支那人を書くということは簡易な事でもなく浅墓なことでもなく景気のよい事でもありません。しかし現在では、支那人を書くということは恐らく世界の各民族にとって一つの課題となっているのではないでしょうか。ある国が支那人を書くということはその国の文化的表情を示すことになります。その国の知性の成長を示すことになります。支那人を書くということはそれ故決定的な力を持った事なのです。それなのに、どうして日本人はアメリカ人の作品(パール・バック『大地』のこと/危口注)を読んで満足せねばならなかったのでしょうか。古代支那人の書いた記録の注釈書が老大家によって学生に講義されている東京で、私共は何処の書店に行ったら支那人を書いた日本の小説を買うことができるのでしょうか
__ 武田泰淳『支那文化に関する手紙』より引用
これ1940年というから今から70年以上前に書かれた文章だけど、現代では取扱注意である「支那」という単語を抜きにすれば昨日誰かがブログに書いた文章だと教えられても驚かない。中国って中国人って一体何だ知りたい知っときたい知られるのか。というわけでたった数日間ではあるものの現地で過ごす機会を得たことだし彼の顰に倣って(小説じゃないけど)記録をつけてみる。
大学時代の後輩で三年ほど前から北京の設計事務所で働いているKHから最近仕事場で出世して生活にも余裕がでてきたんで何かやりたいんすよ良かったら一度来ませんかと連絡を貰ったのが去年のことで以来訪中のタイミングを伺っていたのだが折よく悪魔のしるしのマネジメント担当Oさんが音楽バンド「サンガツ」の北京公演にツアーマネージャーとして協力することになったのでこれに帯同することにした。
トランクなど持たず適当な鞄二つに着替えやら文庫本やら詰め込んでエイヤとばかりに飛行機乗って着いたのが割と最近出来たばかりの北京国際空港第3ターミナルで設計はかのノーマン・フォスター卿であらせられる。KH曰く北京五輪に合わせゴリ押しで建てまくった新施設の中でもこれは設計施工ともに大成功の部類だそうで確かに気持ちのよい建物、大スパンを僅かな細い柱だけで支えてて非常に開放的、そして天井を覆う無数のルーバー、そこから透過する光が繊細さを演出。
ゲートがかなり混んでいて時間がかかってしまったけど無事入国、迎えに来てくれていたKHとともにタクシーで北京市街へ。
せっかくなので写真をたくさん撮る撮る撮るが目につくのは矢張り自転車とスクーター、そのほとんどが電動でヘルメットはもちろん免許もいらないもんだからとにかく大量に走っている。幼い頃北京に抱いていたイメージは大量の黒塗り自転車の群れだったけど勢いはそのままで現在は自動車と電動二輪に置き換わってるもんだから交通渋滞がひどく大気汚染が進行しているという報道は日本でも話題になっている。本当は一人一台という規制があるのだが偽造ナンバーが大量に出回っていたり役人の汚職が酷かったりで効果が無いそうだ。こういう事例はその後何度も目にすることになる。
ちなみに街で見かける自動車の殆どはドイツ製か日本製で国産車は全くといっていいほど居ない。聞けばフレームが鉄じゃなくて樹脂だか何だかで出来てて強度的に相当まずい(段ボール箱レベル)らしくとてもじゃないが怖くて乗れないとのこと。
自動車といえばこれもKHが実際に見てきた話なのだが地方の農村ではホントに何の娯楽も無いもんだから若者たちが30年とかの無茶なローンを組んで高級車を買っちゃったりするそうで、しかし運転は荒っぽいもんだから数年のうちにボロボロにしちゃったりして兎に角「終わってる(KHの口癖)」とのことで、こちらとしても寂しいような笑っちゃうような根拠も意味もなく「アメリカが悪いんや!」などと言ってしまいたいような気分に。なんでそーなるの、と死後硬直気味のギャグでも口にするしか無い。
この日の夜がサンガツの北京公演初日ということで、宿となるKHのマンションには寄らずそのまま会場である蓬嵩劇場(peng hao theater)に向かう。
蓬嵩は北京で初めての民営劇場だそうで、社会制度が複雑に絡みあうこの国、しかも政治色の強い北京で斯様な試みを維持している関係者には頭がさがる思いだ。
本番を前にして準備中のサンガツメンバー皆さんと対面。
おそらく四合院の中庭にあった樹をそのまま残したものと思われる。
劇場に併設されたカフェ。メニューはオシャレな感じ、値段もやや高め。
腹ペコだったのでひとまずスパゲッティボロネーゼを食べた。
そしてサンガツのライブが始まるわけだが、感想は次回にします。
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