2013年6月26日水曜日

プロフェッショナル 欺瞞の流儀

……このようにロルカは周囲の誰もを虜にしてしまうようなカリスマの持主であったようだが、ただアルゼンチンの巨匠ボルヘスだけは彼のことをこう評している__「あれはマイナーな詩人ですよ。スペイン的色彩だけの。まあ、言ってみればプロのアンダルシア人ですね」……岩波文庫版『血の婚礼』あとがき

アルゼンチンジジイお得意の寸鉄皮肉によって所謂「プロ市民」レベルにまで貶められたロルカが可哀想な気もするが、英国式の教育を受けたり独裁政権時には冷や飯食わされたりで愛国心を涵養する機会など遂になかったジジイから見れば、故郷の風土を過剰に彩るロルカの振る舞いに嫌味の一つでもいいたくなるのだろう。

でもまあこういう「プロ」ってのはいつだって居るもので、中上健次だって、実のところは土建業を営む裕福な義父から結構な額の仕送りをもらいつつ新宿界隈でフーテン生活してたわけで、なんとなればジジイから「プロの紀州人」と言われても仕方ない。

そして問題なのは肉体労働に身をやつしたとき中上読みながら自己正当化を図った俺自身のことで、元々そういう性格なものだから、さいきん増えたインタビューの機会などでもついつい「プロ」的な発言をしてしまい、後悔するハメになる。

結局何が悪いって、作品と作者を分けて考えられない発想が一番悪い。








2013年6月24日月曜日

北京旅行記3

前回の記事の続き。

サンガツのライブ鑑賞を終え、関係者と少し談笑した後、ひとりで宿へ――市街中心部北寄りに位置する蓬嵩劇場から更に北東方面、地下鉄を乗り継いで30分ほどの場所(望京西)にあるKHのマンションへ向かう。やや不安だったが、路線図のおかげで何とかなった。




装飾的なレンガ積みパターン。中国っぽい、と感じてしまうのはバイアスのせいだろうか。でも、四角い開口がリズミカルに並んでいるのが「喜」の文字を連想させるのは確か。



駅入口〜地下へのエスカレータ〜路線図



北京地下鉄の路線図。
東京と同じようなものだと思うと痛い目にあう。
駅と駅との間が3〜4㎞離れてますから。
京浜東北くらいの駅間距離だと思えばイイ。

とにかく北京はデカい。何よりも先ず面積がデカいのだ。
聞くところによると、西側に丘陵地がある他はひたすら平野が広がってるので、スプロールが止まらないとのこと。冗談だと思うけど、そのうち北京は天津と一体化する、なんて声もあるらしい。それってもはや都市のレベル超えてる。





公共施設に使用される液晶モニタはLGの天下だね。
欧州でもそうだった。




プラットフォームのドアは日本よりも整備が進んでいる。

こうして思い出しながら書いてると、写真をちゃんと撮ってないことに気づいて後悔する。いかにも面白い写真は要らないんだ。そのへんの町並みをちゃんと撮っとくべきだった。でかい道路とデカい街区ブロック、道を挟んで全く異なる開発状況、そういった北京の様態を上手く伝えられる写真を。

マンションすぐ近くにあるKHの職場(建築設計事務所)の前で彼とおちあい、遅めの夕餉を摂った。帰宅後ビールを少し飲んで就寝。青島ではなくハイネケンだった。中国のビールは味が薄くて気に入らないそうだ。



明けて翌朝、KHの薦めもあって旧紫禁城すなわち故宮博物院に行ってみることにした。天気は生憎の雨。朝飯はコンビニで買った缶コーヒー(KIRIN製品)。ものすごく久しぶりにプルタブの缶を見たよ。



地下鉄を乗り継ぎながら市街中心部を目指す。週末ということもあり人出は多い(いや、週末とか関係なく多いのかもしれない)。




目的地に着き地上に出ると目の前が天安門広場だ。因みにあの事件については、知ってる人は当然知ってるけど大きな声じゃ言えない、といった具合らしい。















あの事件の数カ月前、お正月休みに昭和は終わっていて、同じ年の秋にベルリンの壁が崩壊した。ソ連の書記長はゴルビーで、俺は中学生だった。





城門に掲げられた毛同志の写真を目にし、なるほど王朝はまだ続いているのだなと思った。専制が続けられていることに嫉妬する民主主義陣営各国指導者は多いんじゃないかな。それを責めようとは思わないよ、俺は。ただし表には出すなよ。ホンネという易きに流れるなかれ。

そもそも王朝体制が続くことがそのまま民衆の愚かさを証明するとは絶対に思わない。彼らは数千年にわたって支配者たる王朝が興っては滅ぶのをつぶさに見てきたのだ。その上で育まれた知恵が市井の人々には備わっていると俺は思う。そしてその一端として現れているのがコピー、イミテーションの氾濫だとも考える。知的財産権の問題は普遍的な倫理に訴えても仕方がない。これは生きる知恵、そのかたちの問題なのだ。

これにひきくらべ中国は、滅亡に対して、はるかに全的経験が深かったようである。中国は数回の離縁、数回の姦淫によって、複雑な成熟した情慾を育まれた女体のように見える。中華民族の無抵抗の抵抗の根源は、この成熟した女体の、男ずれした自信ともいえるのである。彼らの文化が、いかに多くの滅亡が生み出すもの、被滅亡者が考案するもの、いわゆる中国的叡智をゆたかにたくわえているか、それは日本人には理解できないほどであろう ___武田泰淳『滅亡について』


話は飛ぶが、一昨日友人たちを誘ってロシア映画『エルミタージュ幻想』の上映会を行った。これもまた滅亡(この作品の場合はロマノフ王朝)経験を踏まえて作られた作品だ。鑑賞後友人たちと、こんな映画を日本で作るとしたらどんなロケ地で、どんな対象を撮るべきかと話し合った。京都御所か、二条城か、もしまだ残っていたなら江戸城で徳川幕府史を扱うか……そうして、我々にはこれといった滅亡の(とうぜん革命も)経験がないことに改めて気づくのだった。どこまで行っても成り成りて、だ。


泰淳とはまた違った、しかし同じくらいかそれ以上に巨きな眼で中華史を見つめ続けた碩学の言葉を引いてみる。

しかしそれにも増して悲しむべきことは、彼の涙ぐましいほどの善意にあふれた政治も、それが独裁君主制という形をとったために、報いられることが案外に少かったばかりでなく、予期に反した逆効果さえ生んだ点であろう。思うに中国に数千年もの間、専制君主制が続いてきたのは、それがある程度の柔軟性を持ち、時代の進歩に適応して進歩してきたためである。もしも君主制が何の理想も持たず、全く恣意的な無軌道のものであったり、或いは堅い殻のように固定したもので人民を抑えつけているのであったなら、いかに辛抱強い中国民衆でも、それを打ち破って新しい政治様式を造り出したに違いない。幸か不幸か、そこへ歴代の、いわゆる名君なるものが現れて、たえず君主制の理想と実施とに改良を加え、無言の大衆の信頼をつないできた。雍正帝の独裁政治はまさにその絶頂に位する。そして独裁制に信頼する民衆は独裁制でなければ治まらないように方向づけられてしまった。これは中国人民にとってまことに悲しむべき結果である。この点からいえば、雍正帝の政治は正に善意にあふれた悪意の政治と言わなければならない。しかもこの種の善意に満ちた悪意の悲劇はまだすっかり終わってはいない。そして大きな歴史の裁きを待っているのである____宮崎市定『雍正帝』

これは清朝五代皇帝をつとめた雍正帝の伝記、その結びの文章で、書かれたのが1950年というから、「しかもこの種の善意に満ちた悪意の悲劇はまだすっかり終わってはいない」というのが何を指しているのかは明らかだ。この8年後に大躍進政策、そして16年後には文化大革命が始まる。

まだ故宮の城門をくぐってもいないのに力尽きた。続きはまた改めて。





























2013年6月18日火曜日

北京旅行記2





前回の続き

スパゲッティ喰ったあとはKHも職場に戻ってしまいひとりですることもない。劇場にWi-Fi環境はあったものの、SNSやブログは規制されていて繋がらないし、なんだか疲れたのでひたすら寝ていたのだが、周りがにぎやかになったのに起こされ開演時間が近いことを知る。

そしてライブが始まった。
演奏の様子はこちらを参照されたし(クリックするとFlickrに飛びます)。


Beijing_Sangatsu_2013



ここでひとつ告白しておかねばならないのだが、実は、俺はサンガツの生演奏の音がちょっと苦手なのだ。最初に断っておく。

(ちなみにCDは愛聴してて、特に『5つのコンポジション』はしょっちゅう聴いている)



以前、まだ知り合ったばかりの頃だがサンガツの小泉さんに「ハムバッキングのギターは使わないんですか?」と訊いたことがある。小泉さんのギターはフェンダー製でシングルコイルだ。

何のことやら?な人のために説明する。
エレキギターは弦の振動をボディに埋め込まれたピックアップという装置で拾い、これを信号に変えて出力しているのだが「シングルコイル」とか「ハムバッキング」というのはこのピックアップの種類のこと。一般にシングルはキレが良いというか、音の粒がクリアで、ハムはモコモコっとした感じ。チョコで言うと、きのこの山とたけのこの里くらい違う。果てしなく違う。



シングルの音は、ほんとうに単なる音というか、そのままでは意味を成さず、きちんと構成(コンポジション)することなしに音楽には至れない。つまり音楽以前の音、物音に近いということだ。一方でハムの音は、あらかじめ音楽に使われることを想定した上で作られている様に思う。もちろんこんなのは自分勝手な捉え方なのだが、ギターが好きな人にはなんとなく分かって貰えるのではないかとも思う。

そう考えると、サンガツはいうなれば、音楽が生まれる瞬間を都度目指している、ということもできる。となると、これは俺が舞台でやってることにも近いのではないか。俺自身、演劇というものが既にあると思っている人、「演劇道」みたいなものがありそれを歩みたいと思っている人、仕事として演劇でメシを食っている人…との意識の違いにこれまで悩んできたが、こと音楽に関しては俺もそれが「ある」という前提に立ってしまっている。ヘヴィメタルという、「演劇くさい音楽ジャンル」が大好きなことからもそれは分かる。

(「演劇」という言葉の意味するところに対する俺の関心の持ち方の面倒くささには自分でも辟易している……)

俺は音楽には甘い夢しか求めていない。聴いてる時だけ無敵感を味わえればそれでいい。だからサンガツの演奏の、あの、シングルコイルのキンキンした音、ハイハットやシンバルのシャリシャリした、あと一歩で黒板を引っ掻く音になりそうなあの即物性というのが結構つらい。根本的なところで俺には音楽、ついでに言えば色彩のセンスが無い、それはよく思う。

中国とあまり関係がない話題になってしまった。
続き(ライブの翌日故宮博物院に行ったことことなど)も近いうちに書きます。


















2013年6月17日月曜日

北京旅行記1










支那人を書くということは簡易な事でもなく浅墓なことでもなく景気のよい事でもありません。しかし現在では、支那人を書くということは恐らく世界の各民族にとって一つの課題となっているのではないでしょうか。ある国が支那人を書くということはその国の文化的表情を示すことになります。その国の知性の成長を示すことになります。支那人を書くということはそれ故決定的な力を持った事なのです。それなのに、どうして日本人はアメリカ人の作品(パール・バック『大地』のこと/危口注)を読んで満足せねばならなかったのでしょうか。古代支那人の書いた記録の注釈書が老大家によって学生に講義されている東京で、私共は何処の書店に行ったら支那人を書いた日本の小説を買うことができるのでしょうか

  __ 武田泰淳『支那文化に関する手紙』より引用


これ1940年というから今から70年以上前に書かれた文章だけど、現代では取扱注意である「支那」という単語を抜きにすれば昨日誰かがブログに書いた文章だと教えられても驚かない。中国って中国人って一体何だ知りたい知っときたい知られるのか。というわけでたった数日間ではあるものの現地で過ごす機会を得たことだし彼の顰に倣って(小説じゃないけど)記録をつけてみる。




大学時代の後輩で三年ほど前から北京の設計事務所で働いているKHから最近仕事場で出世して生活にも余裕がでてきたんで何かやりたいんすよ良かったら一度来ませんかと連絡を貰ったのが去年のことで以来訪中のタイミングを伺っていたのだが折よく悪魔のしるしのマネジメント担当Oさんが音楽バンド「サンガツ」の北京公演にツアーマネージャーとして協力することになったのでこれに帯同することにした。

トランクなど持たず適当な鞄二つに着替えやら文庫本やら詰め込んでエイヤとばかりに飛行機乗って着いたのが割と最近出来たばかりの北京国際空港第3ターミナルで設計はかのノーマン・フォスター卿であらせられる。KH曰く北京五輪に合わせゴリ押しで建てまくった新施設の中でもこれは設計施工ともに大成功の部類だそうで確かに気持ちのよい建物、大スパンを僅かな細い柱だけで支えてて非常に開放的、そして天井を覆う無数のルーバー、そこから透過する光が繊細さを演出。






ゲートがかなり混んでいて時間がかかってしまったけど無事入国、迎えに来てくれていたKHとともにタクシーで北京市街へ。






せっかくなので写真をたくさん撮る撮る撮るが目につくのは矢張り自転車とスクーター、そのほとんどが電動でヘルメットはもちろん免許もいらないもんだからとにかく大量に走っている。幼い頃北京に抱いていたイメージは大量の黒塗り自転車の群れだったけど勢いはそのままで現在は自動車と電動二輪に置き換わってるもんだから交通渋滞がひどく大気汚染が進行しているという報道は日本でも話題になっている。本当は一人一台という規制があるのだが偽造ナンバーが大量に出回っていたり役人の汚職が酷かったりで効果が無いそうだ。こういう事例はその後何度も目にすることになる。

ちなみに街で見かける自動車の殆どはドイツ製か日本製で国産車は全くといっていいほど居ない。聞けばフレームが鉄じゃなくて樹脂だか何だかで出来てて強度的に相当まずい(段ボール箱レベル)らしくとてもじゃないが怖くて乗れないとのこと。



自動車といえばこれもKHが実際に見てきた話なのだが地方の農村ではホントに何の娯楽も無いもんだから若者たちが30年とかの無茶なローンを組んで高級車を買っちゃったりするそうで、しかし運転は荒っぽいもんだから数年のうちにボロボロにしちゃったりして兎に角「終わってる(KHの口癖)」とのことで、こちらとしても寂しいような笑っちゃうような根拠も意味もなく「アメリカが悪いんや!」などと言ってしまいたいような気分に。なんでそーなるの、と死後硬直気味のギャグでも口にするしか無い。

この日の夜がサンガツの北京公演初日ということで、宿となるKHのマンションには寄らずそのまま会場である蓬嵩劇場(peng hao theater)に向かう。




胡同(フートン)と呼ばれる古い路地の密集する区域にある蓬嵩劇場。五輪などでかなり整理されてしまったそうだが、まだ市内にはこうした路地が幾つかあり、手付かずのまま残っている所もあれば綺麗にリノベされ観光地化された所もある。劇場周辺は両者の間〜やや観光地寄り、といった状態だった。





蓬嵩は北京で初めての民営劇場だそうで、社会制度が複雑に絡みあうこの国、しかも政治色の強い北京で斯様な試みを維持している関係者には頭がさがる思いだ。



本番を前にして準備中のサンガツメンバー皆さんと対面。



おそらく四合院の中庭にあった樹をそのまま残したものと思われる。





劇場に併設されたカフェ。メニューはオシャレな感じ、値段もやや高め。
腹ペコだったのでひとまずスパゲッティボロネーゼを食べた。



およそ日本的とはいえない梁組。見た感じそんなに古くないかも。
そしてサンガツのライブが始まるわけだが、感想は次回にします。

→続き http://akumanoshirushi.blogspot.jp/2013/06/2.html?spref=fb









2013年4月27日土曜日

2013年 夏から秋に向けての募集的なアレコレ

毎度お世話になっております。

現在「搬入プロジェクト」上演のため滞在しているクロアチアの港町、リエカにてこの記事を書いてます。

(旅の記録についてはこちらをご参照下さい)

プロジェクトごとに新しくブログを立ち上げてるので、そしてここ最近執筆のお仕事など頂いたりで、こっちの方は更新が稀になりがちですが、折にふれて使います。<観光地>シリーズも途中だし。

さて今回は募集のお知らせです。
夏から秋にかけていろいろと計画中でして、一緒にやってくれる人たちを募ります。
とはいえ、まだ予算編成含む詳細な計画ができてないので、最終的な結論は先になると思います。ともあれ、興味持った方はお気軽にお早めに連絡いただけると有難いです(返事が遅くなるかもしれないのですが)。

計画は以下の三つです。

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【1】

準備+稽古:7月〜

本番:8月上旬

会場:関西

人数:2〜3人

出演料:交通費と滞在費宿泊費支給、余裕あれば数千〜1万円ほど上乗せできるかも。

内容:20分ほどの小品を制作・上演します。とある特殊な環境での発表となるので、その点に気を配りつつ作ります。

売り:特殊な環境の特殊さがマジ特殊なので特殊な意気込みで特殊に取り組みたい。参加者にとっても新鮮な体験となると思います。
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【2】

準備+稽古:お盆明け〜

本番:9/20 あたりの週末

会場:横浜某劇場(現在仮押さえ中)

人数:3~5人

出演料:助成金 製作費のやりくり次第ということもあり、まだちょっと未確定。予算ナシナシ企画になるかも。でも意外とやる気はあったりする。

内容:誰も信じてくれなさそうですが、戯曲を書きます。更に信じてもらえなさそうですが、稽古初日までに書き上げたいです。ということはつまり、演劇の源流たる詩へのあこがれを隠さずに作りたいと考えています。とりあえず、マームとジプシー出演などで知られる、そして「悪魔のしるしのグレートハンティング」に出たことは黒歴史化しつつある女優、高山玲子さんを主役として捕まえました。そして森翔太さんには断られてしまいました。

物語内容は、2012年に神田でやった小さなパフォーマンス作品をふくらませていく方針です→これ http://akumanoshirushi.blogspot.com/2012/10/greenhorns-throne.html

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【3】

準備+稽古:11月〜

本番:12月中旬

会場:横浜某所

人数:未確定だけど3〜5人くらいかな?

出演料:コチラに関しても【2】と同様、まだ不確定。

内容:悪魔のしるしが結構前に上演したある作品のリメイク。上演条件が特殊なため、会場との折衝次第ではいったん延期になる可能性もあります。そういった事情込みでなお興味ある方はご連絡下さい。
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【条件】
相変わらず特にコレといった条件は無いのですが、悪魔のしるしのこれまでの活動や、演出家危口統之のことをある程度知っている方を優先すると思います。いや、初対面でもノリが合えば問題ないんですけどね。論理じゃなくてノリ優先なのが俺のダメなところだなとは思います。

もちろん複数の企画に参加したいという意見もなるべく尊重したいと思います。

ところで、ですが、いかにもなオーディションってやつは昨年「倒木図鑑」のときにやってみたら予想以上にしんどかったので当分やらないと思います。各人に直にお会いして決めたいと思ってます。

今後更に決まったこと、気づいたことがあればこのブログや、ツイッタ、フェイスブックなどで追ってお知らせいたします。

きぐち





2012年11月27日火曜日

観光地とは土地の演技である(2)

演技と観光地を結びつける考えが自分の中にいつ生まれたのかはよくわかりませんが、それほど昔のことではありません。悪魔のしるしの活動が本格化するにつれ、何でもかんでも演劇のアナロジーで捉えるような思考の癖が悪化し、その過程で見出した視点のひとつです。ただし、そのための材料はコレまでの人生で着々と貯めこんではきていたようで、例えば僕の故郷は観光地としてそこそこ有名な倉敷です。

江戸時代の町並みを保存した「美観地区」や、日本で最初の本格的な西洋美術館である大原美術館などを資源とする観光都市であり、同時に、瀬戸内海工業地帯の一角である水島コンビナートを有する工業都市でもあります。

集落調査の調査(*「集落調査」ではなく、これまでに実施された集落調査の調査)を行なっている友人から教えてもらったのですが、倉敷市による景観問題への取り組みは、1968年に「倉敷市伝統美観保存条例」のを設置したのが始まりで、その後1979年には「倉敷川畔伝統的建物群保存地区」の指定、と全国的に見ても割と早い動き出しだったそうです。この時代(高度成長期末期)の観光・国内旅行事情など調べると何か面白い発見がありそう。

もうちょっと地元トーク続けてみます。

町並みを保存し、完璧に観光地化された「美観地区」がある一方で、その隣に本町(ほんまち)というエリアがあります。もともとは観光エリアではなく、普通に暮らす人々の民家や商店が並んでいたのですが、その殆どは特に建て替えられることもなく、多少の改築、改装だけで生き延びてきたので、結果的には「古風な景観」+「リアルな暮らし」という、イイ感じの結合を達成し、美観地区のオルタナティブとして注目されるようになりました(といってもささやかなものですが)。

例えば古書店好きの間では有名な「蟲文庫」なども本町にあります。
http://homepage3.nifty.com/mushi-b/



本町通り。古い町家、蔵をそのまま維持しつつ生活が営まれている。
最近は観光客がこちらにも足を伸ばすので、それっぽいお店が増えてきた。
美観地区。運河沿いに並んだ蔵屋敷の多くは、観光客向けの土産物屋や飲食店として改装→使用されている。
また、通り全体に照明設備が設置され、夜間はライトアップされる。























電線を地中に埋めて綺麗な外観保持に努める美観地区と違って、本町には電信柱が立ってるし、お店の看板も張りだしてます。観光客向けのお店も近年は増えましたが、昔からあるのは畳屋さん、電気屋さん、駄菓子屋さん(10年程前になくなっちまった)など地域の人のためのお店です。言うなれば、冷凍保存と漬物の違い、といったところでしょうか。

美観地区が、「そのものになりきる」完ぺきな演技を続けているのに対し、本町はあくまでも自然体、まずは住む人達の暮らしがベースとしてあります。ぱっと見は綺麗な美観地区ですが、個々の建物は商家や土蔵という本来の機能を剥奪され、民芸品店やレストランとなっているのに対し、本町では民家は民家として、蔵は蔵として使われているという健全さがあります。

先日、外国人(ベルギー、スイス、韓国)の知人を連れてこの界隈を歩く機会がったのですが、やはりというか何というか、ウケがいいのは本町の方でした。で、恐る恐る自説_土地の演技としての観光地_を披露したところ、スイス人のマックスさんから実に興味深い発言が飛び出しました。

彼曰く、かつてシェイクスピアは、「All the world's a stage」と謳ったが、いまや「All the world's a zoo」だと。いちいちもっともだと思います。

集中力が切れた(早すぎる)ので、続きはまた今度にします







2012年11月22日木曜日

観光地とは土地の演技である(1)

こないだ別府と国東半島に行ってきました。
別府プロジェクトや国東アートプロジェクトを体験したくて。

2010年に瀬戸内国際芸術祭(島キッチン企画)で「搬入プロジェクト」を上演して以来、地方と観光、そしてアートとの関係に興味を持ち始めていたこともあり、いろいろ考える材料を持って帰ってきた感じです。

豊島に関しては基本的に良い思い出しかないのですが、そう簡単には割り切れない印象深い出来事も幾つかあって、まずは何といっても産廃不法投棄問題、もうひとつは(産廃に比べれば些細な事ですが)現地の方に「アートのひと」と呼ばれたこと。

「お兄さんも、アレか、アートのひとか?」

そういって声を掛けてきたオジさんに他意は無かったと思います。が、その屈託の無さも含め、この言葉は自分の中にしこりとして残りました。

アーティストではなく、「アートのひと」。
この響きの違いこそが、我々の日々の暮らしとアートとの距離感を表しています。しかし、だからといって島の人から「アーティスト」と呼ばれたかったか、と問われれば、そうでもない気がするし、正直いって、今のところはどうすればいいのか、どうなればいいのかよくわかりません。

瀬戸内国際芸術祭総合ディレクターである北川フラム氏は、どこかのインタビュー(もしくは彼に関する報道記事だったかも)で、芸術祭の予算に関して「文部科学省ではなく国土交通省から引っ張ってきたことが重要なのだ」と発言していました。つまり、文化事業としてではなく、観光事業の一環として芸術祭を組み込むってことです。そういえば「観光立国」なんてスローガンもありますね。国が仕掛けるキャンペーンと協働することでいろいろご利益があったのでは、と推測します。

急速に高齢化、過疎化の進む離島や僻地の、その「遅れ」「寂れ」をひとつの観光商品として売り出すこと、そしてその引き立て役としてアートが用いられること。ちょっと乱暴な整理ですが、こういうことだと思ってます。別に悪口じゃないです。


「近代の特徴のひとつは、本物(オーセンティシティ)はどういうわけか失われ、それはほかの文化の中で取り戻すことができるのだ、という信仰である」(ジョン・カラー)


我々は日々の暮らしに倦んだとき、「ここではないどこか」に自分を充足させてくれるものを求めます。そして求められる「ここではないどこか」の中身が、ディズニーランドなどのレジャー施設ではなく、離島や僻地という、いかにも「本物」っぽい対象へと変化してきているのが、何か、こう、示唆的だと感じています。

「本物」志向といえばアートもそうで、と言ってもアートのことをそれほど知らないので大したことは言えませんが、とにかく「リアル」「リアリティ」という言葉が随分幅を利かせている界隈であるとは言えます。なにか「本物」を感じさせる対象を求める人たちがいて、彼らは、アートや僻地の自然、寂れた集落に引き寄せられるのです。

で、このへんから演劇、特に「ポスト・ドラマ」とか「ドキュメンタリー演劇」などと呼ばれる運動の話と繋がってくるような気がします。

気が向いたらまた続きを書いてみます。

*今後のためのキーワード備忘録
TDL
トータル・リコール
ALWAYS三丁目の夕日
倉敷美観地区
横浜中華街
熊野三山
京都木津川浄瑠璃寺
観光資本
搾取
転用
リノベーション
ディラー&スコフィディオ「スーツケーススタディ」
リミニプロトコル「カーゴ」「資本論」
PortB
飴屋法水「いりくちでくち」
悪魔のしるし「搬入プロジェクト」
Gob Squad「Before Your Very Eyes」
フラッシュモブ
福島第一原発観光地化計画
北京・大栅栏跨界工作室
鳥取ホスピテイル・プロジェクト
フロンティア・スピリット