせる、その一点にかかってるんですから
あとからこうしてああだこうだ話してるようじゃ ね

(ため息)馬鹿みたい

ほんと

父がよく言ってましたよ
父は、そう、心霊写真の細工師だったんです
ご存じない?
でしょうね
30年ほど前にね、あったんですよ 
心霊ブーム
「あなたの知らない世界」
知ってます?
知らない
あなたの知らない「あなたの知らない… ドーン…

~誰も知らない夜明けが開けたとき

あの頃
昭和天皇がずーっと下血しててね
下血
お尻から血が止まらないの
毎日毎日ね新聞の一面トップにね 載ってるんですよ 数字が
毎日も朝日も赤旗も
今日は何cc、次の日も何ccってね
アレですよ 
今風に言えばシーベルト

おいたわしい って言ったの 父が
天皇陛下のニュースを視ながらね
おいたわしい って
子どもの私は意味がわからなくて
おいたわしい って
老いた鷲だと思っちゃって
鷲は死ぬときお尻から血を流しながら死ぬのかなって
カラスやスズメもそうなのかなって
トンビが鷹を産むって言いますけど
父の最後から二番目の言葉がね
「お前は鷹だ」って 
自分がトンビのつもりでね
自分は絵の才能がないけどお前ならって

苦労して何浪もしてね
やっとのことで入った美大なんだけど
途中で辞めちゃって
絵描きになりたかったんだけどダメでね
子どもができちゃって
にっちもさっちもね
行かなくなっちゃってね
小さな出版社に出入りするようになって
挿絵を描いたり
装丁したり
色々やってたらしいんですけど
心霊ブーム
来ましてね
フィルムに細工して心霊写真もどきを作る仕事にね
最初はふざけて作ったのを会社のひとに見せただけなんだけど
ひどく評判が良くて
あれよあれよですよ
いつの間にか引く手あまたになっちゃって
テレビや映画も仕事もしたそうですよ
遊園地のお化け屋敷にもアドバイスしたりして
だからあんまり覚えてないんだけど
暮らし向きは良かったと思います
家に画集がたくさんあって
モーツァルトのレコードがたくさんあって
歌うとね
父が褒めてくれるんです
(アイネ・クライネ・ナハトムジーク)
素晴らしい って
昔の思い出

ブームは所詮ブーム っていうけど
オカルトは廃れませんからね
稼ぎは減ったけど
貧乏ってわけじゃなかったし
みんなね好きなんですよ
地獄とか幽霊とかあの世とか
この世だけじゃ満足できなくて
いや
この世しかない寂しさを紛らわせ…
じゃなくて
自分たちだけでこの世の
この世にはこの世しか無い
あの世なんてありゃしないって事実…から逃げたいんですよね

cc血が流れても
何シーベルト汚染されても
逃げ場所なんてないんですよ
ずっとずっと染みこんでいくんです
この床にもこの壁にもこの天井にも

2

心霊写真細工師の心意気っていうのがありましてね
父がよく言ってたんです
ほんとうらしく、それらしく
ありもしないことをそれらしく
それだけに心血を注いでね
でも
仕事の痕跡を
自分の手の跡を残すのは以てのほかだって

父は売れっ子だったから
あの頃出た心霊写真集の殆どには父の「作…「写真」が載ってます
心霊写真集って本じたい、いい加減なものだから
使い回しもずいぶん多いんですけどね
今でも私のアパートにね
経堂に住んでるんですけど
全部大事にとってあるんですよ
私が死んだら近所の
経堂の駅の目の前にある図書館に寄付するつもりです
あそこは小さな図書館ですけど
岡崎乾二郎の「ルネサンスー経験の条件」なんかが置いてあって
ずいぶんセンスがいいんですよ
もう絶版でね 高いんですよあの本
神保町で探しても見つからないんです
いい本なんです
芸術っていいな素晴らしいなって思えてきて
そう思っていたいんです、私
だから絵を描いていて…

ずっと子供の頃から絵が好きで
クラスでもいちばん上手だったし
でも「蛙の子は蛙」でしたね
どうせならトンビのほうが良かったんですけどね
「トンビの子はトンビ」じゃダメなのかな
だったら空も飛べるはずだったのに

父がね
心霊写真細工師の心意気を持っていたように
私もね
グラフィティアーティストとしての心意気があるんです
誰の助けも借りず
誰にも知られること無く
もちろん金銭的な見返りなんて求めず
時が経てば色褪せる粗末な画材で
苦情や通報に怯えながらスプレーを吹き続けて
父はね
自分の手がけた心霊写真を「作品」って言ってて
私はそれが嫌だったんです
だって
サインも日付も入ってないし
ギャラリーや美術館に飾られることもないし
なのに作品って

私はね
私のやってることや
やった痕跡のことを作品
って言いたくはないんですよ
だったら何なんだって
祈りだと思ってます
京都のね
伏見稲荷のね
鳥居がズラーって延々と並んでるのね
アレが祈り 
ひとつ積んでは父のため ってね

だからちょっとづつ積んでいけばよかったんだけど
つい出来心で
断崖絶壁の上の
老いた鷲の巣にね
スプレーしたくなっちゃって
年老いて
もう飛べない鷲にね
祈りでも捧げようかなって
九段下の駅で降りて
武道館の横をすり抜けて
万物の霊長たる自覚でもって
選挙権のある
税金払ってる人間様としてね
おいたわしい老いた鷲を慰めてたくてね
「お前は鷹」だって言ってくれた父の為にもね
お堀に落ちたときはカエルでよかったと思いましたけど

私がHIPHOPに出会った頃…高校卒業するあたりだったかな
父の稼ぎが目に見えて減ってきて
写真がデジタルになって
レタッチソフトも充実してきて
だいぶ追い詰められてましたね
「フォトショップ」はもちろん「Mac」でさえ父の前では禁句で
ぜんぶMacのせいに父はしたがってたけど
それだけじゃ
ほんとうはそうじゃないですよね
父は
自分の「作品」を見て怖がる読者を想像しながら仕事をしてたけど
その傍で育ってきた私は当然ですし
それから
ほとんどの読者もね
わかってたと思うんです
心霊写真なんて嘘っぱちだってことを
どっかの誰かがフィルムにちょこちょこ細工してんだろうって
まさかそれ専門の仕事があるなんてことまでは想像できなかったかもしれないけど
とにかく
皮肉なことですけど
みんなね
父の仕事を「作品」として見てたんですよね

父が自分の仕事を「作品」っていうとき
私は自分の心の中に哀れみの感情が起きるのを自覚してたんですけど
それは
心霊写真ごときを「作品」って言い張る父の卑屈さに対して
じゃなくて
そんな 可憐な心意気なんて無視するように
みんな作品として
作り物として心霊写真を楽しんでたの知ってるから

小学校のとき
クラスでね
自分の親の職業について調べて発表する授業があって
わたし馬鹿だったから
大きな声で堂々とね
「私のお父さんは心霊写真を作ってます」って…
友だちよりも先生の目が辛くて
電気屋のお父さんを持つ生徒には
「誰々さんのお父さんが居ないと電気がなくて大変ですね」とか
薬屋の家の子には
「誰々ちゃん家のお店がないと病気のとき困りますね」とか
それで
「私のお父さんは心霊写真を作ってます」って私が発表したら
シーンとして
そんですぐにクラス内大爆笑
だけならいいんですけど
曖昧に笑顔してるだけで何のコメントもしなかった先生のね、あの表情はね…
でも
いまの私
もう
あの時の先生より年上だし
だからどうってわけじゃないですけど
ま、いっか、って
学校にギターを持ってきてね
みんなで歌うのが好きな先生でしたよ
いつの日も絶えること無く友だちでいよう~とか
燃えろよ燃えろよ炎よ燃えろ~とか
フォークソングみたいなのよく歌ってました
君が代はどうだったかな
こないだ人づてに聞いたんですけど
今じゃもうボケちゃって
ご家族も大変みたいで
おいたわしい とは思うけど
ま、いっか、って

3

ブレア・ウィッチ・プロジェクトって映画
流行ったでしょう
あの時 わたし気づいたんです
ああ 父はもうだめだ って
いや
経済的にはもうとっくにダメになってたんですけど
でも
あの映画見て もう本格的に
ダメだこりゃ って
素人がね樹海に入っていって心霊ビデオを撮ろうする話でね
もちろんアレだって「作品」、作り物ですよ
でも素人の素人らしさを見せてくやり方で作ってて
汚いんですね 絵が
そう
汚いって思ったんです、私は
幼い頃からいい絵ばかり見て育ってきたから
汚いものはすぐ分かるんですよ
でね
父の「作品」てね、綺麗なんですよ 心霊写真のくせに
「心霊写真細工師の心意気」が聞いて呆れますよね
「仕事の痕跡を、自分の手の跡を残すのは以てのほか」って
思いっきり残ってますから
構図とか色合いとか
計算しまくっちゃって
何いってんだか
もうウケないんですよ
綺麗なものは

デジカメやMacが原因じゃなくて
みんなの感性が
心霊…幽霊とか
地獄とかあの世とかをこの世のどのあたりに据え置くか
そのへんのセンスがね
変わっちゃったんですよね もう
みんな
それは父もわかってたはずで
だから母が死んだわけで
馬鹿ですよね
ほんものの心霊写真なんて
あるわけないのに
ほんもの欲しさにね

後はご想像にお任せしますけど

ともあれ
カエルの子はカエル ってことで
何がほんものか
私もよくわかりませんけど
まあ
生きとし生けるもの
鷲も
鷹も
トンビも
カラスも
スズメも
カエルも
あと
木も虫も石も
床も壁も天井も
あれこれひっくるめて

おいたわしい

ですよね

これで
私の供述を終わります 


  TRANS ARTS TOKYO   パフォーマンス部門 参加企画 
[GREENHORN'S THRONE]

【原作】たぶん「絢爛の椅子」深沢七郎など
【作/演出】たぶん危口統之
【出演】MARCH OF MISERY (J peach みやしんラーメン KIGCH)
【ジャンル】たぶんスカンジナビアン・ブラック・ドゥーム演劇
【上演時間】たぶん30~50分くら

 【とき】11月4日(日) 16:30開場 17:00開演

【ところ】  旧東京電機大学11号館 3F、B1F、B2F

 【チケット】1500円(全席自由)
件名を [11/4パフォーマンス観覧希望] とし、
1) ご予約回
2) 人数
3) お名前
4) ご連絡先電話番号 を明記の上
reserve@kanda-tat.com 
までメールにてお申込みください

※入り口にてTrans Arts Tokyo参加料500円(会期中何度でもはいれるパスポート制)が別途かかります。


 【イベント概要】
元実験室で繰り広げられるサイトスペシフィックな身体表現 
ダンス批評家であり「吾妻橋ダンスクロッシング」オーガナイザーである桜井圭介と
ダンサー・KENTARO!!のキュレーションによるダンスプログラム。
11月4日(日)と11月25日(日)の2日間にわたり大学の元実験室でパフォーマンスが繰り広げられます。
詳細→ http://www.kanda-tat.com/project/011.html
  
11/4の出演者は 以下の三組
Abe “M”ARIA http://www.youtube.com/watch?v=wneSch2-Evo
危口統之           http://www.akumanoshirushi.com/about_kiguchi.htm
core of bells   http://coreofbells.com/

※危口の出番は2番目。たぶん17:30~45くらいからです。



【内容(いま適当に書いた)
IT(フォトショップなど)化の波に負け廃業失意のままに息を引き取った心霊写真細工師(*)の父を持つMは、その恨みを晴らすべく今日もスプレー缶片手に夜の街で暗躍、ヴァンダリズム精神を遺憾なく発揮ていました。しかし何というコトでしょう、神が彼女に与えたもうた画才は、怨恨の道具にするには余りにも輝かしいものだったのです。これを悲劇と呼ばずしてどーたらこーたら

(*)心霊写真細工師
80年代に巻き起こったオカルトブームに乗じて出現した、特殊な写真加工を専門とする職業。既存の写真に怪しげな細工を施し、さも怪奇現象が起きているように見せかける技術を持つ。マッド・アマノとは関係ない。 




2012年8月1日水曜日

KAFE9プレイベントのご案内

きたる 8/8(水) 19:00 より
KAAT 神奈川芸術劇場 にて、ちょっとした催しがひらかれます。

http://www.kafe-kaat.jp/104

これは、今年9月いっぱいKAATにて行われる「KAFE9」っていう、なんて言ったらいいんだろか、イベントなのか、一種のアートフェアのようなものなのか、フェスなのか、うまい言い方が見つからないのだけど、比較的若い年代のグループや、海外で活躍している人たちなどを呼び寄せて、KAATを使わせてやっから何かやらかしてみろよ、的な大盤振る舞いなアレで、そのKAFE9(カフェキューじゃなくてカフェナインです)に先駆けて、この夏の時点からですね、こう、期待を煽っていこうではないか、というですね、目的でですね、プレイベントを開こうと、そういうアレです。

で、なぜか快快(ちょっとどうかと思うくらい冴えた人間が寄り集まっている集団。「レイテ戦記」で言うなら、リモン峠で戦った長嶺隊みたいな感じ)とともに、われわれ悪魔のしるしもこのイベントに参加することになってしまいまして、何をするかも決めずに打ち合わせに臨んだわけなんですが、幸運なことに(ご先祖様に感謝します)その場でいい案を思いついたので、まあ、それで行こうと。

素材を作ります。

1)
舞台作品を作る時って、出演者だけではなくて、照明や舞台装置、音響などいろんな要素が絡んでくるんですが(ミニマリズムとは究極の装飾であり、はなはだ独善的な犯罪、現代版バロックである。それは美の表れではなく罪悪感の表れである。その大真面目な態度はすべての文化を、その到来を待ち受けるキャンプやキッチュにおとしめる:レム・コールハース)、特に今回は、最新鋭の機材・設備を誇るKAATでの上演ってことで、だったら本番で使いたい音や写真、映像なんかの素材をここで作っちゃおう、って思いついたわけです。

2)
これまでも、必要な音や画像に関しては自分たちだけで慎ましく作成はしてきたんですが、今回はホラ、たくさんお客さんに来てもらえるイベントですから、大人数ならではの絵や音が造れるんじゃないか?ってところも期待してます。100人でいっせいに◯◯する音やら、××する姿の写真やら、いろいろ考え中です。

※顔出しNGの方には臨機応変に対応させて頂きますので、お気軽にご来場ください。


てなわけで、参加する人数が多ければ多いほどサクセスな企画ですので、ぜひ皆様お誘い合わせのうえご来場くださいませ。

お申込みはこちらからメールもしくはFAXで→ http://www.kafe-kaat.jp/104




こっから先は個人的な追記です

今を遡ること十数年前、学生サークルで演劇麻雀三昧、と同時に建築学徒でもあった俺は、「アーティスト・イン・レジデンス」だの「ワーク・イン・プログレス」だの、どっかから借りてきたような安易なコンセプトをもとに「地域を活性化させる文化施設」とやらを設計する同級生に対して、稽古してるところをお客さんに見せるなんて以てのほかだろ!なんてひとりごちながら憤っていたのでした。まだポリティカル・コレクトネスなんて言葉はあんまり知られてなかった頃の話です。

そんな俺が今やレジデンス施設にお世話になったりしちゃって、挙句に「お客さんと一緒に作品つくり」なんだから、変わるもんです。なんでこんなことになっちまったのかな。

作品はどこで作られ、誰に向けられて放たれるのか、ていうか「作品」って考え自体がそろそろ寿命?なんてこと考えすぎると手が動かなくなるので(というかすでに動かなくなってきているのですが)、もう嫌なんですけど、でも、こうしていろんなところから助成やら支援やらいただいたりしてると、嫌でも考えてしまいます。そしてそれをプロセスや成果に反映させざるを得ない。だってそうでしょ、様々な資源をいただきながら、発表は作者の個人名だけで、なんて都合良すぎるでしょ、みんな同罪でしょの手柄でしょ。

この問題、ずっと考えてるのですが、どうしていいかさっぱりです。
というわけで今はこれ読んでます。





なんとなくですけど、いわゆる「民主主義」が破綻しても生き残る作品(って形式じゃないかもしれないけど)をできるだけ多く残せたらなあ、などと考えています。でも次回公演「倒木図鑑」は、そうじゃないかもしれません。