2014年2月26日水曜日

ジョイナス

先日蓮沼くんの演奏を聴きに行ったら途中でいわゆる「観客参加型」の企画(そういうコンセプトの楽曲)が挟まれてて、そのときは楽しんだけど色々と思うところはあった。終演後、ハシゴ観劇のため足早に劇場を出たところで知り合いのプロデューサーにばったり出くわし開口一番「ちょうどお前のことを考えてたところだ」と言ってきたのでギョッとしたのだけど、まあ、わからんでもない。

ところで「参加型」という言葉は「観客参加型」の短縮形として使われることが多い気がするのだが矢張りこれらは違うというか、大きな意味での参加型の中に、観客参加型だの、そうじゃない参加型だの、色々とあると思う。

色々とある?じゃあ列挙しろよ、なんて言われると窮してしまうのだが、これはぼくの思考の癖のようなもので、「それしかない」とか「AかBしかない」と言われると、反射的にC(第3項)は無いのか?と疑問に思い、場合によっては嘘でも構わないから捏造したりもする。そうすることで(既存の図式に負荷を加えることで)ヘンテコな案を考えようとしてきたのだ。

ぼく自身がかつて建築を学んだことを抜きにしても、演劇と建築にはたくさん共通項があって、だから(厳密さを犠牲にすれば)アナロジーも成り立ちやすいのだが、そんな類似点の中でもいちばん大きなのは、どちらも共同作業で作られる、ということではないかと思う。

演劇サークルでの経験はもちろんのこと、建築のほうでも、ウチの母校は大学祭のたびに(しかも年に二度ある / おめでたいよね)学生有志で仮設建築物を建てていたので、そういう「みんなでワイワイ」な雰囲気に耽溺するにはいい環境だった。ただ、このときは、あり余る時間を費やして議論したりモックアップ試したり、そして最終的にはほとんどその場のノリで物事を決めてたので、合意形成のプロセスについてはそれほど自覚的でなかったかもしれない。

一方で、ぼくが受けた教えは建築(学部の講師や先輩から)にしても演劇(サークルの先輩から)にしても、演出家/建築家という首謀者がいてこそ、みたいな内容だったので、建前としてはずっとその枠内で考えてたし、だからこそ生まれたナイスアイデアもたくさんあったんだけど、それからだいぶ時間が立って、その間には携帯電話やインターネットが普及したり、オウム真理教がテロを起こしたり、政治も民主党が政権とって、それで地震があって原子力発電所が爆発して、そしたらまた自民党になったり、中東では民衆の反乱があったりと、組織や事業の成り立ち、そしてその運営について再考を強いるような出来事がずいぶんあった。

その間にぼくは大学を出て、工事現場で働いて、そのうち悪魔のしるしの活動が始まって、「搬入」が色んな所に呼ばれるようになって、その背景には地域おこしアートのことやリレーショナルアートのことがあることも何となく知って、それでますます「参加」って何だということを考えるようになっていった。

・参加といえば聞こえはいいけど実は搾取なのでは?
・参加といえば聞こえはいいけど成果物ショボくない?
・参加といえば聞こえはいいけど、って、なんで参加だと聞こえがいいの?

いま「搬入」について過去の記録をまとめていたり、他にもこの問題に関連した原稿を抱えてるので、だんだん明らかにしていきたいと思います。

















2014年2月22日土曜日

制作補佐 募集のお知らせ / 受付終了しました


製作補佐募集は受付を終了いたしました。
ご協力頂いた皆さま、どうもありがとうございました!

2012年3月7日 危口統之




まいどお世話になっております悪魔のしるし主宰の危口統之です。

以前にこんな募集をして、そのときは岡村滝尾というベリーナイススタッフが名乗りを上げてくれたので事なきを得たのですが、それでもなお、やけに忙しかったりする瞬間が年に何回かありまして、特に去年はそういう局面が多発したりしまして、同じこと繰り返すのもアレなんで、サポートスタッフを募ってみることにいたしました。

【応募(もしくはお問い合わせ)】
以下の案内を読んでみて興味を持った方は 件名を「悪魔のしるし制作補佐募集」とし、

・氏名
・性別
・年齢
・職業(学生可)
・連絡先(メールと電話番号)
・制作経験の有無

以上を明記の上
[ info@akumanoshirushi.com ]


までお気軽にご連絡くださいませ。




【仕事内容】 
制作補佐。
悪魔のしるし制作チーム(岡村滝尾、田辺夕子、金森香)の下で、宣伝広報や制作進行など実務的な仕事を担当して頂く予定です。




【期間】
パーマネントに団体運営に携わるというよりは、各プロジェクトごとに参加/不参加を決めてもらう方向で考えています。

例えば直近だと、4月中旬に都内で開催される某企画。



【資格】

特に無いですが、気の持ちようとして「悪魔のしるしをサポートしたい」というよりは、「この世のパフォーミングアーツを巡る環境に寄与・貢献したい」って方向のほうがカッコいいし、今後の展望も開けると思います。

ちなみに今日の会議では以下の様なようなやりとりがありましたが気にしないでください。

滝「かわいい子がいい」
田「そうね(性別を問うているわけではない)」
宮「それは女性から見たときの”可愛い”なのか、それとも男から見たときの…(かわいい=女性 としか考えられない、いかにも男性的な思考回路は批判されるべきなのだろうか)」
石「そこ大事ですよね(どこ?)」
危「(語の意味は用法である)」





【報酬】
出来高制 (ブラック団体ではないと思いたい)




【採用までの流れ】
必要事項を明記の上、上記アドレスにメール
↓
担当者と連絡を取り合い
↓
面談
↓
決定



ともあれお気軽にご連絡下さいませ。

きぐち



明るく楽しそうな感じにするため画像などフンダンに使ってみたのですが
やればやるほどうさんくさくなるのはどうしてなのでしょうか











2014年2月12日水曜日

Caught in a Mosh 2

前回の記事の続き。
今週末〜来週にかけてのイベントの予約が寒波に見舞われているとの情報が事務方より届いたので慌てて付け焼き刃の焼きごてを入れた素材を一夜漬けにし、その待ち時間で縄を編む所存。


core of bellsのコンテンポラリーモッシュ講座!               〜moshing frontier 2000〜


2014年2月15日(土)13:00〜/16:00〜/19:00〜
2月16日(日)13:00〜/16:00〜/19:00〜
(※各回約2時間)
(※開場は各回とも講座開始15分前から)
講師:core of bells、危口統之
会場:SNAC access
料金:1,000円(参加/見学を選べます)

『怪物さんと退屈くんの12ヵ月』第二回公演「moshing maniac 2000」


2014年2月19日(水)
open 19:00 / start 20:00(BGM 21:00~)/ close 22:00
会場:六本木 SuperDeluxe
料金:予約2,500円 / 当日2,800円 (1D付)

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MOSHについて。
単に好きだから好きで終わらせてもいいのだが、それだと余りにも個人的すぎてイベントに仕立て上げるには足らないので、これはこれで拡がりのある題材なのだと伝えてみたい。

ハードコアパンクという音楽ジャンルは、もともとパンクロックから生まれたものなので、その根底には水平的な思想がある。ステージ上で演奏するバンドは観客が属する階級の代弁者・代表者であり、舞台と客席のあいだの垣根は低い。彼が俺であったかもしれない、そう思える雰囲気がある。この場合、粗野な歌や未熟な演奏、レコードのひどい音質などは美点なのだ。

バンドが売れてビッグになっていくと現実的には垣根が設けられることになるが、それでも「精神的には垣根なんてないんだ」という幻想を提供し続ける。

これはこれで搾取のひとつの在り方だと批判してもいいんだけど、ファンの健気な想いを蔑むことなしに批判するのには繊細な手つきが求められるだろう。

月イチくらいでライブハウスに出演していたような時期が、僕にも少しだけあったのだけど、ハードコア好きなんて数としては少ないし、だからフロア(客席)はバンドマンだらけだった。まあ、これは階級的な話ではなく、たんにシーンの狭さについての話なので、論点としてはちょっとズレるか。

代表者の交換可能性、不可能性について考えることはそのまま民主主義の話にもつながっていきそうだ。我々の階級・利害を代表し拡散してくれる代表者と、われわれ自身との違いは何なのだろうか。

結局は技芸ということになるのかな、と思う。
メッセージを言葉や音楽という形に落とし込み、アピールする能力、それは万人が手にしうるものではない(けど、パンクの場合は、その能力が誰にでもあるんだということが幻想として提供される……「若者の叫び」や「主婦の声」、「弱者の政治」を標榜する政党ぽいと言えなくもない)

「万人が手にしうる」という幻想は、僕も好きだ。が、これは一種の信仰告白で、であるからこそ、その不可能性についてもよく知っている(不可能なものへ、それとわかりつつ身を投じるのが信仰である)。

僕はハードコアパンクと同じようにヘヴィメタルも好きだが、聴くときの感覚は微妙に違う。パンクが現実にとどまりその中での抵抗を呼びかけるのに対し、メタルは現実世界からの逃避として表現される。だからコンサートもある種カルト的、戯画的なところがある。

前田日明がプロデュースした「The Outsider」をパンクだとするならば、メタルはプロレスのWWEのようなものだ。観客は幻想を幻想と知りつつ、その構築のされ方を技芸として愉しんでいる。観客の様態としては「崇拝」「応援」「鑑賞」「(英雄的な存在への)同一化」などが挙げられるだろう。

MOSHがどのような動機で為されるのかは、時代ごと、地域ごと、音楽ジャンルごとで微妙に違うような気がする。音楽的にも相互に影響してきた歴史があるせいで、ハードコアもメタル(特にTHRASH METAL以降の過激なメタル)も今ではライブの雰囲気にそれほど大きな違いがあるようにも見えないが、最終的な現れ方が似ていたとしても、そこに至る過程は詳細に比較検討する必要がある。

今ではどちらのジャンルでも、ライブではMOSHするもの、という意識が共有され、つまりお約束になっている。もちろんこの点に関しても僕は批判するつもりはない。お約束だとしても、そこに血が通っている限りは生きている形式なんだから。

観客同士の連帯意識、というのはメタル/ハードコア双方に共通して見いだされる特徴だ。MOSHがその醸成に一役買っているのは間違いないだろう。少々手荒な作法ではあるが、これは一種の度胸試し、イニシエーションのようなものかもしれない。このバンドが、この音楽ジャンルが好きならば、我々のMOSHの輪に飛び込んでこい!

もうこの頃には、舞台上の演奏者たちはグル化している。代表者と我々の間にある交換可能性は潰えている。ちょっとさみしい。

メタルのライブに限って言えば、僕はMOSHではなくエアギターないしはヘッドバンギング派だ。これもやはり信仰告白になるのだが、好きなモノは自分ひとりで好きなのであって、無理に仲間を探す必要はないと決めているのだ。神に対して向かうときが人間いちばん孤独なのだ、そう考えている。

好きなバンド=神 だなんて本気で信じてるわけじゃないけど。


とにかく、MOSHについて考えることは、そのまま観客論になるし、ひいては上演藝術論になる、そう言いたかった。興味をもった方はお気軽にご参加くださいませ。お待ちしてます。


2014年2月2日日曜日

CAUGHT IN A MOSH

こんばんは危口です。
何を為すでもなく、ただただ時間と虚名だけを積み上げながら生きております。
舞台に関わり始めたのは大学入学後間違えて演劇サークルに入ってしまったからですが、では何と間違えたかというと、音楽サークルと間違えて劇研の部室をノックしてしまったのです。だって壁に「METALLICA」ってデカデカと描いてあるんだもん。そりゃ間違えるっての。

というわけでそれまでの私はヘヴィメタル、とりわけスラッシュメタル(THRASH METAL)、スピードメタル、ハードコアメタルと言われる音楽ジャンルを偏愛し、大学入学後はいっちょバンドでもやってやろうと考えていたものです。ちなみに建築学科を選んだのも、二次試験が描画+造形だけで、苦手な数学や英語の試験を受けなくて済むからでした。

かのフロイト博士が言っております。抑圧されたものは回帰すると。その通り演劇や建築に抑圧された私のメタル愛が回帰したのはよりにもよって大学卒業後、根無し草のフリーターとなってからでありました。

同じく流浪の身となった同窓生たちとバンドを組んだのが卒業間際の1999年2月頃、その後は下手なりに修練を積み、一時期は高円寺20000ボルトや横浜FADなど、その筋では有名なライブハウスで演奏し、界隈で知り合った同好の士の失笑を浴びつつもフジロック出演を狙っていたものですが、メンバーの転職転勤や私自身の演劇活動の(謎の)拡大化などが絡み合い、いつしかバンド活動は下火になってしまいました(でもまだ解散はしてません、いつかまた皆さんの前で演奏出来る機会を狙っております)。

そんな境遇にあって、なぜかライブハウスではなく舞台界隈で知遇を得たコアオブベルズの勇姿はひどく眩しく見えたものです。ハードコア音楽を演奏しつつ、舞台や美術界隈でも注目を集めるその佇まいには今でも嫉妬を禁じえません。憎い、コアオブベルズが憎い。

そんな彼らから謎のオファーを頂いたのが昨年の暮、一緒にやりませんかとの言葉に私は一も二もなく即応したのでした。やります、やりますとも。

郵便配達夫は二度ベルを鳴らすといいますが、私のハードコア愛、モッシュ愛はあまたの抑圧をかいくぐり何度でも何度でも回帰するようです。それを私自身もひじょうに嬉しく思います。ぜひ一緒にMOSHしましょう。汗と血と翌朝の鈍痛、それが私の生きる道です。





おしらせ その①

core of bellsのコンテンポラリーモッシュ講座!               〜moshing frontier 2000〜


2014年2月15日(土)13:00〜/16:00〜/19:00〜
2月16日(日)13:00〜/16:00〜/19:00〜
(※各回約2時間)
(※開場は各回とも講座開始15分前から)
講師:core of bells、危口統之
会場:SNAC access
料金:1,000円(参加/見学を選べます)
CONTACTのページより、件名を「モッシュ講座」とし、本文に「お名前・希望日時・枚数・電話番号」を記入の上、送信ボタンを押して下さい。こちらからの返信を持って、ご予約完了となります。
なお、定員になり次第、受付を締め切らせて頂きます。ご了承ください。
実演もありますので、動きやすい服装でお越し下さい。



おしらせ その②

『怪物さんと退屈くんの12ヵ月』第二回公演「moshing maniac 2000」


2014年2月19日(水)
open 19:00 / start 20:00(BGM 21:00~)/ close 22:00
会場:六本木 SuperDeluxe
料金:予約2,500円 / 当日2,800円 (1D付)
出演・制作:core of bells、危口統之
予約はこちらより。
http://www.sdlx.jp/2014/2/19




2014年1月22日水曜日

最近の様子2

続き。

かなりテキトーに書く。

こんな話ばかりしているとヘンに真面目と勘違いされることもあるが、それは違う。工事現場で働くのが面白くてハマったのと同じで、活動を続けていくうちに出くわした、「芸術文化を支援しようとする人たちや制度」が自分にとっては何だか新鮮で、興味を持ってるだけのことだ。演劇でも音楽でも絵画でも人間が人間であるかぎり虫みたいにどっからでも湧いてくる、という信仰が僕の根っこだが、これまでの歴史が残してくれた制度や様式をよく学びその先に向かおうではないか、という立場にも別に反対はしない、というかそういった立場で頑張っている方々の余禄を食んでいるという自覚は一応ある。

僕にも創造性があったとするなら、そのピークは大学の頃で、その後はゆるやかに減り続け、だいたい2007〜8年くらいに尽きたと思っている。これは悲観しているわけではなく、悲観しているふりでもなく、たんに実感としてそうある。だから、それ以後(つまり悪魔のしるしの活動が活発になり始めた時期)は、もう創造性なんてのはあてにせずやろうと思い、実際それでずっとやってきた。

みずからの内からとめどなく湧出するアイデアに期待できなくなった今の僕にとって、演劇について考えるということは、それを囲う者について考えること、観客について考えることだ。それ自体について(about)考えるよりその周囲について(around)考えてきた。

大衆演劇の「大衆」とは何だ、という話をするにあたって、一つ手がかりになるかもしれないのが、昨年末に触れた鈴木忠志の仕事だ。「歌謡曲では本当の悲しみを表現できませんよ」と鈴木にいった武満徹らへの反論が、パンフレットには書かれていた。

SCOTの舞台作品に使われていた歌謡曲は昭和中期のものが多く、僕のような世代にはいまいちピンと来なかった。ただ、歌謡曲が使われているという事実と、それを使うことを良とした演出家の判断を知ったに過ぎない。それが流行していた時代の雰囲気を知らずとも、よい歌謡曲には世代を超えて伝わる大衆の真理が内包されているはずだ、という意見だとするならば、こちらの耳が未熟でしたと反省するほかはない。

世代を超えて伝わるものがあるはずだ、という立場で流行歌を作詞作曲することは可能だろうか。そんな疑問が残る。徹底的に「今」に淫した末に産まれるのが流行歌というものではないだろうか、とも思う。いま僕は、かつて一世を風靡した高松伸の建築なんかを頭に思い浮かべている。あれらは建築というよりは歌みたいだった。

鑑賞後の質疑応答の時に、流行歌を使うならもっと新しいものにアップデートすべきではないか、なんて聞こうと思っていたのだが、結局聞けずじまいだった。時間切れや気後れのせいではなく、他の人から出た質問への回答の中で、僕のこの疑問への回答となるような言葉も含まれていたから、それで満足したのだ。ところが、それがどんな言葉だったかをもう忘れている。

自分でも何がいいたいのかよくわからないんだけど
とにかく思いつくままに書き進めてみる。

流行歌を使うということは、ある特定の楽曲をコレと決めて使うことではなく、ひたすらそのときの流行歌を使い続けることではないかと思っている。思ってはいたものの、大衆演劇を見に行ったら、実際そうだったので、逆に驚いている。客席を埋め尽くす年配のご婦人たちを置き去りにするかのような、トランス調のJポップが爆音で流れていたのだから。


気が向いたらまた続きを書いたり書かなかったりする。




























2014年1月20日月曜日

最近の様子

新年あけましておめでとうございます。
悪魔のしるし主宰の危口です。
今年もよろしくお願い致します。

年明け以降は次回作のため郷里倉敷に逗留し、家事手伝いなどしつつぼんやりと準備を開始しているところです。ろくに仕事もせず読書三昧、そして父に命じられるまま庭木の剪定などしながら落ち着いた生活を満喫しているのですが、ツイッターなどから在京の友人知人たちの様子を窺い知ることもできて、やはり東京にはたくさん催しがあるなあ、と離れてこその実感もあります。

僕はもともと活動的な性格ではないし、様々な催しの様々な評判など目にしても、結局足を運ばずじまいで、それは結局どこにいても変わりないのですが、それでも多少の刺激は欲しいということで、昨日は近所の健康ランドでかかっている大衆演劇を観に行きました。

大衆演劇。ただの名前といわれれば、まあ、そうなのですが、それでも「大衆」の一語を冠したジャンルというのは、助成金や現代小劇場解釈流通共同体の恩恵に与っている身としては、ちょっとした緊張を感じずにはいられません。大衆とはなんだろう。ところで、僕の大学時代の恩師は、建築設計や都市計画は市民のために行うのだと事あるごとに言ってたのですが、僕はこの「市民」というのもよくわからない。わからないながらも、市民と大衆、それぞれの意味するところが微妙に違うということは感じとれます。

うちから歩いて10分くらいいくと倉敷駅前の中心街で、その一角にある喫茶店のマスターは父の同級生であり、また、かつてはプロとして、いまでも自主で映画を監督してたりと、なかなかに文化的な方です。そのマスターが遊びに来いというので時々父とともにお茶しにいくのですが、たいていは倉敷の文化行政への批判を聞かされます。「市民の手による文化政策を」とマスターは言うのですが、その市民というのが、やはり掴めない。

しかしそんな僕も活動するためにはお金が必要なので、シーズンともなれば書類に向かい、いかに自分の仕事が市民の文化的生活に寄与するか、などと嘘八百を並べ立ててきたのですが、わからないものはわからないままであって、後ろめたさも積もる一方であります。運良くお金をせしめても、結局「市民」がわからないせいで手が縮こまって動かない、仕方がないのでその動かない動けない自分の様子を描写するしか無い、というのが、言ってみればここ数年の僕の活動だったわけで、それ以前の、よく言えば野放図な、悪く言えば傲岸な仕事に着目してくれていた友人からは、励ましやお叱りなどをいただくこともあります。大衆演劇を見に行こうと決めた背景には、そんな事情もあったわけです。

気が向いたらまた書きますが、面倒くさいので書かない可能性もあります。






2013年12月30日月曜日

2013年 活動記録と総括

2013年 活動記録と総括

1月〜2月上旬 Rules & Regs + ST スポット
黄金町に滞在し、英国や豪州から来た作家と交流。お題をふまえて20分ほどの作品を作り上演した。創造性を求めて今の仕事に移ったと広告代理店出身のプロデューサーは言っていたが、アート(という名目に収まっている)ならなんでもクリエイティブなのか、と言う疑問は残る。そこに悪しき「清貧思想」のようなものが紛れ込む可能性は少なくない。ひとりだけで作ったせいか、アイデア偏向で客観性を欠いた作品が多ったのも問題。自分の場合は、もっと短く(鋭く)することができたと思う。サンプラーの面白さ、利便性を発見し、その後何回も使うことになる。





2月中旬〜下旬 搬入プロジェクト#11 鳥取
鳥取大学地域文化学科による市街地活性化運動「ホスピテイル・プロジェクト」の一環として参加。搬入#03 (豊島)以来気になっていた地域とアートの関係についてあらためて考える機会として捉え、「偽祭」をテーマに仕上げてみた。実はまだ映像の編集が終わっていない。今年度内にかならず完成させる。多くの協力者に恵まれ、充実した環境で行うことができ、幸せだった。一方で、そうした人々と、無関心層との断絶は都市部以上に深いと実感。しかしこれは趣味や教養に訴えるのではなく、地縁血縁を媒介としつつ解していくべきだと思う。そのときに、作品自体の強度をも損なわずに進める方法が必要だ。先日拝聴した鈴木忠志と利賀村の話も今後何らかのヒントになるだろう。





3月 芯まで腐れ(吾妻橋ダンスクロッシング)
過密スケジュールを縫いつつねじ込んだせいで、出演者には直前の徹夜など、負担を強いることになった。作品性も結果的にはこれまでと同様、恨み節を基調としたものになってしまった。それはそれで好んでくれるお客さんも居たが、一種の「言い訳芸」なので乱発は自重したい。つまり、無理なら依頼を断れということになる。ただ、楽屋で、飴屋さんや大谷さんをはじめ、いろんなひとと交流出来るのは単純に楽しかった。この頃から、やはり(大きな)舞台に立つにはそれなりの身体が必要ではないか、と考え始めた。




4月 搬入プロジェクト#12 リュブリャナ(エキソドス リュブリャナ)
スロヴェニアでの上演。小規模ながら充実したフェスで、有能なスタッフとともにいい時間を過ごせた。いちばんの反省点としては、会場選びに積極的に関与できなかったことが上げられる。最終的には搬入できたので良かったが、狭く深く、そして長いルートだったせいで、上演が間延びしたのは事実。ただし事前に現地で調べるのも難しいので、今後同様のケースがある場合は、こちらからの要求項目を整理しきちんと伝えることが必要だと実感した。雨のせいか、一般市民の人出が少なかったのも残念だった。



5月 搬入プロジェクト#13 リエカ
ゆるいレギュレーションであるがゆえに多様な演出を可能とするこの作品の、悪いところが出た。つまり、方針を定めきれなかった。社会的政治的文脈を踏まえることに関心がある招聘側NPO並びに危口と、搬入プロジェクトはその無意味性が重要だと指摘する石川との間で意見がぶれた。また、これといった空間を見つけられず、最終的には昨年のチューリッヒの場合と同様、練り歩き的な上演になった。ただ、それでも街にとっては新鮮だったようで、喜んでくれる人も居た。カゴを使うアイデアじたいは悪くなかったと思う。ボランティアスタッフの作業スケジュールを整理する能力が欠けていた。これはソウルでも露呈する。





5月中旬〜下旬 フィレンツェとウィーンを視察
クロアチアでの上演後、いったんスロヴェニアに戻り、関係者に挨拶。現地在住の舞踏家福原隆造さんとも交流出来て有意義な日だった。不法占拠地域メテルコヴァを観られたことも大きい。その後電車を乗り継いでフィレンツェに。現地で滞在制作中の篠田千明らと合流、宿舎に潜り込ませてもらい、スタッフとして作業を手伝う。マームとジプシーなども観劇。20年ぶりに観るブルネレッスキ建築(大聖堂)はやはり圧巻だった。
マックスと連絡を取り、高速バスでウィーンへ。座席がデカいので思った以上に快適だった。現地での苦労を聴く。予算削減を目論む官僚との戦いでお疲れの様子。それとは別に、藝術の都であるという自負が強すぎるので市民の目は厳しいそうだ。危口がここで活動することがベストかどうかはわからない、とのこと。彼のアパートで一泊だけしてフィレンツェに戻る。篠田の上演初日を見届けて帰国。




6月中旬 北京視察
タイミングよくサンガツが北京公演を行うというので、以前から何かやらないかと話を持ちかけてくれていた菅野を訪ねる。当地の建築/デザイン/アートと政治の関係などについて知る良い機会となった。旧市街 Dashila 地区で何か、というか搬入できないか。現地NPO孫さんとも打合せ。半端に美味いものよりは、明らかにマズい、というか味覚の構造自体がかけ離れているのでは?と疑いたくなるような食い物のほうが面白くて、マズいマズいと言いながら笑いながら食べたことが印象に残っている。政府主導の藝術特区にも足を運んでみたが詰まらなかった。




7月中旬〜8月上旬 TACT/FEST
大阪で児童向け演劇を上演。最初はなかなか方針が定まらなかったが、7月下旬に稽古見せがあったお陰で、強引ながら方針をまとめることができた。こうしたステップを設定しておくことは、客観性を持つためにも非常に重要だと認識。しかしその後の公演でこのような機会を設けることができなかった。来年以降の活動に活かしたい。作品はけっこう上手くいったと思う。個人的には、楽屋の空間構成でいい仕事ができたと自負している(狭すぎるので3団体づつ交代しながら使う計画だったが、6団体同時に使用できるように家具や資材などを再配置した)。なんだかんだ言いつつも大勢が集まる催しが好きだ。





8月下旬 百人斬り(吾妻橋ダンスクロッシング ファイナル)
ここ2年ほど呼んでもらってるADXも、団体として参加するのは初めて。ファイナルということで、こちらから「百人斬り」はどうかと提案した。時間調整大変なところ快諾してくれた運営側に感謝している。人員集め&整理が大変だったが、最終的にはなんとか上手くいった。ただし内容的には六本木バージョンを反復しただけで、これといった進歩はなかった。まあ、この演目に進歩を求めるほうが間違っているのかもしれないが。あと、この頃から、グループ内で交わされる膨大なメーリスにみんなが疲れてきた。自分も、作品内容以前、準備段階での合意形成で疲弊することが増えてきたと感じていた。





9月 悪魔としるし
台本を書く、といっておきながら結局仕上がったのはかなり後になってからのことで、ここでも出演者・スタッフに迷惑をかけた。稽古場に見に来てくれた照明の奈美さんが「とりあえず通してみて」と言ってくれなかったら本当にやばかったと思う。TACTでもそうだったが、きちんと作品として作っていくならば役割にかかわらず全員が会した稽古見せは重要。悪魔のしるしという集団でそれをどう実現していくか、この頃から意識的に考え始める。結論としては、よほど前からスケジュールを決めておかないと無理だと思う。この公演と、続く12月公演は、公演日程を決めるプロセスがマズかった。重要な決定は、今後メールではなく直接会える場で行う。よろしくお願いします。
繰り返しになるが、「合意形成」というのにほとほと疲れていた。そしてそれは、「これがやりたい」「これでいく」と強く打ち出せない自分に原因がある。これからは自分のビジョン、欲望を強く打ち出していきたいと思う。いままでは、方針やコンセプトを伝えたとき、周囲に「?」って顔をされるのが怖くて、あまり言ってこなかった。反省します。どんなに不格好だとしても、やはり柱がなければ建物は建たない。




10月 搬入プロジェクト#14 ソウル市庁舎(ハイソウルフェスティバル)
何と言うか、たまった鬱憤を晴らしに行った感もある。そして上演も、途中で建物の扉が開かないというトラブルがあったものの、それも面白がりつつ、終えることができた。何から何までコーディネートしてくれたコ・ジュヨンさんに感謝している。市の中心で行われたフェスだったので、参加者もたくさんいてよかった。演出的にも政治色を消し、ただ単にデカい・カッコイイ物体を作ることに振ったのが良かったと思う。これは河本の技術が不可欠だった。いつも手伝ってくれてありがとう。材料選択で無駄な出費があった。これも自分が気持を素直に表出しなかったのが原因。良かれと思って周囲がしてくれることも、作品にとっては良くない結果をもたらすことがある。ディレクターとして成長したい。





11月 メタルロゴワークショップ
疲れてしまって、やる気が落ちていたけど、宮村さんがケツを叩いてくれた。結果的にはとても楽しかった。楽しすぎたので子供のようにはしゃいでいたら、「個人活動が楽しいんなら、面倒くさい舞台公演なんてやめればいいじゃん」とたしなめられる局面もあり、主宰たる自分自身の振る舞いについて考えるきっかけにもなった。個人に重点を置いた活動と、集団としての活動と、より明確に線引していく必要を感じている。参加者ごとの役割分担とそれに伴う責任の所在をハッキリと。ただ、それを対外的に宣伝・強調する必要は、まだそれほどないと思う。事実、搬入プロジェクトなどは「悪魔のしるし」名義ではあるものの、全員参加ではない。





12月 注文の夥しい料理店についての簡潔な報告
準備段階で想定外のことがいくつかあり、スタートを切るのが遅れたのが反省点。最終的には美才治さんという強力な協力者を得られたことでなんとか終えることができた。しかし、ここでも演出方針を決めきれなかったせいで作品完成度を下げてしまった。もっと面白くできたはず。一方で、金森さんは、今年はこの作品がいちばんよかったとのこと。言いたいことは何となく分かる。




まとめ

作家としての自分、プロジェクトリーダーとしての自分、それぞれ性質の違う二つの立場に引き裂かれることの多い一年だった。今後はこれらを場面に応じてきちんと使い分けることが大事だ。というよりは、作家としてビシッとすることで後者としての振る舞いも、より明確になると思う。来年は自分のやりたいことだけに集中したいし、そのほうが周囲にもいい環境を提供できると信じている。